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2016年7月5日火曜日

怒りの連鎖(カルマ)を断ち切る - ダッカの事件について考えたこと


7月1日、バングラデシュの首都ダッカのレストランを武装集団が襲撃し、人質を取り、立てこもりました。
この事件で、外国人20名が亡くなり、その中には7名の日本人も含まれていました。
また、地元の警官も2名が亡くなり、治安部隊の突入により、武装集団側も6名が死亡しました。

悲惨としか言いようのない事件で、言葉もありませんが、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

このような事件が起きるたびに、「あいつらは怖い」とか「あいつらをなんとかせねば」といった思いが、どうしてもぼくたちの気持ちの中に起こってくるわけですが、しかし、こうした問題は「あいつら」をなんとかすることで、解決することができるのでしょうか。

暴力に訴えて、社会秩序を乱す行為を容認するわけではありません。

しかし、犯罪行為というものを、犯罪者の罪として断罪するだけでは、問題は解決しないと思うのです。

まず一つあるのは、今回のような事件について「イスラム教徒」が引き起こしたもの、とぼくたちは考えがちですが、穏健なイスラム教徒の人たちから見れば、「イスラム教徒」の名に値しない武装集団の犯罪にすぎない、ということです。

そして、こうした武装勢力が暴力行為を実行する背景には、欧米とそれに追随する国々(日本もその一員です)が、パレスチナに始まり、イラク、アフガニスタン、シリアなどなどのイスラム圏の各国を戦争状態に陥れているという現実があることをまず見る必要があるでしょう。

つまり、これは「彼ら」の責任である以上に「我々」の責任なのだ、とぼくは思うのです。

ですから、問題を根本的に解決するためには、「エネルギー戦略に端を発する、武力による世界的な抑圧構造」を変えていく必要があるわけですが、無論それは一筋縄ではいかないことです。

そのとき、ぼくたち一人ひとりが第一に心がけるべきことは、過ちを犯した人々を赦すことではないでしょうか。

イスラム教徒の人たちが、同胞が殺されていくことに怒りを感じて、爆発させた暴力行為に対して、抑圧構造を支えている側のぼくたちが、怒りをもって応じることは、怒りの連鎖、暴力の連鎖を生むだけで、決して解決につながりません。

相手の怒りに対して、怒りで応じてしまうのは、人間の生理的な反応として当然のことではありますが、しかしまた、その当然起こる反応を、自分の意志によって変えていくことも、ぼくたちにはできるのです。

相手に対する怒りが湧いてきても、すぐにそれに気づき、怒っている自分から身を離して、怒りに捕らわれないようにして、やがてそれが去っていくのを待つのです。

そして、過ちを犯した相手を赦し、慈悲の心で相手の行動を理解することが、仏教を知るぼくたちのなすべき道ではないでしょうか。

ぼくたちは、一人ひとりが、自分のカルマを落としていくことをまず心がけるべきだと考えますが、同時に、他者のカルマに巻き込まれない、相手との間のカルマの連鎖を断ち切る、といった視点も大切になります。

相手の怒りが爆発したときに、それに巻き込まれず、怒りの連鎖を断ち切る。

日々の呼吸法、日々の瞑想の実践を続けていくことで、そういったことも可能になるのです。

お釈迦さまの言葉にも、「恨みに恨みで応えてはならない。恨みの連鎖を断ち切るには、恨みの気持ちが湧き上がらないようにする必要がある」[*]という意味のものがあります。

どうか、この世界の中の怒りの連鎖が、これ以上増大することなく、少しでも収まっていきますように。

[*]中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」(岩波文庫)より。
「実に、怨みが怨みによって熄(や)むことは、この世では決してない。怨みを捨ててこそ熄む。これは変わらぬ真理である」

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