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2016年7月30日土曜日

三宅洋平は「ナチズムの先兵」の差別主義者なのか


三宅洋平氏は、もちろん「ナチズムの先兵」の差別主義者ではありません。
まして「親学」の推進者であろうはずがありません。
それなのに、なぜそのような批判が絶えないのか、考えてみます。

  *  *  *

三宅洋平氏は、過去に「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」と発言しました。

これについて、彼は、「反省」という言葉を使ったことにより、「障害」児者やその家族を傷つけてしまったことを認め、謝罪の言葉を述べています。

この発言のもともとの意図は、食べ物を含め環境からの化学物質が、親の体に蓄積することで、その子どもに「障害」が引き起こされる可能性を指摘したものです。

つまり、これは環境問題の視点からの発言なのです。

ところが、この三宅氏の発言をとらえて、ナチスの「優生思想」や「親学」とつなげて考えようとする方々がいます。

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「優生思想」は、「障害」者を劣ったものであり、その原因は遺伝にあると考え、その生きる権利を様々に剥奪しようとする大変危険な考えです。

しかも、ナチス・ドイツはこの考えに基づいて、実際にユダヤ人と障害者の虐殺を行ないました。

このような悲劇が繰り返されないように努めることは当然のことです。

三宅氏が環境中の化学物質の問題について、「障害」児者の親に反省を求める発言をしたことは問題ですが、彼は「障害」児者が劣った存在であるというような発言はしていませんし、遺伝の問題についても何も言っていません。

ただ、化学物質の毒性の問題を語っているだけです。

「障害」児者とその家族を傷つけるような発言をしたことを根拠に、彼を「差別主義者」であり「優生思想」の持ち主であると見なすことは不可能としか言いようがありません。

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「親学」は、自民党政権が提唱する戦前回帰的な家庭内教育の思想です。
(参考: 親学のムック)

「戦前のような教育を家庭でできるようにすれば、発達障害が防げる」とでもいうような奇妙な主張をしているのですが、学校教育を管理教育にするとともに、家庭内にもそれを補完する体制を作り上げることを目指していると考えられます。

子を育てる親の責任を問題とし、親の育て方を国家が管理しようとしている、ということができるでしょう。

一方、三宅氏は、親の責任という意味で「反省」という言葉を使ったわけですが、これは子育てのあり方を問題にしたわけではなく、親自身が化学物質について無防備であったという生活のあり方を問題にしています。

それを「反省」すべきと言ったことは当然問題ですが、親に対して子育ての仕方の注文をつけたわけではありません。

「親学」と関連があるとは、考えようがありません。

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では、なぜ、このような不可解な批判がなされるのでしょうか。

それは日本における多くの言論が、「論理」に基づくものではなく、「感覚」に基づくものだからだと考えます。

「論理」によっているものであれば、事実を確認し、共通の認識を作っていけば、どの主張は正しく、どの主張は間違っているということは、相当程度まで明らかになります。

ところが「感覚」によっている限り、自分に都合の悪いことは無視して、主観によって自分の意見を主張するばかりで、相手の意見を否定するのも「感覚」に基づくのですから、建設的に議論が進むわけがありません。

ただ、似たもの通しが集まって派閥を作り、派閥通しで争い合い、離合集散を繰り返すのみであることは、日本の政治状況とまったく同じに思えます。

残念ながら、今ぼくがここで書いていることも「感覚」によるものにすぎません。
(三宅氏に関わる話は「論理」によるものです、念の為)

ですから、これはまだ仮説にすぎず、実証されたものではないことにご注意ください。

しかし、この「感覚」と「論理」の問題は、日本だけの問題ではなく、東南アジアにも共通する問題に思え、また、日本と欧米の違いという意味も含め、これからもずっと考えていきたい問題の一つです。

☆こちらもどうぞ。
[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]

[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件の「真犯人」は誰なのか? あるいは、差別のない社会を創るための第一歩]

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