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7月, 2016の投稿を表示しています

三宅洋平は「ナチズムの先兵」の差別主義者なのか

三宅洋平氏は、もちろん「ナチズムの先兵」の差別主義者ではありません。 まして「親学」の推進者であろうはずがありません。 それなのに、なぜそのような批判が絶えないのか、考えてみます。   *  *  * 三宅洋平氏は、過去に「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」と発言しました。 これについて、彼は、「反省」という言葉を使ったことにより、「障害」児者やその家族を傷つけてしまったことを認め、 謝罪の言葉を述べています。 この発言のもともとの意図は、食べ物を含め環境からの化学物質が、親の体に蓄積することで、その子どもに「障害」が引き起こされる可能性を指摘したものです。 つまり、これは環境問題の視点からの発言なのです。 ところが、この三宅氏の発言をとらえて、ナチスの「優生思想」や「親学」とつなげて考えようとする方々がいます。   *  *  * 「優生思想」は、「障害」者を劣ったものであり、その原因は遺伝にあると考え、その生きる権利を様々に剥奪しようとする大変危険な考えです。 しかも、ナチス・ドイツはこの考えに基づいて、実際にユダヤ人と障害者の虐殺を行ないました。 このような悲劇が繰り返されないように努めることは当然のことです。 三宅氏が環境中の化学物質の問題について、「障害」児者の親に反省を求める発言をしたことは問題ですが、彼は「障害」児者が劣った存在であるというような発言はしていませんし、遺伝の問題についても何も言っていません。 ただ、化学物質の毒性の問題を語っているだけです。 「障害」児者とその家族を傷つけるような発言をしたことを根拠に、彼を「差別主義者」であり「優生思想」の持ち主であると見なすことは不可能としか言いようがありません。   *  *  * 「親学」は、自民党政権が提唱する戦前回帰的な家庭内教育の思想です。 (参考: 親学のムック) 「戦前のような教育を家庭でできるようにすれば、発達障害が防げる」とでもいうような奇妙な主張をしているのですが、学校教育を管理教育にするとともに、家庭内にもそれを補完する体制を作り上げることを目指していると考えられます。 子を育てる親の責任を問題とし、親の育て方を国家が管理しようとしている、ということができるでしょう。 一方、三宅氏は、親の

神奈川・相模原「障害者」殺傷事件の「真犯人」は誰なのか? あるいは、差別のない社会を創るための第一歩

この記事では、相模原「障害」者45名殺傷事件に関連して、その解決の道筋として、私たちの一人ひとりが「ヴァーチャルな隣近所」を作ることを提案します。  *  *  * 2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で45人が殺傷されるという事件が起こりました。 死亡した19名の方々はすべて施設に入所されていた「障害」をお持ちの方で、他の負傷者26名のうち、20名の方が重傷を負うという事件でした。 お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、ご親族、関係者の方々にはお悔やみを申し上げます。また、心身ともに傷ついた皆さまの、一日も早いご快復をお祈りするものです。   *  *  * 「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。 今回の事件は大変「残虐」なものであり、その「犯人」を恐ろしいと思い、「犯人」憎しと思う、そして厳しい処罰を求める気持ちは理解できるものです。 けれども、一番大切なことは、今後このような事件が起こらないですむようにするためには、どうしたらよいか、ということではないでしょうか。 そのためには、容疑者の方が、なぜこの事件を起こさざるを得なかったのかを考えることが必要です。 一体なぜ、こんな悲惨な事件を起こさざるを得なかったか。 それは「恐れ」のためではないでしょうか。 この「恐れ」という気持ちの中には、「障害」者に対する恐れ、生活に対する不安、うまくいかない生活に対する不満など、いろいろな感情がごちゃまぜになって詰まっていたと思われます。 そして、今回のような事件を起こす「真犯人」は、ぼくたち一人ひとりの中に潜む「恐れ」の気持ちではないかと思うのです。 なぜなら、個人の気持ちには、社会の空気が反映され、社会の空気は個人の気持ちがつくり上げるものだからです。 単純に、犯人が悪いのだ、というような考え方をするのではなく、こうした見方で事件をとらえ、自分自身に関わる問題として考える。そのような道筋を取っていかないと、類似事件の発生を防ぐことはできないと思うのです。   *  *  * 今回の事件の容疑者の方は、衆院議長に宛てた手紙の中で「重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界」が目標であると述べています。 大変

鳥越俊太郎氏のニコ生・候補者討論会に不参加につき、想田和弘氏にひとこと

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[この記事のまとめ] ・鳥越俊太郎氏のニコ生の候補者討論会に不参加について、想田和弘氏が鳥越氏の行動を否定する発言をした。 ・想田氏が、安倍政権に批判的な意見を持ち、ご自分の社会的立場をよく理解なさっているのなら、今後こうした「軽率」な発言は慎んだほうがよくはないか。 ・こうした「軽率」な発言をしないためには、感情が高ぶっているときには発言を控え、時間をおいて気持ちが落ち着いてから発言すべきである。   *  *  * 映像作家の想田和弘氏が Facebook と Twitter に流した、都知事選候補者・鳥越俊太郎氏についてのこの発言には、驚きました。 鳥越氏がニコ生での候補者討論会に不参加だったことには、違和感を覚えざるをえない。そういうの、よくないですよ。正直言って、彼を支持する層をも萎えさせる態度だと思います。戦略的にも道義的にもよろしくない。そこんとこ、よくわかってないんじゃないか。 というのは、その投稿を見る直前に、三宅洋平氏と安倍昭恵氏の会食に関する、想田氏のこちらのご意見に、まったくその通りだと、納得したところだったからです。 三宅洋平を政治的存在、リーダーとしてみるならば、今回の会合はいたずらに誤解をまねくものであり、政治的には否定的な影響の方が断然強いように思う。とくに三宅洋平の考えをあまり知らない(知ろうとしない)人々の間で、政権に取り込まれた、寝返ったと早合点する人が多いだろう。 [中略]今回の会合によって誰が政治的に得をするのかといえば、「反対者」に対する懐の深さを示すことができる安倍昭恵、いや、その配偶者である安倍晋三である。三宅には彼らのイメージアップをアシストする意図はなかったと信ずるが、結果的にはそうなってしまっている気がする。余計なお世話かもしれないが、すでに政治的存在である三宅は、そこまで考えて行動すべきだと思う。 このように想田氏は、三宅氏を支持し、安倍政権に批判的な考えを持っているのに、安倍政権への批判票が鳥越氏に集まるかどうかが焦点になっている状況の中で、鳥越氏の行動を頭から否定する発言をしたことは、「不可解」かつ「軽率」なものに思えます。 けれど、想田氏は宇都宮健児氏の支持者なんですね。それで、野党の鳥越氏擁立のために、宇都宮氏が今回立候補を取りやめざるを得なかったことに、ど

三宅洋平氏の内海聡医師擁護発言に神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が波及

※記事タイトルを[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]より改めました。 [この記事の内容] ・事件への追悼 ・三宅洋平氏の発言への波及 ・内海医師の数々の問題発言 ・三宅氏への提言   *  *  * ・事件への追悼 昨日、2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で45人が殺傷されるという事件が起こりました。 死亡した19名の方々はすべて施設に入所されていた「障害」者の方で、他の負傷者26名のうち、20名の方が重傷を負うという事件でした。 お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、ご親族、関係者の方々にはお悔やみを申し上げます。また、心身ともに傷ついた皆さまの、一日も早いご快復をお祈りするものです。 なお、この記事では、相模原の事件については、これ以上、言及いたしません。 この事件の持つ意味と、それに対してどう向き合う必要があるかについては、日を改めて書きたいと思っています。   *  *  * ・三宅氏の発言への波及 相模原での事件を受けたタイミングで、政治学者の五野井郁夫氏が、三宅洋平氏の過去の発言を引用して次のようにおっしゃっています。 近年の障害者差別で象徴的なのは、三宅洋平氏の「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」発言だろう。これは「発達障害は親の育て方のせい」で悪名高い「親学」の主張と繋がる。恐ろしい。 この発言に続くのがこちらです。 都知事候補の小池百合子氏が、子供の発達障害は「日本の伝統的な子育てをしない」親のせいだと主張をする「親学」推進議員連盟会合に、2012年5月11日出席した事実を削除している。マズい団体だと事実上認めたようなものだ。 一見、別々の発言に見えますが、これを続けて読めば、『三宅氏は小池百合子氏と同様「障害は親の責任」という主張の持ち主である』と、読者が誤解する恐れがあります。 三宅氏はすでに「障害を持つ子を産んだ人も、そのことを反省しつつ」という発言に関し、 「反省」という言葉を使ったことについて謝罪の意を表明しています。 にも関わらず、なぜこのような発言が出てくるのでしょうか。 五野井氏の意図はさておき、三宅氏側の問題点を考える必要があります。 [五野井氏という人物については、

気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか

[この記事のまとめ] ○サラリーマン生活をいつかやめたいと思っているあなたへ。 1. 物ごとをきっちり進めるタイプのあなたは、田中優さんの記事を参考にしてください。 ・いきなり会社をやめずに堅実に独立する方法です。 2. 物ごとをきっちり進められないタイプのあなたは、ぼくの話も読んでみてください。 ・人生、思い切りも必要だよね、という話です。   *  *  * 市民活動家の田中優さんが 『日常生活からのテイクオフ』 という記事を公開しています。(内容は「サラリーマン生活からのテイクオフ」ですね) 記事には、自分がサラリーマンをやっていたときの「しんどかった」気持ち、そして独立して自由に好きな仕事ができることの「喜び」が書かれています。 そして、今はサラリーマンをやっているけれど、いつか独立したいと思っている人に向けて、自身の経験をもとに、こんなふうにやったらいいよ、とアドバイスをされています。 ・今サラリーマンをしているなら、いきなりやめず、きちんと準備をする、 ・現在の支出を見直して、無理なく節約する、 ・二足のわらじ、ならぬ、複数のわらじを履く(一つだけでなく、いろいろなことにチャレンジ!!)、 ・節約して貯まったお金は、次の生業に向け、未来の自分のために投資する、 ・インターネットを上手に使い、多くの人とのつながりを作る、 ・そして、具体的な事業の立ち上げ方....。 物ごとをきっちり進めるタイプの方は、ぜひ優さんの記事を参考にしてみてください。 [ 『日常生活からのテイクオフ』 ]   *  *  * さて、ぼくは優さんとは違って、物ごとをきっちり計画して進めていけるタイプの人間ではありません。 いつも行き当りばったりなので、奥さんには「あんたはもう少し、準備や計画ができないのか」と怒られてばかりいます(笑)。 もし、あなたがそういうタイプの方だったら、ちょっと話を聞いてほしいんです。 ☆会社勤めなんかしなくても、人生なんとかなります [ここからぼくの個人的なサラリーマン生活の長い話が続きますので、それは読まなくていい、という方は、 次の節へ跳んでください ] ぼくは、大学を出たあと、サラリーマンになりました。 ずっとサラリーマンにはなりたくないと思ってたんですけどね。 それ

「洋平・昭恵会食」再々考、ネット「世論」をどう読むか

[この記事のまとめ] ・二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討したのち、ネット「世論」についての考え方を提示。 ・ネット「世論」、すなわち、ネット上の意見は、どうしても偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。 ・ネット上の意見はただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。 ・「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないよう注意が必要。とはいえ、「感情的」な発言をする人を否定してもしょぅがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。   *  *  * 2016年7月10日に投票が行われた参院選・東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、その直後の7月17日に、安倍総理夫人の安倍昭恵氏と会食しました。 その会食については、経緯を紹介した上で、ヘリパッド建設問題を抱える沖縄・高江の視点からの問題点を、こちらの記事では指摘しました。 [ 大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって] また、こちらの記事では、ぼくの周りのネット上の反応を見た上で、この会食は三宅氏にとって支持者の「分断」を招く「大失点」であったとの見方を示し、その「失点」を取り戻すべく三宅氏には頑張ってほしい、また支持者の方には三宅氏の成長のためにぜひ助言をしてほしい由を書きました。 [ 洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために ] 今回は、二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討してから、この「炎上」気味のネット上での反応を、どう受け止め、どう生かしたらよいのかを考えます。 具体的な例はあげませんので、ご自分でこれに関わる発言を見たときに、あ、この発言は、あの分類になるな、とか思って見ていただけたら幸いです。 1. 肯定的なもの。これは、意見を異にする者の間で「対話」をしたことは素晴らしい、という感じのものです。 この考え方については共感する部分も多いのですが、 ・「主流派」に取り込まれるおそれを感じていない点でナイーブ、 ・沖縄・高江などで現に「被害」を受ている

「陰謀論者」で「レイシスト」な洋平を、それでも俺が応援する三つの理由

※タイトルを『どこまでも「あほう」な洋平を、それでも俺が応援する三つの理由』から改めました。[2016.07.25] [この記事のまとめ] ・三宅洋平氏は「陰謀論者」で「レイシスト」でどうにもアカン。 ・けれども、次の三つの理由で、俺は洋平を応援する。 1. 反原発、反戦争国家化をはっきり表明している。 2. 彼にはカリスマがあり、新しい可能性がある。 3. 彼に代わる人物は今のところ見当たらない。   *  *  * 三宅洋平氏の、ネット上での発言を、見れば見るほど、「この人あかんわ」という気分が湧いてくる、というのが正直な気持ちです。 「『障害』のある子を生んだ親は一生反省しなければならない」という2015年6月の発言で問題視される内海聡医師ですが、2015年3月には 「え、アベシが日本人じゃないってまだ知らない人がいるの?」 という個人攻撃かつ外国人差別としか考えられない発言をしています。 三宅氏はその「問題」発言をシェアした上、 「アベシは確かに売国の度が過ぎて、その出自との関連を疑わざるを得ない」 と発言してネット上で問題となりました。 その結果、三宅氏はこの発言に関連して 「釈明とお詫び」というタイトルで記事を書いています。 しかし、 ・「売国」という言葉を安易に使ったことに対する謝罪はありませんし、 ・「金融ユダヤ人」という差別的な用語をわざわざ使っている上、 ・「田布施システム」という根拠の不確かな説にまで言及しているところは、 「陰謀論者でレイシスト」というネット上の評判に、貢献するところはあっても、否定するためにはまったく役に立っていないと思われます。 さらに、2010年5月の古い記事ではありますが、 ロスチャイルド家やイルミナティによる「世界支配」という説を紹介する記事 を書かれており、これも「反ユダヤ主義のレイシズム的陰謀論」というしかないでしょう。   *  *  * こちらは、三宅氏の一昨日7月22日のツィートです。 総理大臣が誰になっても基地の推進が止められない法的構造がわからないから「総理にもう一回電話して止めろと言えばいい」などというトンチンカンなことを言ってくるわけだ。そこを理解して、国際法を含む法的な対処、外交的な対処を要求していかないと、この現状は変えられな

洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために

[この記事のまとめ] ・三宅洋平氏にとって安倍昭恵氏との会食は、「タイミング」、「セッティング」、「事後のコメント」のいずれもが「最悪」のものであり、「大失点」であった。 ・けれども、三宅氏には、この「大失点」を取り戻すだけの「力」がある。 ・三宅氏の支持者には、この「大失点」の意味をよく理解してほしい。 ・現時点で三宅氏に懐疑的な方々には、三宅氏の今後の成長を暖かく見守ってほしい。   *  *  * ミュージシャンの三宅洋平氏は、2013参院選では、比例区で17万票を獲得したものの落選、今回7月10日投票の2016参院選東京選挙区では、堂々25万票を獲得したものの、当選ラインの50万票には遠く及びませんでした。 また、三宅氏は、参院選直後7月17日に、沖縄・高江でヘリパッドの建設再開が強行される中、安倍総理大臣の夫人である安倍昭恵氏と会食したことで、ネット上では毀誉褒貶の発言が見られました。 三宅氏は7月21日、 沖縄・高江のヘリパッド問題に関する記事を、ご自身のプログで公開 し、高江の問題を扱ったドキュメンタリービデオ『標的の村』を紹介しています。 そのコメント欄を見ると、高江の問題を知らなかった方や、『標的の村』の存在は知っていてもまだ見ていなかった方からの、こうした問題をもっと知る必要がある、といった内容の好意的な発言がなされています。 なお、沖縄・高江では、昨日7月22日、現地で座り込みで抗議をする住民の方々や応援で全国から駆けつけている方々が、全国から派遣された大規模な機動隊によって強制排除される事態となりました。 国のやり方に反対し、平和的に抗議活動している人々を、暴力的に排除する国のやり方には、どうにも納得がいきません。 沖縄・高江の問題については、こちらに書きました。 [終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]   *  *  * さて、今回は、「洋平・昭恵会食」の件について、まず、ネット上のぼくの周りの反応を紹介します。 ・画家の内海信彦氏は、 Facebook でてんつくマン氏のブログを紹介し、「もう十分でしょうね」という言葉で、 三宅氏を支持しない意思を表しています。 コメント欄では、「ここまで腐っていたら救おうとするものまでが、溺れてしまいますよ」ともおっしゃって

最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?

みなさんは、フロー体験って聞いたことありますか? 何かをすることに完全に没頭していて、同時に頭が冴え渡っていて、時間が経つのも忘れるくらい幸せな状態のことです。 ミハイ・チクセントミハイというハンガリーの心理学者が提唱する考えです。 [ wikipedia でミハイ・チクセントミハイを見る ] 第二次世界大戦が終わったとき、ミハイさんは10歳でした。そして戦後の困窮生活を体験する中で、ユング心理学との出会いがあり、やがてアメリカで幸福とは何かを研究するようになります。 そうして彼は、人々が、日々の暮らしの中や通常の経験の中の、いったいどんなところで幸福を感じるのかを研究しているうちに、フロー体験という不思議な幸せの体験を見つけたのです。 完全なフロー体験というのは、スポーツ選手や芸術家、あるいは長年に渡って瞑想を続けた人など、一部の人に限られるかもしれませんが、子どもの頃、遊びに夢中になって時間を忘れてしまった経験は、多くの人がお持ちではないでしょうか。 ミハイさんは、そのフロー体験の状態について、次のように説明しています。 ・時間の流れの中で、いつも自分のしたいことが分かっている ・していることについて、すぐさま反応が得られる ・する必要があることと、それが難しくても可能なことが分かっている ・時間の感覚が消失する ・自分自身のことを忘れてしまう ・自分はもっと大きな何かの一部であると感じる こうした状態にあるとき、何をしているかは問題でなくなり、していることそれ自体に価値があることになるというのです。 フロー体験をするための確実な方法というものはないようですが、こんなちょっとした話を知るだけでも、なんだか人生が楽しいものになりそうな気がしますよね。 フロー体験のことをさらに知りたい方には、ミハイさんのこちらの本がおすすめです。 「フロー体験入門―楽しみと創造の心理学」[世界思想社 2010] (ただし一部訳が読みづらいようです)  難しい本も大丈夫な方なら、こちらを。これもミハイさんの本です。   「フロー体験-喜びの現象学」[世界思想社 1996] なお、この記事の内容は、TEDカンファレンスのビデオ 「ミハイ・チクセントミハイ: フローについて 」(2004年2月) を参考にしました。英語の

洋平と昭恵をつないだ「怪人」てんつくマンとは!?

のっけからすいません。タイトルはただの煽りです。 てんつくマン氏について、詳しく説明はしません。 彼のことをまったく知らない方はwikipediaをお読みください。 それでですね、wikiにも書いてありますが、このてんつくマンという人は「マルチ商法」と関わりがある方なんですよ。 その人が今回の「洋平・昭恵会食」をアレンジしてたってわけなんです。 [この会食の件についてはこちらをお読みください。「 大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。 」] こちらにはてんつくマン氏自身がその経緯を書いてらっしゃいます。 別にてんつくマン氏が「マルチ」をやろうが何をやろうがかまいませんよ。 法律的にグレーな部分はあっても即犯罪ってわけじゃないですもんね。 けれども、沖縄・高江の問題が現在進行形のときに、そんな呑気な会食をしてるだけでも三宅氏にとっては 「大失点」ですよね 。 その上、昭恵氏との間をつないでいるのが、てんつくマン氏のような「怪人」では、 「三宅、終わったな」 と多くの人が思っても、これはしょうがないですよねぇーー。 にもかかわらず、ぼくは思うのです。 このまま三宅氏が潰れていくままに放っておくのは惜しすぎます。 また、彼のカリスマが「主流派」に持っていかれたら、ただでさえ終わってるニッポンが、ますます終わってしまいます。 ですから、 現在の「主流派ニッポン」に納得できないみなさん、今こそ三宅洋平氏に、しっかり意見して、彼が体勢を立ち直せるよう応援しようではありませんか。 今のままでは、三宅氏はダメです。 三宅氏は一刻も早く自分のダメに気づくべきです。 彼がそれに気づけるように、彼にメッセージを送りたいと思うのです。 攻撃や非難ではなく、建設的な意見を。 この記事もそういう思いで書いています。 ☆沖縄・高江の問題についてはこちらに書きました。 [終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実] ☆映像作家・三上智恵氏の 「戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り」(2016 大月書店) もおすすめです。

終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実

2016参院選が終わって、翌7月11日の朝5時過ぎ、大型工事車両と機動隊が隊列を組んで、米軍のヘリパッド建設予定地の沖縄県・東村高江に向かっていました。 辺野古基地建設反対を訴える伊波洋一氏が、参院選沖縄選挙区で当選を決め、県民が勝利に喜んだ9時間後のことです。 これによって沖縄選挙区では衆議院も参議員も自民党議員がゼロということになりました。 にも関わらず、安倍政権のあり方に対して反対する、その沖縄県民の意志を無視して、高江におけるヘリパッド建設の強行が再開されたのです。 政府は警視庁を始め全国から機動隊員約500人を派遣、防衛省も同省と地方防衛局の職員約60人を警備要員として配置、合計約560人を抗議行動の現場に投入する。 こうした準備が参院選のさなかに行われ、参院選翌日早朝からの工事再開となったわけです。 これに対し、 警備関係者は「工藤会の壊滅作戦と同規模だ。重火器を持つ暴力団と一般市民を同一視するのは尋常じゃない」と苦渋の表情を浮かべ、特定危険指定暴力団工藤会の壊滅作戦で2014年に機動隊が約530人に増派された例を挙げ、同様に一般市民に対峙(たいじ)する政府の姿勢を疑問視した。 との報道が沖縄ではなされています。 今日で参院選から10日が経ちます。 その間も資材搬入は続き、ゲート前で座り込み抗議する住民は、幾度も機動隊との間でもみ合いをせざるを得ない状況にあります。 7月17日の朝には、機動隊とのもみ合いで倒れた女性が救急車で運ばれました。 また、警察は高江に向かう県道で検問を行なっています。 これについて弁護士の小口幸人氏は、 検問の目的は「高江に行くと検問される」と表現の自由を萎縮させ、座り込みに来る人数を減らしにきたとしか思えない。県警がみだりに個人情報を集めるのは自己情報をコントロールする権利を侵害し、違法だ。 と琉球新報で述べています。 このように国家の側からの「テロ(恐怖政治)」が今日も続き、米軍基地を抱え続けざるを得ない沖縄の現状について、『今も沖縄は「戦時下」にあるのだ』といったら、言いすぎになるでしょうか。 わたしたちの「平和」な日常の影で、こうした「暴力」的事態が日々起きている。 そうした現実とどうやって向き合っていけばよいのか、また、「沖縄問題」を沖縄だけの問題では

大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。

2016参院選が終わって翌7月11日、安倍総理夫人である安倍昭恵氏が Facebook 上で 三宅洋平氏に「公邸でお待ちしてます」との呼びかけをしました 。 それに三宅氏がこたえる形で、三宅氏とその支持者が昭恵氏と池袋のバーで会食しました。 7月18日付の投稿で昭恵氏は、 「なんで多くの人が、三宅洋平を熱烈に支持するのか、わかったような気がします」との感想 を述べています。 また、その場で昭恵氏は、安倍総理と三宅氏の電話会談を実現し、三宅氏はそのことについて Twitter で 「立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として同じ気持ちだと思っています」と総理に伝えた と発言しています。 また、別の投稿で三宅氏は、 「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」 「高江の住民の気持ちを込めて『okinawa noproblem』capを昭恵さんに預けました」 とも発言しています。 三宅氏の行動と、この一連の発言に対し、ネット上で賛否両論が出ているのは当然のことと思いますが、一つ気になるのは、 高江問題に関する本土と沖縄の「温度差」 のことです。 「三宅はまだそんなもんです」という発言に関して、宮古出身の友利修氏は、 だったら自分のナルシズムと政治的資本のために沖縄を食い物にするのは今後止めていただきたい。「まだそんなものです」などと言っていられない若い人が沖縄にはたくさんいます。 と強い調子で発言をしてらっしゃいます。 また、高江住民が座り込みを続ける中、高江で「弾圧」を続ける安倍総理の妻である昭恵氏と会食した上、彼女に「okinawa noproblem」という「意味不明瞭」な帽子を預けたことに関しては、 沖縄出身で東京選挙区で三宅に票を投じた私には残念な事でした。山本太郎の力になってくれる筈と疑問を持ちつつ支援した自分が呪わしい。 とまで書いている方もいらっしゃいます。 前の記事で書いた「障害者」問題への理解不足からくる「失言」 もそうですが、三宅氏は、社会的弱者や、社会問題の実際の被害者が何を感じているかというこについての認識が「どうにも甘い」のではないでしょうか。 こうした「失言」を繰り返していては、主流派からの「分断工作」に、自らやすやすとはまっている、とすら言いた

三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます

2016参院選の東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、過去に「障害をもつ子を産んだ人は反省する必要がある」との趣旨の発言をしたことに関し、その発言において「反省」という言葉を使ったことの非を認め、 ご自分のブログにおいて謝罪しました。 このことは評価できます。 ただし、この発言がなされる原因となった、内海聡医師を擁護したことについても、訂正の必要を感じます。 事の経過は、こうです。 内海聡氏という大層変わったお医者さんが、 Facebook 上で 2015年6月13日に、 「障害の子どもさんが生まれるというのは、いかに産む前妊娠前に両親が食と生活が乱れているかの証、それは一生かけて反省しなければなりません」 との発言をしました。 当然のように非難が殺到しましたが、それに対し内海氏は、 「障害者の親は一生反省してもらってけっこう」と応えた模様です。 この出来事に対し、三宅洋平氏が、内海氏の発言を自分なりに言い換えた形で、「障害をもつ子を産んだ人も、そのことを反省しつつも、その反省を生かしながら障害とともにその子を大切にしていこう、そして障害を受けとめることに障害のない社会にしていこう」と整理し、その主張自体には問題がないのではないか、という趣旨の発言を 2015年6月18日にしたことから、三宅氏にも批判が及ぶ結果になりました。 今回、三宅氏が参院選に立候補したことにより、この発言が改めて注目されることとなり、多数の声が三宅氏に届けられ、その結果、三宅氏は「反省」という言葉を使った非を認め、謝罪の記事を2016年07月16日に発表されました。 三宅氏が、このように謝罪なさったことの真摯な姿勢は、大変評価できることと思います。 一方、同じ投稿で内海聡氏について、 「たまにおかしなことを言う、ぶっ飛んだ人だなーと表現者として思うときは僕もあるけれど、それって内海さんのキャラクターだと思うし、そのバイアス差っぴいて有益なことを医者としてたくさん発信していると思う」 と好意的な評価をしていることについては、今回の記事では触れていません。 内海聡氏の「医学の9割は不要」というような意見 は、まったくの間違いともいえませんが、かなり極端なものですので、個人としてそれを支持する分には問題ないでしょうが、政治家として広く

三宅洋平氏の「危うさ」とイケダハヤト氏の「バランス感覚」

1. 切れ者イケダ氏の「三宅批判」に狂いはありません 2016参院選・東京選挙区で25万票を獲得し堂々落選した三宅洋平氏について、 イケダ氏は「三宅洋平氏は支持できない」との発言をしています 。 イケダ氏が支持できない理由として取り上げている三宅氏の発言は、確かに問題含みのもので、氏の主張は、どれも納得できるものです。 なお、「障害児を産んだ親は反省すべき」という内容の発言については、 前の記事に追記したとおり 、三宅氏からすでに謝罪がなされています。 そこで今回は、「地震兵器」問題を取り上げます。 2. 三宅氏は確かに「危うい」と思いますよ 三宅氏は、東日本大震災の当日に、 地震兵器が使用された可能性について述べています 。 それに対して、確認できる事実に基づかないこの発言は、「ただ単に陰謀論を撒き散らして、社会を不安にさせ、情報弱者を扇動させただけ」であると、イケダ氏は指摘しています。 この指摘はまったく正しいと思います。 こうした「危うい」発言については、三宅氏からの訂正が望まれるところです。 なお、地震兵器についてですが、その存在を信じる信じないは、個人個人の自由の範囲内と思います。 ここでの問題は、政治家になろうという方は、そうした曖昧な情報を無闇に流すべきではない、という話です。 3. けれども、イケダ氏のこの「バランス感覚」はどうですか? イケダ氏は、前項の問題点を指摘した上で『「科学的に確認できる真理」に基づくリーダーを』と主張します。 これもまた、非の打ち所のないご意見ですが、この言葉は、参院選東京選挙区に立候補した「無名」の新人に対してではなく、例えば、自民党の安倍総裁に向けてこそふさわしい言葉ではないでしょうか。 こちらのリテラの記事にある 、安倍総理の「TPP断固反対とは言ったことがない」という答弁は、レトリックとも詭弁とも言いがたい、ただの「嘘」にしか思えません。 「科学」がどうとか、「真理」がどうとか言う以前に、過去の自分の発言をなかったものとしてしまうような「嘘」を平然と言えるその姿勢は、「真理に基づくリーダー」からはほど遠いですよね。 イケダ氏ほどの、才能もあり、影響力もある方が、 しかも「三宅不支持」を主張する記事の中で、消極的ながらも 「共産党支持」をおっしゃる

惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言

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前の記事「三宅洋平は惨敗したのか」でも参照しました が、イケダハヤト氏が今回2016年の参院選の投票日の少し前に、東京選挙区から立候補した三宅洋平氏について 「三宅洋平氏は支持できない」との発言をしています 。 このことが、なぜそんなに「惜しい」のか。 それはイケダハヤト氏が、三宅洋平氏の不支持を表明した記事の最後に、『「じゃあ誰がいいのよ?」という質問については……うーん、誰に入れようかなぁ。今回も共産党に入れるしかないのだろうか……』と書いてるからなんです。 そのように書く方であるからには、単純に「支持できない」というのではなく、「こういうことならば支持できる」という言い方もあったのではないかと思うのです。 イケダ氏は、 多数派の自公ではなく、 その対立軸として「期待」される民進でもなく、 あえてここで共産党の名前を出した上に、 三宅氏のビデオを紹介して    『「選挙へのアプローチ」を評価して三宅氏に投票するのは、ありでしょうね』 とまでおっしゃっているのですから、 その方が「大声」で不支持をおっしゃるのは、 ほんとに残念だなぁ……。 「条件付きで支持します」とは言えなかったのかなぁ……。 前の記事でも触れたとおり、ぼくは、イケダ氏が不支持の理由としている問題点[*]に関して、その問題提起はとても意味あるものだと思っています。 三宅氏がこうした疑問に丁寧に答えることができれば、支持層の拡大がはかれると思うからです。 けれど、選挙前の限られた時間の中で、そうした「問題」にひとつひとつ答えられるかどうかは、また別の問題です。 とすると、イケダ氏は消極的であれ、共産党支持の発言をしてらっしゃるのですから、そのような考えの持ち主であれば、その考え方を現実のものにしていくためには、「いくつかの問題はあるが、三宅洋平氏を支持する」という言い方をしたほうがよかったはずだと思うんですよ。 個人個人が、どういう理由で誰に投票するかとか、誰を支持し、誰を支持しない、とかいうことをネット上で表明するということ自体は、まったく自由にすればよいことですけれども、イケダ氏のような、ある程度の影響力を持つ方が、せっかく良い芽を持っている候補者に対して、いくつかの問題発言を取り上げて、全体的に「不支持」と述べるのは、本当に残念なこ

「三宅洋平」は「惨敗」したのか - 2016参院選・やじうま的雑感

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2016.7.10 参院選、改憲派が三分の二の議席数を確保しました。 日本の戦争容認国家化は雪崩を打って進んでいます。 一方、同日の鹿児島県知事選は、原発に反対の立場の三反園訓氏が当選。国レベルと地方レベルでの方向性のよじれを感じる結果です。 参院選の東京選挙区には、前回の参院選比例区に緑の党から出馬し、17万票の得票を得たミュージシャンの三宅洋平氏が立候補しました。 三宅氏は「選挙フェス」と銘打って、音楽を効果的に使うなど、若者の心を捉える選挙活動を行ない善戦しましたが、25万票の得票にとどまり、当選ラインの50万票は大きく下回りました。 ここでお断りしますが、ぼくは三宅洋平氏の主張を全面的に支持するものではありません。 彼の主張に共感する点は多いのですが、ネット上でも取り沙汰されている[*]ように、国政において国民の代理として働いてもらうには、いささか脇が甘いように思えるのです。 ([*] 参照: 都議おときた駿氏のページ 、 イケダハヤト氏のページ ) けれど、上述の二氏のような形で、三宅氏の批判をするつもりはありません。三宅氏の脇の甘さは承知の上で、彼が今後も政治活動を続けるのならば、そういった点での成長を期待するものです。 そうした視点を確認していただいた上で、 メディア学者の藤本貴之氏がblogosに書かれた記事 を踏まえ、「三宅洋平」は「惨敗」したのか、という観点から少し書いてみようと思います。 さて、藤本氏の記事のタイトルは『<三宅洋平氏落選>実態なき支持層が産み出した「選挙フェス」という都市伝説』というものです。 この「都市伝説」ということについて、藤本氏は、 しかし、結果は、三宅氏はダークホースとして当落を争う激戦をすることもなく、普通に落選。三宅氏と彼の率いた「選挙フェス」による急激な支持拡大という情報が、単なる「都市伝説」だったことを露呈する結果となった。 と書きます。 たしかに「選挙フェスによる急激な支持拡大」がなかったことは、事実です。 けれど、重要なのは、前回の参院選比例区で17万票だった三宅氏が、今回は東京選挙区で25万票を取り、「選挙フェス」という手法の健在ぶりを示したことにあるのではないでしょうか。 また、10万票にも届かない候補が多い中で、25万票を獲得した

プロセスワーク - この世の調和を呼び戻す試み

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プロセスワーク、あるいは、 プロセス指向心理学の提唱者、アーノルド・ミンデルの「紛争の心理学」という本 をどこで知ったのかは忘れてしまった。 けれども忘れられないのは、その本の中で、「社会的な葛藤というものは、個人的な葛藤と切り離すわけにはいかない」ことを教えてくれた場面である。 そもそもプロセスワークとは何かというと、ユング派の精神分析家であるミンデルが、タオイズムやシャーマニズムの要素を取り入れ、個人の治療だけでなく、グループでのワークも含め、「その場」で進行中の様々な心理的・身体的過程(プロセス)に注目することによって、問題解決をはかるための技法とでもいうところか。 プロセスワークの考え方としては、 場において意識されている側面である「一次プロセス」と意識されていないところで起こっている「二次プロセス」という捉え方や、 人はその人自身として振舞っている以上に、ある役割(ロール)を演じる立場で行動しているという見方、 更には、グループでワークをしているときに、それぞれの参加者が取っている役割(ロール)ではない、その場に直接現れていない役割(これをゴーストロールと呼ぶ)に注目するなど、 興味深い視点が多々盛り込まれている。 アーノルド・ミンデルは、妻のエイミーとともに、世界各地の「紛争」を抱える数々の地域に赴き、ワールドワークという名のもとに集団討論の場を主催してきた。ワールドワークでは、「紛争」の当事者同士が「対話」をし、互いの理解を深め、「紛争」の解決を目指すために、集団討論を行ない、ミンデル夫妻は心理学的な手法をもって、その討論を舵取り(ファシリテート)する。 そのワールドワークを、北アイルランドのベルファストで行なったときの話が、「紛争の心理学」に取り上げられているのだが、北アイルランドとアイルランド共和国という二つの地域の間の葛藤は、非常に大きなもので、多数の参加者がある中、双方が激しく主張をやり取りすることになる。 そうして、ある男性が激昂して相手を攻撃する言葉を吐き出し続けているときに、ミンデルはその男性の首が真っ赤になっていることに気がついて、次のような発言をする。 「ちょっと待ってください。あなたの首筋が真っ赤になってるじゃないですか。一体どうしたんですか」 すると、男性はふっと我に返り、「いや実は自

怒りの連鎖(カルマ)を断ち切る - ダッカの事件について考えたこと

7月1日、バングラデシュの首都ダッカのレストランを武装集団が襲撃し、人質を取り、立てこもりました。 この事件で、外国人20名が亡くなり、その中には7名の日本人も含まれていました。 また、地元の警官も2名が亡くなり、治安部隊の突入により、武装集団側も6名が死亡しました。 悲惨としか言いようのない事件で、言葉もありませんが、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。 このような事件が起きるたびに、「あいつらは怖い」とか「あいつらをなんとかせねば」といった思いが、どうしてもぼくたちの気持ちの中に起こってくるわけですが、しかし、こうした問題は「あいつら」をなんとかすることで、解決することができるのでしょうか。 暴力に訴えて、社会秩序を乱す行為を容認するわけではありません。 しかし、犯罪行為というものを、犯罪者の罪として断罪するだけでは、問題は解決しないと思うのです。 まず一つあるのは、今回のような事件について「イスラム教徒」が引き起こしたもの、とぼくたちは考えがちですが、穏健なイスラム教徒の人たちから見れば、「イスラム教徒」の名に値しない武装集団の犯罪にすぎない、ということです。 そして、こうした武装勢力が暴力行為を実行する背景には、欧米とそれに追随する国々(日本もその一員です)が、パレスチナに始まり、イラク、アフガニスタン、シリアなどなどのイスラム圏の各国を戦争状態に陥れているという現実があることをまず見る必要があるでしょう。 つまり、これは「彼ら」の責任である以上に「我々」の責任なのだ、とぼくは思うのです。 ですから、問題を根本的に解決するためには、「エネルギー戦略に端を発する、武力による世界的な抑圧構造」を変えていく必要があるわけですが、無論それは一筋縄ではいかないことです。 そのとき、ぼくたち一人ひとりが第一に心がけるべきことは、過ちを犯した人々を赦すことではないでしょうか。 イスラム教徒の人たちが、同胞が殺されていくことに怒りを感じて、爆発させた暴力行為に対して、抑圧構造を支えている側のぼくたちが、怒りをもって応じることは、怒りの連鎖、暴力の連鎖を生むだけで、決して解決につながりません。 相手の怒りに対して、怒りで応じてしまうのは、人間の生理的な反応として当然のことではありますが、しかしまた、その当然起こる反応を、自分の

楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言

以前、 別のサイトにも 書きましたが、過去生の因縁としてのカルマ(業)というものは、ぼくは信じていません。 その代わり、あなたが、お母さん、お父さんから受けた影響、また、お母さんやお父さんが、そのお母さんやお父さん(あなたから見れば祖父母ですね)から受けた影響、そして更にそのまた、そのお母さんやお父さんからの影響、というふうにいくらでも遡っていける先祖代々から受ける影響のことをカルマとして第一に考えたらよいと思っています。 また、持って生まれた素質や、育つ過程で周りの人たちから受ける影響もカルマとして考えられます。 つまり、こうした過去からの影響全体を、カルマとして捉えることができますので、以前書いた記事の続きとして、 こちら や こちら にも書きましたが、この意味でのカルマを落とすためには、まず自分というものをしっかりと見ることが必要で、そのためには、呼吸法や瞑想法の実践が役に立つわけです。 さて、「カルマ落とし」という言葉は、オウム真理教が使ったことで有名になった経緯があります。 しかし、その使い方というのは、「苦行をさせてカルマを落とさせる」とか、「自分の身に悪いことが起きたらカルマが落ちるので喜ぶべき」とか、果ては「悟りを開いた者が他者を殺すことでその人のカルマを落としてやる」などといった大変乱暴なものであり、その挙句に、地下鉄サリン事件を引き起こしてしまい、死者13名、負傷者6,300名にも及ぶ被害者を出し、20年以上を経過した今でもPTSDなどの後遺症を多数の方が抱えておられることを考えると、なんとも痛ましい限りで言葉もありません。 カルマに関わるこうした乱暴な考え方は、世間の多くの人からすれば、愚かしい限りのものでしょうが、多数派の中に入ることができず、悩みを抱えながら日々を送っている人たちの中に、甘い誘いにそそのかされて、そうした悪魔的な道にうっかり足を踏み入れてしまう者があったとして、単純にその人を責めて問題が解決するとは思えません。 そうした人にも、もちろん責任(解くべきカルマ)はありますが、それと同時に、時代全体がおうべき責任(カルマ)があるように思えます。 ナチスドイツのヒトラーにせよ、オウム真理教の松本智津夫にせよ、こうした「怪物」を生み出してしまった時代精神というものを、しっかり認識することが何より大切なこ