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2017年6月29日木曜日

07 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


カルロス・カスタネダの呪術師仲間、フロリンダ・ドナーが描くアマゾン奥地のシャーマニズムの世界。「シャボノ」の翻訳、第七回めを公開します。
NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれる、嬰児殺しの風習をもつヤノマミ族の物語です。

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フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第七回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙25枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第六回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回] | [第六回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします]

若き女性文化人類学者のフロリンダが、アマゾンの森の奥地で、先住民族たちから学んだことはなんだったのか。

どうぞ、お楽しみください。

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第二部
**074**


祭りの日がやってきた。正午からリティミとトゥテミは私に付きっきりで、私を飾り立てようと悪戦苦闘していた。鋭く研がれた一片の竹で、トゥテミは私の髪を慣習に合った形に整え、ナイフ並みの切れ味の草の刃で、私の頭のてっぺんを剃った。足の毛は、植物の樹脂と灰と土から作ったペーストを使ってこすり落とし、きれいに脱毛してもらった。よく噛んで筆状にした小枝を使い、リティミは、私の顔に波打つ線を描き、体中に複雑な幾何学模様を描いた。脱毛のために赤く腫れ上がった両足は、何も描かないままに残された。取らないでくれと私が頼んだループ状のイアリングの上に、彼女は白い羽根の束と一緒に、ピンクの花を一輪結んでくれた。二の腕と手首と足首には赤い綿のひもが結ばれた。
「あ、ちょっと。それはやめてよ」私はそう言って、リティミの手の届かないところまでぱっと逃げた。
「痛くないって」私にそう言ってから、どうしようもないという調子で聞いた。「お婆さんみたいに思われてもいいの? 痛くないからさ」リティミはこだわって私を追い回した。
「放っといてやれよ」ロフトに置いてある木の皮の箱に手を伸ばしながら、エテワが言った。私の方を見ると彼は大笑いをした。大きな白い歯を見せ、目を細めながら、戸惑う私をからかっているようだった。「彼女は恥毛もろくに生えてないじゃないか」
**075** 私はその言葉に助けられ、リティミからもらっていた赤い綿の帯を腰に巻きながら、エテワと一緒に笑った。太く平らな帯の端についた房で、股間が間違いなく隠れるようにして、私はリティミに言った。「これで何も見えないでしょ?」
リティミは全く感心しない様子で肩をすくめ、自分の恥部の余分な毛の始末を続けた。
エテワの褐色の顔と体には、濃い色で円とアラベスク模様が描かれていた。腰の帯の上には、赤い綿の太糸で編まれた丸くて太い飾り帯を締めている。二の腕には猿の毛皮でできた細い帯を巻き、その毛皮には、自分で木の皮の箱から選んだ黒と白の羽根を、リティミにつけてもらっていた。
アラスウェの妻の一人が、朝のうちに用意しておいた、ねばつくやにのペーストを、リティミは手の指につけて、エテワの髪全体に塗りつけた。すかさずトゥテミが、別の箱から手に一杯の白い羽毛を取り、エテワの頭に振りかけた。羽毛でおおわれた頭は、白い毛皮の帽子をかぶっているかと見間違えるほどだった。
「祭りはいつになったら始まるの?」私はそう言いながら、草取りをして、すっかりきれいに掃除してある広場から、男たちの一団が山ほどのプランテンの皮を運び出すのを見ていた。
「プランテンのスープと全ての肉の用意ができたらね」エテワはそう言って、誇らしげにぐるりと歩き、私たちが彼の姿をあらゆる方向から見られるようにした。唇には笑みが浮かび、まだ細めたままの目は楽しげだった。彼は、私の方を見ると、口からタバコの塊を取り出して、割ったひょうたんの上にタバコの塊を置いた。自分のハンモックの向こう側へと唾を吐くと、それは鋭く力強い弧を描いて飛んだ。自分の装いに満足し、悦に入っている者ならではの自信を表しながら、彼はもう一度私たちの方に向き直り、それから小屋を出ていった。
幼いテショマがべたつくタバコの塊を手に取った。それを口に入れて満足気にしゃぶる様子は、私ならチョコレートのかけらにかじりついたときに匹敵するほどのものだった。タバコの塊が半分ほど口からとびだしており、少女の小さな顔は、歪んでグロテスクに見えた。少女はにこにこ笑いながら私のハンモックに登ると、あっという間に寝てしまった。
隣の小屋で首長のアラスウェがハンモックに横になっているのが見える。バナナを調理し、肉をローストするのをそこから監督しているのだ。肉はニ、三日前に狩りに出たものたちが取ってきた獲物である。何人かの男たちが、組立工場の労働者さながらの素早い動作で、数えきれないほどのプランテンの房を調理していた。ある者は鋭い歯を皮に立て、皮に割れ目を作った。別の者は固い皮を剥き、木の皮の鍋にその実を放り込んだ。鍋は朝早いうちにエテワが組み立てたものだ。そして、また別の男が、鍋の下の三つの小さな焚き火の番をしている。
「男しか調理をしないのはどうしてなの?」私はトゥテミに聞いた。女が大きな獲物を調理しないのは知っていたが、プランテンに近づく者すらいないことを不思議に思ったのだ。
「女たちは不注意すぎるからな」アラスウェがこちらの小屋に入ってきて、トゥテミの代わりに答えた。その目は、自分の言葉に反論はないかと、挑むかのように見えた。微笑みながら、彼はつけ加えた。「女どもときたら、すぐに気が散って、木の皮をみんな燃しかねん」
私が何か言う間もなく、彼は自分のハンモックに戻ってしまった。「今のを言うためにわざわざ来たのかな?」
「違うわ」リティミが言った。「あなたを見に来たのよ」
始末していない恥毛のことをリティミに思い出してほしくなかったので、アラスウェの眼鏡に適ったかどうかを聞くのは気が引けた。「見て」私は言った。「お客さんが来たわ」
「あの人がプリワリウェ、アンゲリカの一番上のお兄さんよ」男の集団の中にいる一人の老人を指して、リティミが言った。「恐ろしいまでに偉大なシャポリなの。一度殺されたのに死ななかったんだから」
「一度殺されたのに死ななかった」その言葉をゆっくり繰り返して言いながら、文字通りに受け止めるべきなのか、それとも言葉の綾にすぎないのだろうかと、私は考えた。
「彼は襲撃のときに殺されたんだ」エテワが小屋に入ってきながら言った。「死んで、死んで、死んで、それでも死ななかった」**077**唇の動きを強調しながら、はっきりとそう言った。そうすることで、自分の言葉の本当の意味が私に伝わるとでもいうかのようだった。
「今でも襲撃はあるの?」
私の問いに答えるものは誰もいなかった。エテワは梁の陰に置いてあったきびの長い筒と小さなひょうたんを手に取り、小屋をあとにすると、広場の真ん中でアラスウェの小屋に向かって立っている客に挨拶に行った。
男たちが次々と居住地に入ってくるのを見て、女は祭りに招かれていないのだろうかと不思議に思い、訊ねた。
「女たちは外よ」リティミが答えた。「男たちがエペナを摂っている間、他の客と一緒に外でおめかしをしてるわ」
首長のアラスウェ、その兄弟のイラマモウェ、エテワ、そして他に六人のイティコテリの男たちは皆、たくさんの羽根、毛皮、赤いオノトのペーストで飾り立てており、すでにしゃがんでいる客たちと向かい合う形でしゃがみ込んだ。彼らはしばらくの間、互いに目を合わせることなく話をした。
アラスウェは首から下げていた小さなひょうたんを外すと、茶色がかった緑の粉をきびの筒の片方の端から注ぎ込み、アンゲリカの兄であるプリワリウェ老と向かい合った。きびのその端をシャーマンであるプリワリウェの鼻に当て、アラスウェは力を込めて、幻覚作用のあるその粉を、その鼻の穴へと吹き込んだ。エペナを摂るとき、他の男がたじろぎ、呻き、よろめくのを見たことがあったが、プリワリウェは微動だにしなかった。しかし、彼の目はかすんだようになり、じきに鼻と口から緑色の汚物が流れだした。彼は小枝を使って汚物を払った。ゆっくりと彼は唱いを始めた。とても小さな声だったので、他の者たちの呻きにかき消され、言葉は聞き取れなかった。無表情で動きがない目をして、鼻水とよだれをあごと胸に滴らせたまま、アラスウェは宙に跳び上がった。耳と腕に飾られた金剛インコの赤い羽根が、体の周りをはためいた。彼は繰り返し跳び上がったが、着地するときの軽やかさは、彼ほどがっちりした男には不可能としか思えないものだった。その顔は石の彫像のようで、まっすぐに揃えた前髪が突き出た額にかかっている。**078**鼻腔が開いた大きな鼻と呻りを上げる口元は、日本の寺で見た四天王の一人を思い出させた。
男たちのうちには、ふらふらとその場を離れていき、頭を抱えて嘔吐している者もいた。プリワリウェ老の唱いの声が大きくなった。一人また一人と男たちは再び彼の周りに集まってきたた。男たちはしゃがみ込み、腕で膝を抱え、その目は自分たちだけに見えるどこか不可視の場所をさまよっている。シャポリの唱いが終わるまで、男たちはそのまま静かにしていた。
イティコテリの男たちは、それぞれが一人の客を伴って自分の小屋へと戻った。アラスウェはプリワリウェを招いた。エテワは嘔吐していた若い男の一人と一緒に小屋へ戻ってきた。その客は私たちの方を見ることもなく、自分のものであるかのような自然さでエテワのハンモックに入り込み、体を伸ばした。まだ十六歳にもならないくらいの若者だった。
「イティコテリの男たちの中には、エペナも摂らないし、身を飾りもしてない人がいるけど、どうしてなの?」私はリティミにそっと聞いた。リティミは忙しそうに、エテワの顔をきれいにし、オノトで模様を描き直している。
「明日にはみんな身を飾るわ。明日から何日かはお客さんももっと来るし」彼女は言った。「今日はアンゲリカの親戚のための日だから」
「でも、ミラグロスはいないじゃない」
「ミラグロスなら今朝戻ったわ」
「今朝ですって?」信じられない思いで私は聞いた。エテワのハンモックで寝ている若者が、目を大きく見開いて私を見ると、再び目を閉じた。テショマが目を覚まし、むずかり始めた。私は彼女を落ち着かせようと、地面に落ちてしまったタバコの塊をその口に入れようとした。テショマはいやいやをし、更に大きな声で泣き出した。私は彼女をトゥテミに任せた。トゥテミはテショマが落ち着くまで前に後ろにゆらゆらと揺らしてやった。どうしてミラグロスは戻ってきたことを私に教えてくれなかったんだろう。怒りと傷つけられた思いを感じながら、私はそう思った。目には自己憐憫の涙が溢れた。
「ほら、ミラグロスが来たよ」シャボノの入口を指してトゥテミが言った。
**079** 男と女、それに子どもたちの一団を引き連れて、ミラグロスはアラスウェの小屋へとまっすぐに進んだ。目と口の周りには、赤と黒の線が丸く描かれている。呪文にかけられたように私は彼の頭に巻かれた猿の黒い尻尾に見入った。その尻尾からは色とりどりの金剛インコの羽根が吊るされており、毛皮の腕帯を飾る羽根もそれに合わせてあった。祭りでする普通の帯ではなく、明るい赤い色をした腰布を巻いていた。
ミラグロスがハンモックに近づいてくると、私は説明のつかない不安で一杯になった。彼の硬くこわばった表情を見ると、自分の胸が恐ろしさでどきどきするのを感じた。
「ひょうたんを持ってくるんだ」スペイン語でそう言うと、向きを変え、プランテンのスープで一杯の木の皮の鍋に向かった。
誰もが私には一切関心を示さないまま、ミラグロスについて広場へ歩いていった。私は黙ったまま自分のかごに手を伸ばし、地面に置くと、持ち物をすべて取り出した。
森の中、腰の周りに結んで運んだときにはとても軽かったはずのひょうたんが、冷たくこわばった手に重く感じられた。
「鍋の中に中身を空けるんだ」ミラグロスが言った。今度もスペイン語だった。
「でも、スープで一杯じゃない」私は愚かにも言った。声は震えていた。手も思うように動かない。やにでした栓をひょうたんから外すことができないのではないか思うほどだった。
「空けるんだ」ミラグロスは再びそう言って、優しく私の腕を傾けた。
私はぎこちなくしゃがみ込むと、焼かれて細かい粉になった骨をゆっくりとスープの中に入れた。どろりとした黄色いスープの表面に、黒っぽい小さな山ができていくのを、私は催眠術にかけられたかのように見ていた。そのにおいで私は気分が悪くなった。灰は沈んでいかなかった。ミラグロスが自分のひょうたんの中身を更にその上に空けた。女たちがむせび泣きはじめた。私もそれに加わるべきなのだろうか。けれど、どう頑張っても涙の一滴も出ないだろうことが私にははっきりしていた。
何かが割れる鋭い音に驚き、私は背を伸ばした。マチェーテの柄で、ミラグロスが二つのひょうたんを真っ二つに割っていた。そして彼は骨の粉をスープに混ぜ込み、黄色いスープ全体が濁った灰色になるまでよくかき混ぜた。
スープで満たされたひょうたんを彼が口元に持っていき、ゆっくりと一息に飲み干すのを私は見守った。手の甲であごを拭うと、ひょうたんを再びスープで満たし、私に手渡した。
恐る恐る私は、自分を取り巻く人々の顔を見た。誰もがじっと私の一挙手一投足を見つめており、その目はもはや人間のものとは思えなかった。女たちのむせび泣きは止んでいる。自分の鼓動が、いつもより速く打つ音が聞こえた。口の渇きを何とかしようと何度も唾を飲み込みながら、私は震える手を伸ばした。そして私は目を閉じると、どろりとした液体を一息に飲んだ。意外なことに、甘く、少し塩気のあるそのスープは、私の喉をすっと通っていった。空になったひょうたんを私から受け取りながら、ミラグロスは表情を緩め、かすかな笑みを浮かべた。私は立ち上がると向きを変え、ゆっくりと歩いたが、吐き気で胃がおかしくなっていた。
甲高いお喋りと笑い声が小屋から聞こえてきた。シシウェが友だちに囲まれて地面に座り込み、私が散らかしたままにしていた持ち物を一つ一つ友だちに見せていた。自分のノートが囲炉裏にくべられ、くすぶっているのに気がついたとき、吐き気が怒りに取って代わった。指がやけどをするのもかまわず、私がノートの焼け残りを囲炉裏から取り出そうとすると、子どもたちは驚きながらも私に笑いかけてきた。子どもたちの顔に浮かんだ戸惑いの表情は、私が泣いているのに気がつくと、ゆっくりと驚きの表情になっていった。
**081** 私はシャボノから走り出し、川へ向かう道を行った。胸には焼け残りのノートを抱きしめていた。「布教所に連れ帰ってくれるようにミラグロスに頼もう」私は涙を拭いながら、ひとりごちた。その考えがあまりにばかげたものに思えて、私は思わず笑い出してしまった。頭の天辺を剃っているというのに、どんな顔をしてコリオラーノ神父に会ったらいいというのだろう。
水辺にしゃがみ込み、指を喉に突っ込んで吐こうとしたが無駄だった。疲れ果て、水の上に顔を出している平らな岩の上に仰向けに寝そべって、ノートの焼け残りを調べてみた。涼しい風が髪を撫でた。うつ伏せになると、石のぬくもりが体に伝わってきた。のんびりとした気持ちが全身に広がり、怒りも疲れも全て溶かし去ってくれた。
澄んだ水に自分の顔が映らないかと見てみたが、風が水面を乱して、川は何も映してくれなかった。川岸に沿って並ぶ暗い色をした水溜りには、明るい緑の草木が、雲のようにぼんやりとその像を映していた。
「ノートを川に流してやれ」ミラグロスが、岩の上、私の隣に座って言った。突然彼が現れても私は驚かなかった。彼が来るのを待っていたのだ。
頭を少しだけ動かして静かにうなずくと、岩の上から川面へ手を伸ばした。私は握っていた指を開いた。焦げたノートが水の中へ落ちるかすかな水音がした。ノートが川下に流れていくのを見つめながら、私は背負っていた重荷を下ろしたように感じていた。「布教所には行かなかったのね?」私は言った。「アンゲリカの親戚を連れてくる必要があるって、どうして教えてくれなかったの?」
ミラグロスは答えず、ただ川の向こうを見ていた。
「あたなが子どもたちに、私のノートを焼くように言ったの?」私は聞いた。
顔を私の方に向けたが、黙ったままだった。すぼめた唇はがっかりとした気持ちをうっすらと表しているようだったが、私にはその意味は分らなかった。ようやく口を開くと、声の調子は柔らかかったが、自分の意志に逆らって無理にそうしているようだった。
「イティコテリの者たちは、他の居住地の者たちと同じように、何年もの間、森の奥へ奥へと移り続けている。**082**布教所や白人が使う大きな川から遠ざかってな」
彼は顔の向きを変え、とかげが石をぎこちなく這うのを見た。とかげは目ぶたのない目で私たちをちらりと見たかと思うと、石の陰へ姿を消した。「逆のやり方を選んだ居住地もある」ミラグロスは続けた。「〈理性の者〉たちが持ってくる物を選んだのだ。森だけが自分たちを守ってくれるということが分らなかったのさ。気がついたときにはもう遅い、白人にとって先住民族など犬以下の存在だというのにな」
二つの世界のはざまでずっと生きてきた自分には、白人の世界では先住民族には全く望みはないのが分るのだと、彼は言った。白人の中にも先住民族の中にもそれとは逆のことを信じ、あるいは現にそうしている者が少数ながらいるにしても、そのことに変わりはないのだ。
私は人類学者とその仕事について、慣習や考え方を記録することの重要性について話した。彼が以前言ったように、その慣習や考え方は消え去り、忘れ去られる運命にあるのだ。
あざ笑うような小さな笑みで彼の口元が歪んだ。「人類学者のことなら知っている。一度、情報提供者として働いたこともあるしな」そう言って、彼は笑い出した。笑い声は高かったが、その顔には表情がなかった。目は笑っておらず、敵意に輝いていた。
彼の怒りが直接私に向けられているとしか思えず、私ははっとした。「私が人類学者だって知ってるでしょ」ためらいながら私は言った。「イティコテリの情報をノート一杯に書き込むのを手伝ってくれたのはあなた自身だし、小屋から小屋に連れて行ってくれて、私に話してくれるように、あなたたちの言葉や慣習を教えてくれるように、みんなに言ってくれたんじゃない」
ミラグロスは、感情のかけらも表さずに座っていた。模様の描かれた顔は無表情な仮面のようだった。彼を揺さぶってやりたいと思った。私の言葉など聞こえていないかのようだった。彼は、暮れゆく空を背にすでに黒々と浮かぶ木々を眺めていた。私は彼の顔を見上げた。彼の頭が空を背にくっきりと黒い影となって浮かび上がっていた。燃えるように赤い金剛インコの羽根と猿の毛皮の紫のたてがみが、空に色鮮やかな線を描いているように見えた。
**083** ミラグロスは悲しげに首を振った。「お前はここに仕事をしに来たわけじゃない。仕事なら布教所の近くの居住地でやっていればよかったんだ」目ぶたの際に涙が溜まった。涙は太くて短いまつ毛に移って輝き、震えた。「我々の人生のあり方と考え方という知恵をお前は受け取ったんだ。だからお前は我々の生き方のリズムで動くことができるし、守られていると感じ安心していられる。それは純粋な贈り物であって、何かに使ったり、誰かに与えたりできるようなものじゃない」
涙で潤み、輝く彼の目から、私は視線をそらすことができなかった。彼の目に憤りの感情はなかった。その黒い瞳に、自分の顔が映るのが見えた。アンゲリカとミラグロスの贈り物。ようやく私にも理解ができた。私が森の中を導かれ、連れて来られたのは、人類学者の目で彼らの仲間を見るためではなかったのだ。自分が見聞きしたものを、ふるいにかけ、判断し、分析する、そういうことをするためではなく、アンゲリカならば最後にもう一度したに違いないやり方で、仲間たちと出会うためだったのだ。アンゲリカもまた自分の時代、自分の仲間たちの時代に終わりが近づいていることを知っていたに違いない。
私は視線を水面に落とした。自分が時計を落としたことに気づいていなかったが、散らばる小石の間に時計は横たわり、水の中、小さな光るいくつもの点の不安定な像が、集まって現れたり、ばらばらになって消えたりしていた。時計バンドの金具が切れたのだろうと思ったが、森の向こうの世界との最後のつながりであるその時計を取り戻そうとはしなかった。
ミラグロスの声で私の夢想はさえぎられた。「ずいぶん昔のことだ。大きな川に近い居住地にいるとき、人類学者のために働いたことがある。その男はシャボノで我々と一緒に暮らすことはせず、丸太の柵の外に自分用の小屋を立てて住んだ。小屋には壁も扉もあり、扉には中からも外からも鍵がかけられるようになっていた」ミラグロスはそこで一呼吸置き、しわの寄った目の周りの乾いてしまった涙を拭い、私に訊ねた。「俺がその男に何をしたか、知りたいか?」
「ええ」ためらいながら私は言った。
**084**「俺はそいつにエペナをやった」ミラグロスは少し間を置き、私がとまどうのを楽しむかのように微笑んだ。「その人類学者は、聖なる粉を吸った誰もと同じように振舞った。シャーマンと同じビジョンを見たと言ってたな」
「何もおかしなことはないじゃない」ミラグロスの自慢気な調子に、少し苛立って私は言った。
「いや、ある」彼はそう言って笑った。「わしがそいつの鼻の穴に吹き込んでやったのは、ただの灰だったんだからな。灰など鼻から吸い込んでも、鼻血を出すのが関の山だ」
「私にも同じことをするつもりなの?」私はそう訊ねてから、自分の声に自己憐憫の気持ちがはっきり表れていることに気づいて赤くなった。
「アンゲリカの魂の一部をお前にやった」優しくそう言いながら、彼は足元の危うい私に手を貸してくれた。
シャボノの境界から向こうは暗闇に溶け込んでしまったかのようだった。おぼろな光の中、周りはよく見えた。木の皮の鍋の周りに集まっている人々は、森の生きものを思わせた。彼らの輝く目に、焚き火の灯りが映っていた。
私はハヤマの隣に座り、肉をひとかけらもらった。リティミが頭を私の腕にこすりつけてきた。幼いテショマは私の膝に座った。慣れ親しんだ匂いと音に守られ、私は満ち足りた気持ちになった。周りにいる人たちの顔を熱心に見つめ、この中の何人が、アンゲリカと血のつながりがあるのだろうと思った。彼女の顔と似た顔は一つもなかった。前にはよく似ていると思ったミラグロスの顔でさえ、今は違って見えた。彼女の顔がどんなだったのか、多分もう忘れてしまったのだろうと、私は悲しく考えた。すると焚き火から伸びる一条の光の中に、彼女の笑顔が浮かび上がった。私は頭を振って、その幻を消そうとし、そして自分が見ているのはシャーマンのプリワリウェ老であることに気がついた。彼は人々の集団から少し離れたところにしゃがんでいた。
彼は小柄で痩せており、しなびたような老人で、肌の色は茶色がかった黄色だった。腕と足の筋肉はもう萎えていた。**085**しかし、その髪はまだ黒く、頭の周りで少し縮れていた。彼は着飾っておらず、身に着けているのは腰の周りに巻いた弓の弦だけだった。あごから垂れるまばらな髭と少しばかりの口ひげが上唇の際に影を作っている。深くしわの寄った目ぶたの下で、彼の目は焚き火の灯りを反射して、二つの小さなライトのように見えた。
あくびをして、洞穴のような口を開けると、黄色くなった歯が鍾乳石のようにぶら下がっているのが見えた。彼が唱いを始めると、笑い声とお喋りが止んだ。その唱いの声は、別の時間、別の場所に属するものとしか思えないものだった。彼は二種類の声を使い分けた。一つは喉から出す甲高い声で、恐ろしさを感じさせた。もう一つは腹から出す深い声で、気持ちを落ち着かせるものだった。
他の者たちがそれぞれのハンモックに引き上げ、あちこちの焚き火が燃え尽きてしまった随分あとになっても、プリワリウェは広場の真ん中の小さな焚き火の前にしゃがんだままでいた。低い調子で唱いを続けている。
私はハンモックから抜け出すと、彼の隣にしゃがみ込み、尻が地面に着く姿勢を取ろうと試みた。イティコテリの人々によれば、何時間もの間しゃがんだままで、すっかりくつろいでいるためには、その姿勢が一番ということだった。プリワリウェは私の方を見、私の視線を認めると、宙を見やった。私が彼の考えの連なりを邪魔したとでも言うかのようだった。ぴくりとも動かなかったので、彼は眠りに落ちたのだという、奇妙な印象を持った。すると彼は足から力を抜くことなく尻を地面の上でずらし、再び徐々に唱いを始めた。その声はかすかなつぶやき程度のもので、私には一言も聞き取れなかった。
雨が降り始めたので私はハンモックに戻った。雨粒が優しく椰子葺きの屋根を打ち、不思議な夢遊状態に誘うリズムを刻んだ。もう一度広場の真ん中を見たときには、老人はもうそこにいなかった。そして暁が森を照らし始める頃、私は時間のない眠りの中に滑りこんでいったのだった。

[続く]

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☆第一回〜第六回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回] | [第六回]

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2017年6月25日日曜日

スティーブ・ジョブズ、LSD、瞑想、そして悟り


スティーブ・ジョブズは、アップル社を作り、業績の悪化から一旦はその自分の会社を追い出されたにも関わらず、再び CEO に返り咲きました。

そして、iphoneやipadをこの世に送り出して、アップルを世界のトップ企業にするという離れ業をやってのけました。

そのジョブズが、LSDについてこのように語っています。

LSDはぼくに本当に深い体験をもたらした。ぼくの人生の中で、一、二を争う重要なできことだ。
LSDは、ものごとには表でも裏でもない、まったく別の見方があることを教えてくれる。効き目が切れると、そのことは思い出せなくなってしまうのだけれど、それが確かにあることは、もう分かっているんだ。
自分にとって何が大切なことなのかを、LSDは再確認させてくれた。金儲けのためじゃなく、本当にすごいものを作り出すこと、そして、ものごとを、歴史の流れや、人類の意識の流れに引き戻しやること。そうしたことを自分の限界までやることの大切さが、LSDのおかげで確かなものになったんだ。

[goodread.comより]

*  *  *

LSDとは一体なんでしょうか?

LSDは、リゼルグ酸ジエチルアミドと呼ばれる化学物質で、人間の精神に対して極めて強力な影響を及ぼすため、日本を含め、多くの国では法律で規制されています。

0.15ミリグラム程度の少量でも、知覚や感覚へ大きな変化をもたらし、幻視の体験が起こったりします。

また、思考が混乱したり、逆に普段の状態では得られない明晰な思考が訪れる場合もあります。

DNAの二重螺旋構造を発見したフランシス・クリックは、そのアイディアを思いついたときに、LSDを使っていたのではないか、という説もあるほどです。
[Andy Roberts "Francis Crick, DNA & LSD" によれば、「都市伝説にすぎない」ということですが]

こうした効果を考えるとき、LSDを「意識の拡張」をもたらす物質と呼ぶこともできるのですが、一方、心理的な準備が十分できていない状態で、服用量が多すぎた場合には、「致命的な結果」につながる場合もありえますので、ただの好奇心から「遊び」で手を出すような物質ではありません。

LSDの服用量とその効果については、英語ですがこちらに詳しい説明があります。

[このリンクはreddit.com のものですが、元ネタはrollitup.orgにあります]

なお、ぼく自身はLSDの経験はありません。

*  *  *

さて、ジョブズはLSDで得た体験を、彼のビジネスにおける壮大なビジョンを実現するために使ったわけですが、それを「悟り」を得るために使おうとする人もいます。

英語の記事ですが、「LSDと悟り」について、とてもおもしろい書き込みを見つけました。

[LSD and the Enlightened State of Mind]

この内容を要約しますと、(書き手は MetaCognition さんなので、メタコさんとします)

・メタコさんは、人生を通して「存在の真実」を求めてきました。

・はじめのうちは自分の思考や、自分の周りの行動について内省的分析していました。

・数年前からマリファナやLSDなどを使って変性意識についての実験をするようになりました。

・けれども、そうした薬物を常用しているわけではなく、たまにマリファナを吸い、稀にLSDを使う程度で、この書き込みをしている時点で、最後にLSDを使ったのは一年近く前のことだといいます。

・そして、メタコさんは数週間前から、一日二回、一回一時間の瞑想を始めたというのです。

・すると瞑想によって、LSDを使っているときとほぼ同じ意識の状態が得られることに気がつきました。

・メタコさんはもともと無神論者でスピリチュアルな考えなどばかにしていましたが、LSDを使うことで、すべての存在がつながり合っていること、毎日の平凡な経験のうちに潜む美しさなどを体験して、いわゆる「悟り」という、神秘的な状態があることを知ります。

・もちろん、その体験は薬の効果が切れればぼやけていってしまうのですが、それが瞑想をすることで再現することができることが分かり、日々瞑想をしているうちに、ごく簡単にその状態に入ることができるようになったというのです。

なお、アップルのジョブズも、LSDの経験があるだけでなく、座禅による瞑想を実践していたことも、ここにひとこと書いておきましょう。

*  *  *

この話を読んで早合点をしてほしくないのですが、これはあくまでメタコさんという個人の体験であって、

「LSDを使ってから瞑想をすれば誰でもこうなれる」

というわけではありません。

メタコさんは、長い内的な探索のあとで、LSDなどの薬物を試し、それも使いすぎて依存するようなことはなく、適度な距離をもって実験をした上で、瞑想に辿り着いたために、すべてのことがうまく咬み合って、極めて稀なほど簡単に、深い瞑想体験を得ることができたものと考えられます。

ネット上を見ていると、薬物の摂取は瞑想に役立たないから、決して手を出してはいけない、というような主張を見かけます。

けれども、このメタコさんのような例を考えれば、あらかじめ薬物で「悟り」あるいは「悟りに似た状態」を体験しておけば、瞑想をしたときにそれを再現しやすくなることは、十分に考えられると思うのです。

もちろん、薬物には法律による規制もありますし、服用量を間違えれば事故にもつながりかねませんので、安易な使用は決してすすめられるものではありません。

けれども、「悟り」を真摯に探求する方が、瞑想だけではある段階を超えられないときに、十分に下調べをしたうえで、自己責任において使う場合には、一つの選択肢としてこれも検討に値すると思うのです。

*  *  *

ここで、ちょっとぼくの経験を書いてみましょう。

LSDに似た効果を持ち、けれどもLSDほど強力な作用は持たないシロシビンという物質があります。

マジックマッシュルームと呼ばれるきのこに含まれる成分で、このきのこを乾燥したものは、2002年に規制されるまでは、日本でも普通に手に入れることが可能でした。

シロシビンは、LSDより作用は少ないのですが、似たような幻覚性があり、

・音の聞こえ方が変わったり(ぼくの場合、音楽がすごくよく聴こえ、ふだん聴こえていない音までくっきり聴こえてきたりしました)、

・ありえないものが見えたり(空の雲が怒ったマシュマロマンのような怖い顔に見えました)、

・不思議な考えがふっと訪れたり(ジャマイカ辺りのレゲエの人たちが、音楽をやりながらマリファナを吸っているイメージがぼんやり浮かんで、あー、彼らもこのきのこから得られるものと同じものを求めて、マリファナをやってるんだなー、と思いました)、

といったことが起こりえます。
(もちろん、人によって体験の内容はそれぞれです)

ぼくは今、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想をしていますが、振り返って考えてみると、その当時のきのこの経験が今の瞑想につながっていることを感じます。

つまり、きのこのときの経験と、瞑想が深まったときの経験には、確かに似たものがあるってことなんです。

とはいえ、ぼくの場合はメタコさんの場合とは違い、瞑想だけで得られる体験は、

「似たものがある」

という程度であって、

「ほぼ同じ」

とまで言えるようなものではありません。

ぼくの場合は、もう一段階の修行か揺さぶりが必要なものと思われます。

*  *  *

というわけで、以上、LSDやシロシビンなどの化学物質が、瞑想の体験に役に立ちうる、という話でした。

ただし、以上の物質は日本では法律で規制されており、また、精神の崩壊や致命的な事故につながる恐れもあるものですので、くれぐれも安易な気持ちでお使いにならないようにお願い申し上げます。

[2017.06.25 ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想の総本山、インド・イガットプリにて。那賀乃とし兵衛]

[追記] なお、シロシビンや変性意識については、こちらの記事でも書いておりますので、よろしければお読みください。

[不思議なきのこを科学する - そして瞑想と悟りへ]

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☆こちらもどうぞ

[本の紹介:「呪術師カスタネダ」]

[本の紹介: 不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」、アマゾンの奥地のヤノマミ族の暮らし]

[楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言]

[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]

[気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

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2017年6月15日木曜日

共謀罪法成立の日に、100年後の世界を見据えて


今日、2017年6月15日、共謀罪法が成立しました。

市民活動家の田中優さんが、今日付けのメイルマガジン
[第596号:共謀罪成立]
で共謀罪法の成立について、

「共謀罪法を死文化させてしまうこと」と、

「共謀罪法が実際に適用されたときには、違憲立法であることを主張すること」そして、

「この法律ができたからといって萎縮してしまうことなく、今までどおり、
しっかり意見を表明していくこと」

の重要性を述べています。

優さんの指摘は正論ですが、現実の日本の政治情勢を見ると、楽観は許されません。

日本政府が共謀罪法を使って、ただちに反対勢力の弾圧を始めるとは思えまないものの、政府の意向に沿わない個人や団体に対しての圧力は、今以上に強くなっていくことでしょう。

こうした逆境の中で、ぼくたちにできることは何なのでしょうか。

[安倍マリオをぶっ飛ばせ、あるいはぼくらの未来への責任 ]
にも書きましたが、無茶苦茶を平気で通す「総理」や「政府」に怒りが湧くのは自然です。けれども、「怒っているだけ」では状況は変わりません。

たとえば、原発推進への対案として、太陽光とバッテリーによる「オフグリッド」を提案していくような、具体的な取り組みが大切だと思われます。

また、[改憲に王手。ニッポンはホントーに大丈夫なのか?]
に書いたように、日本の「重苦しい空気」に閉じ込められることのないように、視野を大きく広げることも大切でしょう。

現在の世界情勢を見れば、欧米的な合理主義や民主主義も必ずしも万能ではないと思われます。

そのときむしろ、先住民族の知恵や、宗教の叡智に学ぶことも多いはずです。

原子力を不可欠とするような間違った科学技術主義にだまされないためには、単なる論理では不十分に思えます。

文化的相対主義を踏まえた上で、「真・善・美」といった基本的な価値へと思いを巡らすことも必要なのではないでしょうか。

いずれにせよ、この「逆境」が簡単に流れを変えることはないでしょう。

72年前に敗戦という形で終わりを迎えた戦争は、日中戦争から数えても15年間という長い期間の「逆境時代」でした。

ですから、ぼくたちは、10年、20年の単位でものごとを考える必要がありますし、それには、50年後、100年後を見据えることも必要でしょう。

そうやって自分たちの子孫のことまで視野に入れることができたとき、ぼくたちの日々の地道な活動に、新たな価値が生まれることになるのだと思います。

ニッポンの「淀んだ空気」に当てられてしまわず、一日いちにちを大切に生きていこうではありませんか。

以上が、民主主義国家としての戦後日本の転換点になるかもしれない、共謀罪法成立の日に、インドのムンバイの安宿から、日本のみなさんに向けたメッセージです。

最後までご拝読ありがとうございました。

☆こちらもどうぞ

[アウシュビッツ、新潟知事選、安倍政権]

[三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない]

[なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか]

[「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行]

2017年6月2日金曜日

人の世の闇の深さの現れか / 元TBSテレビ・ワシントン支局長・山口敬之氏のレイプ疑惑について一言


はてなのブックマークで
[【レイプ告白】「あの夜、なにがあったのか」詩織さんと山口氏 それぞれに聞いた]
という記事についての kk3marketerさんのコメント「闇深い」を見て、何がどう「闇深い」のか気になりました。

当該の記事を見る限り、法的な処分の妥当性はともかくとしても、元TBSテレビ・ワシントン支局長・山口敬之の、就職をネタに若い女性と会い、ことに及ぶという行動は、倫理的に完全に「アウト」なものと思われ、そういう人物が「立派」なジャーナリストとして活躍している世の中というもの自体が十分「闇深い」ものと思われます。

また、山口氏の不起訴処分に何らかの「力」が働いたと考えるのも至極当然であり、それがどういう筋からのものであれ、被害にあった女性の立場を考えれば、ニッポンという国の法治国家としての機能はポンコツ同然としか言いようがなく、これはむしろ「病み深い」というべきでしょうか。

ところが、この事件に関してネットを検索してみると、この女性が今のタイミングで記者会見を開いたことには、「女性の人権」という表向きの問題とは別に、政治的な「生臭い」意図を感じざるを得ない事実に突き当たります。

この女性の代理人弁護士の所属事務所からして、バックには民進党の力が働いているとの事実です。

「女性の人権」を守るためには、当然山口氏は起訴されるべきであり、山口氏の行為の是非は法廷で争われるべきものと考えますが、こうした「法的な争い」が「政争の具」として使われているとすれば、なんとも「闇深い」世の中ではありませんか。

ぼくは安倍政権の政策には基本的に反対ですが、こんな程度の揺さぶりで盤石の安倍政権の基盤が揺らぐものとは思われませんし、こういうやり方は「まっとう」なものとは言えないでしょう。

政治というものが「清い」だけのものでないことは、いたしかたのないことかもしれませんが、現状の政治が、利権を争う集団同士のこのような「縄張り争い」にすぎないことを考えると、その行く先はいったいどうなることかと、深い危惧を感じざるをえません。

ぼくたち国民の一人ひとりが、五十年先、百年先の未来を見据えて、考え、行動することの必要を感じる所以です。

2017年6月1日木曜日

06 フロリンダ・ドナー「シャボノ」 -- アマゾンの奥地・ヤノマミ族の暮らし


カルロス・カスタネダの呪術師仲間、フロリンダ・ドナーが描くアマゾン奥地のシャーマニズムの世界。「シャボノ」の翻訳、第六回めを公開します。
NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも描かれる、嬰児殺しの風習をもつヤノマミ族の物語です。

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06 フロリンダ・ドナー「シャボノ」
フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第六回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙28枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第五回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回] | [第四回] | [第五回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

今回より第二部に入り、若き女性文化人類学者のフロリンダが、いよいよ森の奥の先住民族たちと暮らし始めます。

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第二部


**062**
「それで、いつ戻ってくるつもりなの?」六ヶ月後、布教所のコリオラーノ神父宛ての手紙を渡しながら、私はミラグロスに訊ねた。その手紙には、少なくともあと二ヶ月はイティコテリの人々のところにいるつもりだと、簡単に書いた。また、カラカスにいる友だちに連絡してくれるように頼み、そしてこれが一番大事なことだったが、手に入るだけのノートと鉛筆をミラグロスに持たせてくれるようお願いした。「ねえ、いつ戻るの?」私はもう一度聞いた。
「二週間かそこらだ」ミラグロスは何気なくそう言って、竹製の矢筒に手紙を入れた。そして、私の顔に不安の色を見て取ったのだろう、言葉を付け加えた。「実のところ、いつとは言えん。だが、戻るのは間違いない」
川へと続く坂道を彼が下っていくのを私は見守った。背中の矢筒の位置を直し、それからちらりとこちらを振り返ると、彼は少しのあいだ動きを止めた。何か言いたげな様子だったが何も言わず、手を振って彼は別れを告げた。
私はゆっくりとシャボノへ戻る道を歩き始め、途中、男たちが畑の脇で木を切り倒しているところに出くわした。私は地面に積もった落ち葉の下に埋もれている木の皮や木っ端で足に怪我をしないよう注意ながら、開けた地面に転がされた丸太を避けて歩いた。
**062**「プランテンが熟す頃には戻ってくるさ」エテワが大きな声でそう言うと、ミラグロスがさっきしたのと同じように手を振った。「収穫の祭りを彼が逃すわけがない」
微笑みながら手を振り返し、祭りはいつなのかと聞こうかと思ったが、その必要はなかった。プランテンが熟したときだと、彼はすでに答えを言っていたのだから。
シャボノの大きな入り口の前には、夜になると木の枝や丸太をばら撒いてて侵入者を防ぐようにしてあるのだが、もうそれは片付けられていた。まだ早い時間だったが、円形に開かれた広場に面した小屋には、ほとんど誰もいなかった。女も男も近くの畑に働きに行ったか、野生の果物やハチミツ、そして焚き木を集めに森に行くかしていた。
小さな弓矢を手にした子どもたちの一団が、私の周りに集まってきた。「ぼくが仕留めたトカゲだよ」尻尾を持ってぶら下げた獲物を見せながら、シシウェが言った。
「こいつにできるのはそれだけ、トカゲを仕留めるのが精一杯なのさ」少年の一人がからかって言いながら、片足のかかとをもう一方の足の爪先で掻いた。「おまけに大抵しくじるんだから」
「しくじるもんか」怒りに顔を赤くしながらシシウェは大きな声を上げた。
私は彼の頭のてっぺんの短い毛を撫でた。日の光の中でその髪は、黒でというよりは、赤みがかった茶色に見えた。彼がいつの日か村で一番の狩りの名手になるに違いないと、知っている少ない言葉の中から適切な言葉を探して、私は彼に伝えようと努力した。
シシウェは、リティミとエテワの息子で、もうじき七歳になるところだったが、ペニスひもはまだしていなかった。リティミは男の子はペニスを下腹に結び上げたほうがよく育つと信じており、何度もそうさせようとした。けれどシシウェは痛いからと言って嫌がった。エテワはこだわらなかった。息子は健康で丈夫に育っている。男にとって、腰紐をつけずに人前に出るのはよくないことだと、シシウェもじきに思うようになるだろうと、彼は考えたのだ。**063**ほかのほとんどの子と同じく、疫病除けとしてシシウェも首の周りによい香りのする木の根のかけらを結んでいたし、体の模様が薄れてくれば、再びオノトで模様を描き直していた。
シシウェは怒っていたことなど忘れて、にこにこ笑いながら私の手をつかむと、すっとなめらかな動作で木登りでもするように、私の体にするすると登った。足を私の腰に巻きつけ、体を後ろに反らすと両手を空に向けて伸ばし、叫んだ。「見てよ、なんて青いんだろう。きみの目の色と一緒だ」
広場の真ん中から見上げる空は雄大で、その美しさが、木やつるや葉っぱに遮られることはなかった。村を囲む丸太の柵の向こう、シャボノの外側には、草木が濃密に生い茂り、そびえているのが見えた。木々は少しのあいだ検査で待たされているので静かにしているとでも言うかのように、時がくれば動き出すのではないかと思うほど生き生きとしていた。
子どもたちが私の腕に組みついてきて、シシウェごと私は地面に倒されてしまった。私には初め、誰がどの子どもの親なのか、さっぱり分らなかった。子どもたちはあちらの小屋からこちらの小屋へと自由に行き来し、どこでも好きなところで食べたり寝たりしていたからだ。赤ん坊は始終母親の体にくくりつけられていたので、誰の子なのかすぐ分った。昼夜を問わず、母親が何をしているかにも関係なく、赤ん坊はまったく煩わされることなく時を過ごしているように見えた。
ミラグロスがいない間どうしたものかと私は考えた。毎日数時間に渡って、仲間の言葉や習慣、考え方について彼は教えてくれ、私は熱心にそれをノートを取った。
イティコテリの人々について、誰がなんという名前なのかを知るのは実に厄介なことだった。誰かが侮辱されたときを除けば、彼らが互いに名前で呼び合うことはなかった。リティミとエテワは、シシウェとテショマの両親として呼ばれた(子どもは名前で呼ぶことが許されたが、それも思春期が訪れるまでのことである)。**064**更にややこしいことには、男でも女でも一つの家系に属するならば、互いに兄弟、姉妹と呼び合い、別の家系に属する場合は、義兄弟、義姉妹と呼ぶのだった。また、結婚が許される家系の女を妻にした男は、妻の家系の全ての女を〈妻〉と呼ぶのだが、これは性的な関係があることを意味するわけではない。
ミラグロスがしばしば言っていたことだが、慣れる必要があるのは私ばかりではなかった。イティコテリの人々も、私の奇妙な行動に大変面食らっていたのだ。彼らにとって、私は女でも男でもなく、子どもというわけでもない。私のことをどう考えればいいのか、どういう存在として扱えばいいのか、彼らにもさっぱり分らなかったのだ。
ハヤマのお婆が小屋から現れ、子どもたちに私をそっとしておくよう、甲高い声で言った。「まだお腹を空かせてるんだよ」彼女はそう言うと、私の腰に手を回し、自分の小屋の炉端へと私を招いた。
他の村との交易で得たアルミとホウロウの鍋、亀の甲羅、ひょうたん、そしていくつものかごが地面に散らばっている中、そうした品々を踏みつけたり、ぶつかったりしないよう気をつけながら、ハヤマの向かいに私は座った。ほかのイティコテリの女たちと同じように私は足を真っ直ぐ伸ばし、ハヤマのペットのオウムの頭を掻きながら、食事ができるのを待った。
「お食べ」焼いたプランテンを割ったひょうたんに載せて手渡しながら、彼女は言った。私が唇を何度も鳴らしながら、口を開けて噛む様子を、老婆は熱心に見守った。柔らかく甘いプランテンを私が十分に味わっていることに満足して、彼女は微笑んだ。
ハヤマのことはミラグロスに、アンゲリカの姉妹として紹介してもらった。彼女を見るたびに森の中で永遠の別れを告げた弱々しい老婆の面影を私は探した。ハヤマは五フィート四インチほどの身長でイティコテリの女としては背が高かった。体つきも違ったが、ハヤマには姉妹のアンゲリカが持つ心の軽やかさがなかった。ハヤマの声も物腰も厳しいので、私は落ち着かない気持ちになることも度々だった。そして重く垂れ下がった目ぶたのため、彼女の顔は奇妙に不吉なものに見えるのだった。
**065**「ミラグロスが戻るまで、お前はここにいたらいい」焼いたプランテンをもう一本くれながら、老婆は言った。
熱い果物を頬張っていたので、私はその言葉に答えないで済んだ。ミラグロスは、村の他の人々に紹介するのと同様、イティコテリの首長であり、自分の義兄弟でもあるアラスウェにも、私を紹介してくれた。しかしながら、エテワとその二人の子どもと一緒に住んでいる小屋に私のハンモックを吊るすことによって、私の面倒を誰が見るかをはっきりさせたのは、リティミだった。「白い娘はここで寝るのよ」彼女はミラグロスにそう言って、シシウェと幼いテショマのハンモックは隣のトゥテミの小屋の炉端に吊るすのだと説明した。
リティミの考えにわざわざ何か言う者はなかった。リティミが自分たちの小屋とトゥテミの小屋を行ったり来たりし、焚き火を囲んで習慣通りの三角形にハンモックを吊るし直すのを、エテワは優しいけれどからかうような笑みを浮かべながら黙って見守った。小屋の裏側の屋根を支える柱の間に作られた小さなロフトには、木の皮の箱、一揃いのかご、一丁の斧、そしてオノトや種、根を入れたひょうたんが置いてあったが、私のナップサックもそこに並べて置かれた。
リティミは、首長であるアラスウェと第一夫人の間に生まれた長女だった。彼女の母親はハヤマのお婆の娘だったがすでに亡くなっていた。リティミの自信は、自分が首長の娘であることや、エテワの第一夫人であり、お気に入りの妻であるという事実からくるだけではなく、短気ではあるものの、シャボノの皆から尊重され、好かれているということを知っていることによっても裏打ちされていた。
「もう十分」ハヤマが囲炉裏からもう一本プランテンを取ろうとするので、私は断った。「お腹いっぱいよ」彼女にお腹の膨れ具合が見えるように、私はTシャツをまくってお腹を突き出した。
「骨の周りにもっと脂肪をつけんと」そう言いながらお婆は、バナナを潰して指でこねた。「お前のおっぱいの小さいことと言ったら、子ども並みだからねえ」くすくす笑いながら、彼女は私のTシャツを更に巻き上げた。「これじゃあ、お前を欲しがる男はおらんな、骨で怪我でもせんかと恐れをなすわい」
**066** 怖がっている真似をして両目を見開き、私は潰したバナナをがつがつ食べる振りをした。「あなたの作ってくれる食事を食べていれば、よく太ってきれいになるのは間違いないわね」バナナを頬張ったまま、私は言った。
川で水浴びをしたあとの、まだ濡れたままの姿で、棘の生えたさやで髪をとかしながら、リティミが小屋に入ってきた。隣に座り、私の首に両腕を巻きつけると、私の顔中に音を響かせながらキスをくれた。私は笑いをこらえることができなかった。イティコテリの人々のキスはくすぐったいのだ。変わったキスの仕方で、頬や首に唇を当てると、音を立てて空気を吐き出しながら唇を振動させる。
「白い娘のハンモックをここに移そうとしてるんじゃないでしょうね」祖母を見ながらリティミは言った。口調は断固としたものだったが、黒い目には柔らかく問いかけるような表情が浮かんでいた。
  言い争いの原因にはなりたくなかったので、自分のハンモックをどこに吊ろうが大した違いはないのだと、私ははっきり言った。小屋には壁などないのだから、実質的に私たちは一つの住居で暮らしているのと変わりない。ハヤマの小屋はトゥテミの小屋の左にあり、私たちの小屋の右には首長アラスウェの小屋があった。アラスウェは、一番年上の妻とまだ小さい子ども三人と一緒にそこに住んでいた。彼のもう二人の妻とそれぞれの妻との間の子どもたちは、更に並びの小屋に住んでいた。
リティミはじっと私の顔に見入り、その目には懇願する様子が見えた。「ミラグロスはあなたの世話を私に任せていったのよ」彼女はそう言って、頭皮は引っ掻かないように優しく、棘の生えたさやで私の髪をとかした。
永遠とも思われる沈黙ののちに、ようやくハヤマが口を開いた。「ハンモックは今あるところに吊るしておけばいい。だが、食事はここでわしと一緒にするんだよ」
いい考えだと私は思った。エテワはすでに四人の食い扶持を確保する必要があった。一方ハヤマは、一番若い息子によく面倒を見てもらっていたのだ。椰子で葺かれた屋根から吊るされている獣の頭蓋骨とプランテンの量からして、ハヤマの息子は猟師としても百姓としても立派な腕前の持ち主に違いなかった。**067**焼いたプランテンを朝に食べる以外は、家族が集まって食事をするのは、午後遅くにもう一度あるだけだった。人々は一日中、手に入るものなら何でも口にしていた。果物や木の実、あるいはご馳走である蟻や蜂の子を焼いたものなどである。
食事についてのハヤマの提案を、リティミも気に入ったようだった。ニコニコしながら彼女は私たちの小屋へと歩いていき、私のハンモックの上に吊ってあるかごを下ろした。そのかごは彼女が私にくれたもので、彼女はその中からノートと鉛筆を取り出した。「さあ、仕事にかかるわよ」命令調で彼女は言った。

それまでの六ヶ月間ミラグロスがしてくれたのと同様に、この日からはリティミが仲間たちのことを私に教えてくれることになった。ミラグロスは毎日数時間を私が正式な授業と呼ぶものに充ててくれた。
初めのうち、彼らの言葉を覚えるのは実に大変なことだった。発音がとても鼻にかかったものである上に、人々がタバコの塊を口に入れて喋るもので、聞き取ることがとても難しかったのだ。比較文法の手法での記述も試みたが、じき諦めた。十分な言語学の知識がなかったこともあるが、彼らの言葉を学ぶのに、理論的にしようとすればするほど、かえって喋ることができなくなってしまうのに気がついたからだ。
子どもたちが一番の先生だった。色々なものを指さしてその名前を教えてくれ、とても面白がりながら、私が言葉を繰り返し言うのを助けてくれた。そして、何かを意識的に説明しようとしたりは一切しなかった。子どもたちと一緒にいると、間違いを恐れる必要などなしに、長いあいだ言葉の練習を続けることができた。ミラグロスがいなくなったあとにも、理解できないことはまだまだたくさんあったが、声の調子や顔の表情、そして手と体の雄弁な動きの意味を適切に読み取ることができるようになり、自分でも驚くほど、みんなとのコミュニケーションはスムーズなものとなった。
正式な授業時間の合間に、リティミは様々な小屋に私を連れていき、たくさんの女たちに会わせてくれた。私はどんな質問でもすることができた。**068**女たちは私の好奇心に面食らいながらも、ゲームでも楽しむかのように気さくに話をしてくれた。私に分からないことがあると、繰り返し繰り返し気長に説明をしてくれた。
ミラグロスが先例を作ってくれたお陰で私は大いに助かった。ここでは好奇心は悪いことと見なされるだけでなく、質問はされたくないという彼らの気持ちにも逆らうものでもあっだ。にも関わらず、ミラグロスはとても寛大に私が好奇心のままに振る舞うことを許してくれた。私の好奇心のことを風変わりな気まぐれと彼は呼んだが、この娘はイティコテリの言葉や習慣について知れば知るほど、それだけ早く皆とくつろいでいられるようになるのだ、と説明をしてくれたのである。
そうやって話を聞いているうちに、じき分かったのは、直接的な質問をたくさんする必要はないということだった。自分の側について何気なく説明するだけで、それに対応する相手側のことを、それも、教えてもらえるとは思いもしなかったようなことまで色々と聞かせてもらえることも、しばしばだった。
毎日暗くなる前の時間に、リティミとトゥテミに手伝ってもらいながら、昼の間に集めたデータに向かい、社会構造、文化的価値、自給技術などといった、人間の社会行動に関する普遍的なカテゴリーによって分類することを試みた。
しかし、大変残念なことに、ミラグロスが触れることをしない話題が一つだけあった。シャーマニズムである。自分のハンモックの中から治療の儀式を二回見る機会があり、細かい点に至るまで記録を取ることができた。
「アラスウェは偉大なシャポリだ」一回目の治療の儀式を見ているときにミラグロスはそう言った。
「祈りを唱えることで精霊の助けが得られるの?」ミラグロスの義兄弟であるアラスウェが、うつ伏せに寝ている子どもの体をマッサージし、吸い、こするのを見ながら私は訊ねた。
ミラグロスは怒った顔でこちらを見た。「話してはいかん事柄というものがある」彼は急に立ち上がったが、小屋を立ち去る前につけ加えて言った。「こうしたことについての質問はいかん。そんなことをすれば全くやっかいなことになるぞ」
**069** ミラグロスの言った内容には驚かなかったが、あからさまな怒りは予期しないものだった。彼がその話題について話さないと言うのは、私が女だからなのか、それともシャーマニズム自体がタブーの話題だからなのだろうか、と私は考えた。その時点では敢えて答えを探そうとは思わなかった。女であり、一人きりの白人なのだから、用心するに越したことはなかった。
多くの社会において、シャーマニズムに関わる知識や治療の実践というものは、修行者以外の者には明かされないものであることは、私も了解していた。ミラグロスがいない間、シャーマニズムという言葉こそ一度も口にしなかったが、怒りや疑いを引き起こすことなくシャーマニズムについて知るためにはどうしたらよいだろうかと、私は長い時間をかけて考えた。
シャポリが幻覚性の嗅ぎ薬であるエペナの影響下にあるとき、その体が変化をこうむると、イティコテリの人々が考えていることは、二回の儀式について取ったノートから明らかだった。つまり、シャーマンは自分の人間としての体が、超自然的体に変身しているという仮定の下に行動をしており、これによってシャーマンは森に住む精霊と交信することができるのである。私の方法論の眼目は、体を通してシャーマニズムを理解することにあった。ここでいう体とは、精神化学的法則や、自然の中の全体論的な力、環境、あるいは魂自体によって決定される対象としての体ではなく、生きて経験するものとして体、行動を通して立ち現れる、表現する統一体としての体を意味する。
私の研究も含めて、多くのシャーマニズムに関する研究は、治療についての精神療法的な面と社会的な面とに焦点を当てていた。私の方法論は、新しい説明を提供するだけでなく、疑いを引き起こすことなく治療について知ることをも可能にしてくれるだろうと私は考えた。体に関する質問だからといって、シャーマニズムに関係するとは限らない。私が実際には何を目的としているか、イティコテリの人々に気づかれることなく、少しずつ必要な情報を集めることができるに違いなかった。
**070** 自分がしている不誠実なやり方について感じる良心の痛みは、西洋以外の治療の実践を理解するためには、この研究はとても大切なものなのだと、何度も自分に言い聞かせるうちに静まっていった。風変わりな、そして多くの場合奇妙としか言いようのないシャーマニズムの風習は、別の解釈の枠組みのもとで光を当ててこそ理解可能になるものであり、一般的に、このようにして人類学の知識は深められていくのである。

「もう二日間も仕事をしてないじゃないの」ある午後、リティミが言った。「昨日の夜の踊りのことも質問してないでしょ。あれが重要なものだって分らなかったの? 私たちの歌と踊りがなかったら、狩りに出ている者たちは祭りのための獲物を持って帰ることができないのよ」彼女は私を叱りながらノートを膝に投げてよこした。「本に模様を書くことすらしてないでしょ」
「ニ、三日、休憩を取ってるの」そう言って私は、自分の持ち物のの中で一番大切なものであるかのように、そのノートを胸の前で抱きしめた。ノートのどの一ページを取ってもシャーマニズムに関するデータで一杯であることを、彼女に伝えるつもりは全くなかった。
リティミは私の両手を取り、じっくりと調べ、とても深刻そうな顔を装って言った。「両手ともすごく疲れてるようね。休ませてあげなくちゃ」
私たちは吹き出した。ノートに模様を描くことを私が仕事と考えていることに、リティミはいつも面食らっていた。彼女にとって仕事といえば、畑の草を取ること、焚き木を集めること、シャボノの屋根を直すことだったからだ。
「踊りも歌もとても素敵だった」私は言った。「あなたの歌っている声がちゃんと分ったわ。美しい声ね」
リティミは嬉しそうに笑った。「歌はとっても上手なの」その言葉には控えめな自信が率直に表され、魅力的だった。少しも自慢気ではなく、事実を述べているだけなのだ。「狩りに出ている人たちは、きっとたくさん獲物を取ってくるわ、祭りに来る人たちが食べきれないほどね」
うなづいて同意しながら、私は小枝を探し、柔らかい地面に人間の体を描き始めた。「これは白人の体」主な内臓や骨を描きながら私は言った。「イティコテリの人の体はどうなってるの?」
「そんなばかげた質問をするなんて、相当くたびれてるのね」リティミはそう言って、なんておばかさんなの、と言いたげな顔で私を見つめた。彼女は立ち上がって踊り始め、大きな声でメロディアスに歌った。「これが私の頭、これが私の腕、これが私の胸、これが私のお腹、これが私の……」
じきにリティミの奇妙な踊りに惹かれて、女たち、男たちが周りに集まってきた。甲高い声を上げ、笑いながら、互いの体について卑猥なことを言い合った。大人になりかけた少年たちの中には、笑いすぎて、自分のペニスをつかみながら、地面を転げ回る者までいた。
「私が描いたみたいに自分の体の絵を描ける人はいない?」私は聞いた。
数人がこの問いかけに応え、木のかけら、枝、折れた弓などを手に取り、地面に絵を描き始めた。彼らの描いた絵には、それぞれに明らかな違いがあった。はっきりと分かるように強調して描いてある性的な違いだけでなく、男たちの体には全て胸の中に小さな何者かの姿が描かれていたのだ。
私は自分の喜びを隠すことができなかった。これこそアラスウェが、治療の儀式を始める前に呼び出していた精霊に違いないと思ったのだ。「これは何なの?」私は何気なく聞いた。
「男の胸に住んでる森のヘクラたちさ」男の一人が言った。
「男たちはみんなシャポリなの?」
「男はみんな胸にヘクラたちが住んでるんだ」男は言った。「だけど本物のシャポリだけがヘクラたちを使うことができる。そして偉大なシャポリだけが、病気を治したり、敵のシャポリの呪文を解いたりするために、自分のヘクラたちに命令することができるのさ」私が描いた絵を見ながら、彼は訊ねた。「どうしてあんたの絵には足の中にまでヘクラスが描いてあるんだい? 女にはヘクラスはいないのに」
そこに描いてあるのは精霊ではなく、内臓と骨であることを説明すると、彼らはすぐさま自分たちの絵にもそれを描き加えた。私は知ることのできた内容にすっかり満足して、リティミが森に焚き木を集めに行くのに喜んでついていった。焚き木を集めることは、女の仕事の中でも一番大変で、一番嬉しくないものだった。囲炉裏の火を絶やすことは許されなかったから、焚き木はいくらあっても、ありすぎるということがないのだった。
**072** その晩も、私が村にやって来て以来の毎晩と同様、リティミは私の足に棘や何かのかけらが刺さっていないかを調べてくれた。そして、何もないことに満足すると、両手で私の足をこすり、きれいにしてくれた。
「シャポリがエペナを摂ったときには、体が変身することになるのかなあ?」私は言った。私の理論的仮説の独自性は、シャーマンが体に関する一つの想定のもとに行動しているということにあったので、彼ら自身の言葉でそのことを確認しておくことが重要だった。つまり、その想定がその集団の中で共有されているのかどうか、もしそうなら、それは意識的な性質のものなのか、それとも無意識的なものなのかを知る必要があったのである。
「昨日のイラマモウェを見た?」リティミは聞いた。「彼が歩くところを? 彼の足は地面に触れやしなかった。彼は力のあるシャポリよ。偉大なジャガーになっていたの」
「彼は誰の治療もしなかったね」私は重たい気持ちになって聞いた。アラスウェの兄弟であるイラマモウェが偉大なシャーマンと見なされていることに、私は幻滅していた。自分の妻を殴っているところを二度も見たことがあったからだ。
会話を続けることに興味を失くして、リティミはむこうを向くと、夕べの儀式の準備に取りかかった。彼女は小屋の裏手の小さなロフトから私の持ち物をしまってあるかごを取り出し、地面に置いた。一つ一つ品物を取り出しては頭の上にかざし、私がその名前を言うのを待った。私が名前を言うとすぐに、まずスペイン語で、続いて英語で、彼女は名前を繰り返し、そうして首長の妻たちと他に何人かの女たちが、私たちの小屋に毎夜集まっては、異国の言葉を口にするという、夜の合唱の時間が始まるのだった。
自分のハンモックでくつろいでいる私の髪を、トゥテミが指でかき分け、いるはずのないしらみを探してくれた。少なくとも今のところ、一匹もいないはずだと、私は確信していた。リティミは二十歳くらいだと思っていたが、トゥテミはそれより五、六歳若く見えた。トゥテミの方が背が高く、体重も重く、彼女のお腹は初めての妊娠で大きくなっていた。**073** 彼女は恥ずかしがりで引っ込み思案だった。黒い瞳に、寂しげな、遠くを見るような眼差しをたたえていることもしばしばで、声に出して考えごとをしているかのように、ひとり言を言っていることも時々あった。
「シラミよ、シラミ!」女たちのスペイン語と英語の謡いをさえぎって、トゥテミが大声を出した。
「見せて」冗談を言っているのだろうと思いながら私は言った。「シラミって白いの?」彼女の指の上に小さな白い虫を見ながら私は聞いた。シラミは黒っぽいものとずっと思っていたのだ。
「白い娘に白いシラミね」トゥテミはいたずらっぽく言った。そして満足気に喜びの表情を浮かべながら、その虫を一匹ずつ歯で潰しては飲み込んだ。「シラミはみんな白いのよ」

☆続きはこちらです。
[第七回]

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☆第一回〜第五回はこちらです。
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2017年4月11日火曜日

05 フロリンダ・ドナー「シャボノ」


フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第五回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙13枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第四回はこちらです。
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[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

出会って間もない二人の先住民族とともに、はじめてアマゾンの森に足を踏み入れた若き女性文化人類学者のフロリンダが、ついに森の奥の先住民族たちと出会うことになります。

(今回で第一部終了、ここまでで全体の五分の一ほどです)

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第一部 (承前)

**052**


それからの二日間、私たちは今までよりペースを上げて、休みなく丘を登っては下り、歩き続けた。ミラグロスが押し黙ったまま影の中に消え、また姿を表すのを、私は落ち着かない気持ちで見ていた。彼が先を急ぐ様子を見ると、私の中の不確かな気持ちは強まるばかりで、布教所に連れ帰ってくれと、叫びたくなる瞬間も幾度となくあった。
雲が白から灰色、そして黒へと色を変えるにつれ、午後の時間が森を包み込んでいった。重苦しく抑えつけるように、雲は梢の上を動いていた。耳をつんざく雷鳴が静けさを破った。土砂降りの雨が降り出し、容赦なく荒れ狂って枝や葉を引き千切った。切り取った巨大な葉の下に入るようにと身振りで示しながら、ミラグロスは地面にしゃがみ込んだ。私は彼の横に座ることはせずに、ナップサックを下ろした。粉になったアンゲリカの骨の入ったひょうたんを腰から外し、Tシャツを脱いだ。痛む体を雨が、暖かく、心地よく打った。まず頭を、次に体を、シャンプーで泡だて、灰と死のにおいを体から洗い流した。ミラグロスを振り返ると、黒く汚れた顔に疲れが露わだった。その目に湛えられた悲しみの色はとても深いものだったので、そんなに急いで体を洗ってしまったことを私は後悔した。落ち着かない気持ちのまま私はTシャツを洗い始め、彼の方は見ずに訊ねた。「もう村は近いの?」布教所を出てから軽く百マイルは歩いただろうと私は確信していた。
「明日には着く」つると葉でくるんだあぶり肉の小さな包みを広げながら、ミラグロスは言った。奇妙な笑みで口の端が少し上がり、つり上がった目の周りのしわが深くなった。「つまり俺のペースで行けば、ということだがな」
雨脚は弱まり、雲は散っていった。私は深く息を吸うと、澄んで新鮮な空気で肺を満たした。雨が小降りになってからもしばらくの間、木の葉からはしずくが落ち続けた。しずくは太陽の光を反射し、ガラスの欠片のまばゆさで、きらめき輝いた。
「人が来る音がする」ミラグロスが囁いた。「じっとしていろ」
鳥のさえずりも、風にそよぐ葉の音も、私には何一つ聞こえなかった。私がそう言おうとした瞬間、小枝の折れる音がして、裸の男が私たちの目の前の小道に現れた。
男は私よりさほど背が高いわけではなかった。たぶん五フィート四インチくらいだろう。それなのに私よりずいぶん大きく感じられるのは、筋肉質の胸のせいか、それとも裸であるせいだろうかと、私は考えた。男は長い弓と何本かの矢を持っていた。顔と体には赤い線がくねくねと描かれ、両足の横を通って伸び、かかとの周りに描かれた点々で終わっていた。
男の後ろ、少し離れたところから、二人の若い裸の女が私を見つめていた。驚きに表情は凍りつき、黒い瞳は見開かれたままだった。植物の繊維の束が耳から伸びているように見えた。口の両端と下唇にはマッチほどの棒が挿してある。腰と二の腕、手首と膝の下には、赤い綿の糸の帯が巻かれていた。黒い髪は短く刈られ、頭の天辺が広くきれいに剃られているのは、一緒にいる男と同様だった。
誰もが押し黙ったままだったので、緊張に耐えかねて私は叫んだ。「ショリ・ノジェ、ショリ・ノジェ!」**054**もし森で先住民族に出くわしたら大きな声でそう挨拶しろと、アンゲリカが教えてくれていたのだ。「よき友よ、よき友よ!」という意味である。
「アイア、アイア、ショリ」男は近づきながら、そう答えた。赤い羽根が両耳を飾っている。私の小指ほどの短い篠竹が両方の耳たぶに挿してあり、二枚の羽根はそれを台にして立っていた。彼は大きな身振り手振りをしながら、ミラグロスに話しかけた。薮の中へと向かう小道を手や頭の動きで示し、繰り返し両手を頭の上へ上げては、太陽光線をつかもうとするかのように五本の指を伸ばした。
私は女たちに手招きした。二人はくすくす笑って薮の陰に隠れた。二人が背中に結わえたかごの中にバナナを見つけ、私は大きく口を開けると、両手を使って一本食べたいのだと身振りした。二人のうち年上の方が注意深く近寄ってきて、私の方は見ずにかごをほどき、バナナの房から、一番やわらかく一番黄色い一本をもぎ取った。優雅な動きで口の端の二本の形よく細長い棒を抜き取ると、皮に歯を立て、実に沿って皮を割って剥き、私の顔の前に剥いた実を差し出した。三角形をした変わった形の実で、今まで見たことのある中で一番太いバナナだった。
「おいしい」私はスペイン語でそう言うと、お腹をさすった。味は普通のバナナと特に違わなかったが、口の中に厚い膜が残った。
彼女はもう二本をくれ、更に四本目の皮を剥こうとしたので、もう食べられないことを伝えようと努力した。彼女はにこにこ笑いながらバナナの残りを地面に落とし、私の腹を両手で触った。手の皮は固かったが、長い繊細な指で、優しく、私が本当に存在するかを確かめるかのように、胸、肩、顔と恐る恐る触っていった。彼女は鼻にかかった甲高い調子で話し始め、その声はアンゲリカの声を思い出させた。私のパンティのゴムを引っ張ると、連れに見るように声をかけた。そのときになって急に私は恥ずかしく感じ、後ろに身を引こうとした。二人は大喜びで笑い声を上げながら、私に抱きついてくると、私の体の前も後ろも撫で回した。そして私の手を取ると、自分たちの顔や体を触らせた。二人は私より少し背が低かったが、体はがっちりしていた。豊かな胸、膨らんだ腹、広い尻を見ていると、自分がちっぽけに感じられた。
「彼らはイティコテリの村の者だ」私の方を向くとミラグロスは言った。「男はエテワ、女たちはその二人の妻、リティミとトゥテミだ。村の他の者たちとともに、この近くにある以前使っていた畑で何日かのキャンプをしているところだ」木の幹に立てかけておいた弓と矢に手を延ばすと、つけ加えた。「俺たちも彼らと行動をともにする」
その間に女たちは私の濡れたTシャツを見つけると、すっかりそれに魅せられて、線の描かれた顔や体をそれに擦りつけてしまった。私が何とかTシャツを取り戻し、頭からかぶったときには、すっかり伸びた上、赤いオノトのペーストの跡がつき、汚れて大きすぎる米袋をかぶっているような有り様だった。
私が灰で満たされたひょうたんをナップサックに入れて背負うと、女たちは抑えられずにくすくす笑い出した。エテワがやってきて私の隣に立った。茶色の瞳で私を見つめるとにやりと大きく笑って、その指を私の髪に走らせた。尖って形のよい鼻に、柔らかい曲線の唇をしており、その丸顔は少女を思わせた。
「俺はエテワが少し前に見つけた獏を、彼と一緒に獲ってくる」ミラグロスは言った。「お前は女たちと一緒に行ってくれ」
少しの間、信じられない思いで彼を見る以外のことができなかった。「でも……」ようやくそれだけ言ったが、何と続ければよいか分らなかった。ミラグロスが笑い出したことからして、私の様子は滑稽だったに違いない。彼のつり上がった目は、額と高い頬骨の間にほとんど埋もれてしまっていた。彼は片手を私の肩においた。真面目な顔をしようとしたが、唇にはかすかに微笑みが残ったままだった。
**056**「三人ともアンゲリカと俺の仲間だ」エテワとその二人の妻のほうを向いて彼は言った。「リティミはアンゲリカの大姪だ。アンゲリカと会ったことはないがな」
私は二人に微笑みかけた。ミラグロスの言葉が分ったかのように二人はうなずいた。
ミラグロスとエテワの笑いがつる植物の間を響き渡り、二人が川沿いの小道を、脇に生える竹の茂みへ向かって歩くに従い、その声は静まっていった。リティミが私の手を取り、茂みの中へと歩き出した。

私はリティミとトゥテミの間を歩いた。私たちは一列になって物も言わず、イティコテリの今は使われていない畑を目指した。二人の足がしっかりと地面を捉えて歩けるのは、重い荷物を背負っているからなのか、それとも膝と足先を内股にして歩くせいなのかと私は考えた。梢を通してやってくる、かすかな日射しが作る私たちの影が、長く伸び、そしてまた短くなっていった。疲れてかかとに力が入らなかった。足が思うように動かず、枝や根につまづいた。リティミが私の腰に手を回してくれたが、道が狭くかえって歩きにくかった。彼女は私の背からナップサックを取り、トゥテミのかごに入れてくれた。
私は奇妙な不安に襲われた。自分のナップサックを取り戻して、灰で満たされたひょうたんを取り出し、腰に巻きたいと思った。ある種の絆が断ち切られるような感覚を私は覚えたのだ。その時の気持ちを言葉にするよう頼まれても、そうすることはできなかっただろう。けれども、アンゲリカが私の中に植えつけた魔法の効果のうちのいくらかは、その時を境に消え去ったのだと私は感じた。
私たちが森の中の開けた場所に辿りついたのは、木々の作る地平線の向こうに日がすでに落ちたあとだった。緑の影の中に、ほとんど透明と言ってもよいほど明るい緑色をしたプランテンの葉がはっきりと見えた。かつては大きな畑だったに違いない場所の縁に、**057**三角形をした背の低い小屋がいくつか、その背を森に向け、半円形を描いて並んで建っていた。住まいは屋根があるだけで壁はなく、屋根は幅広いバナナの葉で何層かに葺いてあった。
誰かが合図でもしたかのように、口を開け、目を見開いた女と男の一群が突然現れて私たちを取り囲んだ。私はリティミの腕にすがりついた。森の中を一緒に歩いてきたことで、彼女は私たちを取り巻く見知らぬ人影とは違う存在になっていたのだ。リティミは私の腰に手を回し、私を自分の方に引き寄せた。彼女が発する早口で甲高い声のお陰で、少しの間人々の群れは距離を保っていたが、突然彼らの顔が私の顔から一インチと離れないほどに近づいた。あごからはよだれがしたたり落ち、歯茎と下唇の間に挟んだタバコの葉の塊のせいでどの顔も形が歪んで見えた。人類学者が異文化を考察するときに必要な客観性のことなど、すっかりどこかに行ってしまっていた。その瞬間、先住民族たちは醜く汚らしい人々の群れ以外の何者でもなかった。私は目を閉じたが、骨ばった手がぎこちなく頬に触れるのを感じて、次の瞬間には再び目を開けざるを得なかった。目の前に老人の顔があり、男はにやりと笑いながら叫んだ。「アイア、アイア、アイーーア・ショリ!」
その叫びが響き渡ると、誰もが大喜びで一斉に私に抱きつこうとしたが、それはほとんど私にぶつかってくるのと変わりなかった。私はTシャツを引っ張られ頭から脱がされてしまった。彼らの手、唇、舌が私の顔と全身を這い回り、煙と土のにおいがした。肌には彼らの唾がまとわりつき、すえたタバコのにおいを放った。耐え切れずに私は声を上げて泣き出してしまった。
心配そうな顔をして彼らは身を引いた。言葉は分らなかったが、声の調子で彼らが戸惑っているのがはっきり分った。
夜になってからミラグロスに聞いたところによると、リティミは人々に、森の中で私を見つけたと説明したのだそうだ。彼女は初め、私を精霊だと思い近づかなかったが、バナナを平らげるのを見て人間であることを確信したのだという。何しろあんなにがつがつとものを食べるのは、人間以外ありえないからだ。
私とミラグロスのハンモックの間に、焚き火がたかれた。焚き火は煙を出し、ぱちぱちと音を立ててはぜながら、壁のない小屋にかすかな光を投げかけた。小屋を取り巻く木々は、一かたまりの黒い闇にしか見えなかった。その赤みを帯びた光が煙と一緒になり、私の目は涙でうるんだ。人々は焚き火を囲み、肩と肩が触れ合うほど近くに座った。影のついた人々の顔はどれも同じに見えた。体に描かれた赤と黒の模様は、彼らが体を動かすたびにくねくねとよじれ、それ自身、命を持っているかのようだった。
リティミは足はまっすぐに投げ出して地面に座り、左腕は私のハンモックにもたせかけていた。揺れる明かりの中で彼女の肌は柔らかく濃い黄色に見えた。こめかみに向かって顔に描かれた模様で、アジア風の顔立ちが強調されている。口の両端、下唇、鼻梁に開けられた小さな穴が、棒を外されて、はっきりと見えた。私が見ているのに気づいて、彼女は真っ直ぐこちらを見ると、丸い顔をくしゃくしゃにして微笑みを浮かべた。短く角ばった歯は、丈夫そうで真っ白だった。
人々が静かに話す声を聞いているうちに私はうとうとし始めたが、眠りは途切れ途切れだった。ミラグロスは何を話しているんだろうと思いながら、私は眠らずに、人々の笑い声に耳を傾けていた。

(第一部・了)

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2017年4月8日土曜日

人生はすごく苦しいけど、すごく素敵。なのに素敵が見つからないあなたへ。


お釈迦さまことゴータマ・シッダルタさんの生まれし土地、ネパール・ルンビニに滞在中、若い友人しぷとさん(仮名)とtwで楽しい会話をし、質問をいただいた。

ぼくはもう五十すぎ、しぷとさんはたぶん二十代前半、頭の回転では到底かなわないが、こちらには亀の甲より使えるとされる齢(よわい)という道具があるので、ch3ch2oh で濁り気味の頭を駆使しつつ、ちょいと答えてみようかと思う。

  *  *  *

まず、質問に至るまでの説明。

話の発端は、「人生はすごく苦しいけどすごく素敵」とぼくが書いたことで、それに対してしぷとさんは、「自分のTLには苦しんでいる人が多いのだが、どうすれば素敵が手に入るのだろうか」と疑問を投げかけてくれた。

ぼくはこのところヴィパサナ瞑想で仏教づいているから、「痛みは避けられないが、痛みを苦しみとするのは、癖・習慣の問題なので、それに気づけば『素敵』な世界が近づいてくる。けれども、苦しみに愛着がある以上、無理に苦しみを手放す必要はない」と書いた。

するとしぷとさんは、「苦しんでいる人たちは、別に苦しみに愛着はないし、『苦しみ』の方が自分たちを手放してくれないと考えているようだ」という。

ぼくは、「愛着があることに気づくのも難しいし、主客はすぐ転倒する。そしてて、気づくためには『ゆさぶり』が必要である」と述べた。

そして、しぷとさんは、「『ゆさぶり』の話は理想としては分かるが、現実にはどうしたらいいのか」と問うてくれた。

これが今回取り上げる質問です。

  *  *  *

[回答 1.]
まず初めにしぷとさんに伝えたいのは、人のことはとりあえず、放っておいたらいいよ、ということ。

人が苦しんでるのが気になるっていうのは、自分が苦しんでるからなんだよね。

この考え方は、初めは納得いかないかもしれない。

ぼくも R. D. レインの「愛のレッスン」という本で、「人のために泣くのは、自分のために泣いているんだ」という言葉を読んだときは、そこに何か真実があるのは感じたんだけど、はっきり言ってピンとこなかった。

でも、そのうち、なるほど、と思うようになった。

人を嫌いになるのは、その人に自分が持っている嫌な面を見てるからだし、この世界にうんざりするのは、自分にうんざりしてるからなんだ。

だから、人のことを気にするより前に、自分の問題と向かい合ったほうがいい。

まず自分が十分に「素敵」な人生を送ること。それができればいくらでもその「素敵」を人に分けてあげることができるようになる。

これが一番「現実的」な回答だと思います。納得はいかないかもだけど。

[回答 2.]
「気づき」も「ゆさぶり」も「現実的」な話なので、たとえばその二つに、じっくりと時間をかけて、気づきを重ね、ゆさぶりを重ねていけばいい、ということ。

以下その説明。

しぷとさんは、「痛みと苦しみのつながりに気づく」ことや、「ゆさぶり」をかけることを「理想論」というのだけれど、そこの意味がもうひとつぼくには、ピンとこなかった。

ピンとこない上で、回答にするべく言葉を重ねてみると、「痛み」を感じているのも「現実」だし、「苦しみ」を感じてるのも「現実」、だから「痛みと苦しみのつながりに気づく」のもまさに、この「現実」世界においての話で、「理想」の世界の話じゃないんだけどね?

とはいえ、その「気づき」は普段の「現実」の次元では隠れていて見えないから、「理想」世界の話に思えるのかな。

ともあれ、その「隠れて見えない」結びつきに気づくためには「ゆさぶり」が必要で、この「ゆさぶり」も「現実」世界での「ゆさぶり」なわけです。

ここでも、しぷとさんが指摘するように、「ゆさぶり」をかけても相手に「ゆさぶり」として伝わらない、ということがあって、それは「現実」の話でありながら、ふだんの「現実」からは「隠れて見えない」別次元の話ということになりましょう。

この「別次元」が、ぼくには「現実」世界として見えるけど、しぷとさんには「理想」世界に見えるってことみたいだね。

というわけで、改めて回答し直すと、「気づきもゆさぶりも理想世界の話に思えるかもしれないけれど、じっくり時間をかけて、その二つを続けていくことで、それが決して理想世界の話ではなく、現実世界の方法論であることが分かってくる」ということになります。

[回答 3.]
というような回答を二つ並べても、「いや、そうじゃなくて、今すぐ実行ができて、ぱっと結果が分かるような回答がほしいんだ」と言われるかもしれません。

ぼくもそんな回答があったら教えてほしいです。

というのはほとんど嘘で、ぼくはそういう回答はありえないと思っています。

孔子のことはよく知らないながらに、現実世界の決まりごとや、約束ごとの代表としてその名前を使わせてもらうことにすると、孔子的な「こうするべし」という規範は、あくまで便宜上のものだと思うんです。

シッダルタさんは、理想世界の人ではありますが、現実世界で修行者の集団の指導に当たりましたから、修行者集団のために何百もの決まりごとを定め、いわば孔子的な規範も作りました。

でもそれは、あくまで「修行者集団」内でのトラブルを防ぐための便宜的なものであって、それを守っているだけでは、最高に「素敵」に生きられる段階まではいけないんですよね。

もちろんトラブルが未然に防げれば、それなりに「素敵」を感じやすくなるというメリットはある。

だけれども最終的には、各人が「痛みと苦しみのつながりにリアルに気づく」ことが必要で、そのためには八正道が必要ですよ、瞑想が大事ですよ、みたいな話になるわけです。

社会生活をする上で孔子的規範は当然必要ですが、それだけでは、「素敵」を感じるための必要条件が整ったくらいのもので、現実に「素敵」を感じることができるかどうかは、個々の人間が、自分の中に「存在価値」を見いだせるかどうかにかかっていて、それは規範では得られないはずのものです。

今の若い人たちが自分の中に「存在価値」を見いだしにくくなっている事情は、ある程度ぼくにも見当はつきます。

けれども、ぼくとしぷとさんの間には大きな時代の隔たりがありますし、お会いしたことすらないままに、このような話をしているわけですから、ひょっとしてぼくの書いている話は、しぷとさんの想定している範囲から大きく逸脱しているかもしれません。

でも、それは気にせず続きを書くと、ぼく自身の経験としても自分の中に「存在価値」を見いだすことは、未だ十分にはできていませんし、物質的・情報的に「豊かさ」があふれればあふれるほど、自分という存在に固有の「価値」を見いだそうとする試みは一層むずかしいものとなるでしょう。

そのとき、「固有」の価値など実はないのだということに気づき、自分というちっぽけな存在が、そもそもこの世界の切れ端にすぎないことに気づくこと。また、エゴというものは、子どものうちは生まれて生き延びるために確かに必要だけれど、自立して生きられるようになったら、脱ぎ捨ててしまったほうがいい抜け殻にすぎないこと。そんなようなことが分かってくると、世界を深く味わうためには、孔子的規範だけでは足りないことが分かってくるし、残念なことに思えるかもしれませんが、そのように深く世界を味わうことができるのは、限られた少数の人間の特権であることも分かってくるはずです。

そのとき、シッダルタさんは、その特権を私物化せず、すべての命ある存在に還元するという、極めて社会主義的で無謀とも言えるほどの理想を、慈悲という名において周りの人々に説いたわけです。

ここに至って、しぷとさんが言うとおり、これが「理想論」であることは、はっきりしました。

そして同時に、ぼくがシッダルタさんの言葉を借りて言うとおり、これは「現実論」でもあるのです。

シッダルタさんの教えにしたがうことは、多くの人にとっては「理想論」にすぎないでしょう。そしてぼくも丸ごと従うつもりはありません。

けれども、その教えは部分的にではあっても実践可能な「現実論」であるわけで、しぷとさんがそれを実践するかどうかに関わらず、誰かが現に実践している以上、完全に「現実論」なのだ、というのがぼくの立場です。

ということで、しぷとさんが求めるような「現実論」の回答にはなりえませんでしたが、現時点でぼくが答えられるのはこんなところだと思います。

ほかにも色々と細かい論点はありますので、何か疑問があれば、また質問していただければと思います。

こんなに長文の回答はこれが最初にして最後かもしれませんが、できる範囲で言葉を交わし、楽しみながら世界を味わっていけたらと思います。

というわけで、ここまで読んでいただいたみなさん、どうもありがとうございました。

みなさんも何か質問などありましたら、コメント欄などにお気軽に書き込みください。

それでは、今日はこのへんで、ナマステジー!!

2017年4月6日木曜日

支配階層に入ること、支配・被支配関係から抜けること


今日は謎の投資家ガメさんの [ラットレースから抜け出す] という記事について書きます。

出だしは黒いですが、最終的に「ガメさん♡」になります。

*  *  *

ガメさんのこれは、嘲笑なのだろうか、黒い冗談なのだろうか、それとも、お金持ちの戯言(たわごと)なのかしら?

どうしてあんなに手放しで資本家を礼賛することができるのか、ぼくには分からないんですよね。

でもぼくは、別にガメさんが嫌いだからこんなことを書いているわけではない。

イギリス出身の覆面投資家にして、日本語堪能な天才青年(というには少し歳をくってるか)である彼の weblog や twitter はいつ見てもおもしろい。

一度一緒に酒でも飲んだら、どんなに楽しい話ができるだろうかと、わくわくするくらい、ネット上で見る彼の言葉と、その人格には惚れている。

...... と、ここまで書いたところで一休みして、Medium に記事など書いてたら、初めの問いに対する答えが分かってしまった。

ガメさんは、支配階層の人間で、日本の中の、才能ある、支配階層に入る力はあるのに、「日本的」システムの中に閉じ込められているため、支配階層に入れないでいる人に対して「きみにもできるよ」と呼びかけてるわけだ。

なれない人のことは、はなから相手にしてないし、なれると勘違いして自滅する人のこともどうでもいい。

それが「欧米」流の支配階層の価値観ってわけですか。なるほど。

「日本的」システムの中に閉じ込められている人に呼びかけたい気持ちは、ぼくも一緒なんだけど、方向がちょい違ってたんだ。

支配階層に入りたい人は入ればいい。

でも、支配・被支配の関係から抜け出すほうが、ぼくの場合、好みってことです。

もちろん投資をして「悠々」と暮らすことのできる人は、そうすればいいでしょう。

でも、多くの人はガメさんのように「悠々」とはできない。

投資をしながらも、日々の雑事に追われながら、なんとか生きていくだけになってしまわないでしょうか。

支配階層に入るのも、投資をして儲けるのもいいけど、それは手段であって、目的ではない。

日々を「悠々」と生きることこそが、目的ですよね、例えば。

そのためには本当はお金なんていらないんであって、それはインドに行って路上で暮らす行者をよく見れば分かること。

もちろん、多くの行者は「悠々」とは生きていません。

かつかつで生きているような人も多いし、銭稼ぎに一所懸命な行者もいる。

だけど中には、無一文、無一物で、「悠々」と暮らしてらっしゃる方がいます。

そして、支配階層に入ることができる人は限られていますが、行者になることは誰にでもできます。

「悠々」と暮らせるようになる人は、その中のごく一部でしょうが、支配階層についてもそれは同じこと。

だからぼくは「上に行こう」と誘うよりは、「横にそれよう」と誘いたいのです。

ガメさんがおっしゃる「視点を変えることで金鉱が見つかる」ということは、まったくその通りだと思います。

そして、そのとき、もう一段階、視点を変えることによって、「お金ではないものに金鉱を見つける」ことができたとき、人は本当の意味で「悠々」と生きることができるようになるのではないでしょうか。

そして現に、ガメさんは「お金ではないものの金鉱」を見つける才能に長けているからこそ、いつも素敵な文章を授かり、授けてくださるのだと思います。

てなわけで、ガメさん、これからもオモロイ文章、よろしくねーー。

それじゃあ、みなさん、ナマステジー!!

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☆こちらもどうぞ

[脱会社人: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

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[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]

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[本の紹介: カスタネダの友だち、フロリンダ・ドナーが描くアマゾンの暮らし「シャボノ」]

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2017年3月25日土曜日

安倍昭恵氏に関する記事まとめ #森友学園 #アッキード事件


アッキード事件とも呼ばれる、森友学園の問題で、マスメディア取り沙汰されている安倍昭恵氏ですが、ここに、昭恵氏および、三宅洋平氏、てんつくマン氏に関わる記事の目次を置きます。

今の日本が抱える問題を、みなさんが考える一助になったら幸いです。

✧安倍昭恵氏に関する記事の目次です✧

[洋平と昭恵をつないだ「怪人」てんつくマンとは!?]

[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。]

[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]

[「洋平・昭恵会食」再々考、ネット「世論」をどう読むか]

[「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問]

[「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行]

[昭恵氏の高江訪問について三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日]

[三宅洋平は「許可」を得て安倍昭恵を高江に案内したのか]

[三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない]


2017年3月24日金曜日

そしてぼくはネパールに行った - 意識のメタモルフォーゼ 01


ぷちウェブ作家のとし兵衛です。

お釈迦さまの生誕地ルンビニの、安宿のベッドに寝そべりながらこれを書いてます。

こちらは、ネパール時間で午後五時半(日本より三時間十五分遅れなので、日本はとっくに夜ですね)、まだ外は明るいです。

五十二歳にして定職を持たないぼくは、いま奥さんと二人、アジアをゆらゆらと漂っているのですが、しばらく前から奥さんはヴィパッサナ瞑想の十日間コースに行っているので、今は気楽な一人暮らしです。

それをよいことに昼間からビールを飲んで、心地良くも気怠い日々を過ごしています。

さて、今回のシリーズでは、そんなぼくの最近の日々に置きつつある、「風変わりな変化」について書きたいと思うのです。

その変化というのは、「意識のメタモルフォーゼ」とでも呼ぶべきもので、ある種の昆虫が、幼虫から、蛹(さなぎ)になり、成虫になるように、個体自体は保たれながらも、劇的な変身を遂げたことが感じられるような不思議な体験なのです。

そんなふうに書くと、オカルトめいた説明に思われるかもしれませんが、これは変性意識状態として知られるものが、一段階上に上がるようなことであって、現代の脳科学の範囲内においても、十分説明しうるものだろうと、仮説を立てています。

この劇的といってもいい変化が起こり始めたのは、この十日間ほどのことなのですが、これがどうして今起こったのかということを説明するには、ぼくが今までどんな人生を送ってきたのかを知ってもらう必要があります。

というのは、この変化は、ぼくという「一人の人間の中で起こった」話ではなく、「周りの人や物との相互作用を通して起こった」ものだと考えるからです。

そこで、まずはぼくの高校・大学時代から話を始めたいと思います。

  *  *  *

ぼくは、高校生の頃から心理学に興味を持ち始めたのですが、高校の友だちの影響で、大学ではコンピュータのソフトウェアの勉強をしました。

心理学に興味を持ったのは兄の影響で、兄は実際、大学で心理学を学びました。

けれどもその兄を見ていて、心理学では大学を出たあとに大変そうだなと打算的に考えて、もう一つの興味の対象のコンピュータを学ぶことにしたのです。

こまかい話をすれば、ぼくが大学でコンピュータを学ぶことになったのには、ある日たまたま旧友にばったり会ったこととか、ほかにもいろいろな偶然ともいっていいエピソードがいくつも関係しているのですが、とりあえずは、「この兄の影響は捨てて、友だちの影響を取った」という形での、
「周りのいろいろな物事の影響をすぐ受けるが、その中で自分でやりたいものを取る」
というやり方が、ぼくの場合の人生を形作る、典型的なパタンとしてあるわけです。

ちなみにぼくが大学生だったのは、1980年代の半ば、日本社会が戦後最後の好景気に浮かれていた頃の話です
同じ大学の別の友だちが先輩と共にソフトの会社を起こしたので、学生時代はそこでバイトをしてずいぶん勉強させてもらいました。

ぼくが大学四年のとき、その友だちが、その会社に就職しないかと誘ってくれたのですが、あいにく会社のやっていることはぼくの興味の範囲内になかったので、断ってしまいました。

ここでも、友だちの影響でプログラムのバイトをし、けれども就職の誘いは自分の判断で捨てる、という、大学の選択と似たパタンが現れます。

友だちの誘いを断ったぼくは、その代わりにこう考えました。

自分は高校のときから会社員になるつもりはなかったし、今も会社員として人生を送るつもりはない。

けれども、大学を卒業するというこの機会を逃したら、ぼくには日本の会社勤めを経験する機会はないだろう。

せっかくだから、就職してみよう。
二、三年でやめるつもりで。

会社での経験については、今はくわしく書きませんが、大手の精密機器メーカーでファームウェアの技術者として働いてみて、とにかく分かったのは、自分は日本の会社的環境にはとことん馴染めないということです。

そして、当初の目論見よりはやや早く、二年足らずでその会社はやめました。

これも、こまかいことは書きませんが、ある種の偶然的な会社内での経験をきっかけに突発的にやめようと思い立ったもので、「やめる」ということ自体は自分で決めているのですが、ある種の偶然の影響に対しての反応ということでは、典型的なパタンということができると思います。

「このときぼくは将来どうしよう」というようなことは、一切考えませんでした。「長いスパンでものを見て人生を設計する」といったスタイルとは無縁の人間なのです。

余計なことはあまり考えず、周りの影響を素直に受け、自分の直感に従って行動する。そうしたパタンがぼくの今を形作ってきたわけです。

  *  *  *

会社をやめることにしたぼくは、せっかくだからこの機会に海外に旅をしようと思いつきました。

そしてある日曜、自宅の近所の、普段はあまり行かない本屋でガイドブックの棚に行き、ぱっと目に入ってきた一冊のガイドブックを手に取りました。

「地球の歩き方」のネパール編です。

ふーん、ネパールは二月、三月は旅行に適した時期なんだ。じゃあ、ちょっと行ってみようかな。

そうして、ぼくは、初めての海外旅行の行き先としてネパールに向かうことになったのです。

(続く)

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[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]

[本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください]

[脱会社人: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]

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2017年2月21日火曜日

偶然と奇跡の物語、「あーす・じぷしー」って実話なの?


今日は[「あーすじぷしー」]という本の紹介を兼ねて、この話は「ほんとに実話なのか」ということについて、書いてみようと思います。

「あーすじぷしー」は大分出身の若い女の子まほが、一般社会の普通の枠組みの中で生きることに違和感を感じて、自由でワクワクする人生を送り始めるまでの実話の物語です。

専門学校を卒業して憧れの会社に就職して服飾デザイナーになったのに、なぜか充実感を感じられないまほは、一年足らずでやめ、東京の専門学校に入り直します。

そうして一人暮らしを始めた東京で、偶然が導く人や出来事の連続の結果、「デザイナーになる」という過去の夢を捨て、彼女はペルーへと導かれます。

そして、ペルーで体験する「聖なる真実アヤワスカ」のビジョンこそが、この物語の圧巻なのですが、その辺りについては、次の記事にもう少しくわしく書いていますので、ご覧ください。

[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

  *  *  *

さて、この本の話を読んで、
「これ、ほんとに実話なの?」
と思う方は少なくないように思います。

なにしろ、東京に出てから、彼女がペルーに導かれていく道行きというものが、普通にはありえないような偶然の連続に満ちているからです。

就職の内定を辞退し、東京で出会った友だちの影響から、海外に旅すること決めた彼女の中には、海外旅行に対する具体的なビジョンはありません。

どこに行こうかと考えあぐねている彼女に、友だちのすすめてくれた一冊の本が答えをもたらします。シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」という本です。この本でシャーリーは、ペルーでの神秘体験について書いており、それがシャーリーの人生の大きな転換点になるのですが、そのあまりの不思議な記述に、まほは「これは本当の話なんだろうか?」と思います。

そのことに加え、シャーリーの誕生日がまほと同じであることが「大きな前兆」となり、まほはペルーに行くことを決心するのです。

そして、ペルーがどこにあるかもよく分からないまま、借金をまでしてペルー行きの航空券を買ってしまいます。

旅の準備も整わないでいる彼女に、次の偶然がやってきます。専門学校の友だちの、お母さんの友だちのまきさんという人がペルーに行ったことがあるという情報です。

けれども、出発まであとひと月というのに、まほは旅費を稼ぐアルバイトに精一杯で、まきさんに十分連絡を取る余裕もありません。

すると、まきさんが東京に来ることになり、会って直接ペルーの話を聞くことができたのです。そして、まほのペルーでの体験についてのキーパーソンとなる、日本語堪能なリョニーさんを紹介してもらいます。

そして、さらに出発の一週間前、次なる奇跡が起こります。

いまだアルバイトで手一杯で、旅の準備ができないままでいるまほに、旅から帰ったばかりのバイト先の先輩スタッフが、買えば十万円はするのではないかという旅道具を一式そのまま貸してくれたのです。

こんなのって普通ありえないですよね(笑)。

こんなふうに、偶然の導きだけで物語は進んでいきますし、しかもその一つ一つの出会いが、さわやかであったり、感動的なものであったり、あるいは深く重いものであったりするのですから、「アウト・オン・ア・リム」を読んだまほが「これは本当の話なんだろうか?」と思ったのと同様、この「あーすじぷしー」というお話を読んでいるわたしたちも「これって実話?」という思いがどうしても湧いてきます。

けれども、さまざまな出会いと、それに対するまほの、積極的に受け入れていこうとする勇気も、とまどって足踏みをする弱さも、等身大の飾らない表現と思えますし、出会いを糧として自分に向き合い、自分の弱さを克服していく姿勢は、自分の心の深い部分までもさらけ出す勇気ある記述です。

そうした部分について、特に作り話の空気を感じることはありませんでした。

そして、まほは、ぼくたち「一般の人」とは「違う星の下」に生まれた人なんだろうな、というようなことも考えます。

この本を読んでそれを「前兆」と捉え、ペルーに行き、やみくもに聖なる真実の体験をしたからといって、まほのような「変容体験」は期待できません。

お金持ちやスポーツ選手の人生というものも、ある種の奇跡に満ちているものです。けれども、そうした成功者の人生についての本を読んで、そのとおり真似をしたからといって、自分も成功者になれるかというと、そう簡単にいくものではないのと一緒です。

もちろん、この本をきっかけに、自分なりの準備をし、十分な決心をして臨めば、「聖なる真実」はあなたの人生にとって重要な体験となりえます。

逆に言えば、十分な準備ができずに行きあたりばったりで「聖なる真実」を体験しても、頭痛や吐き気、そして見たくもない不愉快なビジョンを得るだけで終わり、ということも考えられるのです。

まほは、自分から積極的に「聖なる真実」との出会いを求めたわけではありません。

東京に行ってからの新しい出会い、そして出会った人からの助言によってお母さんとの和解を経験し、そうした数々の前兆とそこからの気づきの連鎖が、ペルーに行ってからも、さまざまな偶然を呼び寄せ、彼女を「聖なる真実」へと導くのです。

まほの中に眠っていた「目覚め」への欲求が、世界の流れと呼応して、彼女の「変容体験」という奇跡を呼んだのです。

まほは、ほんとに「特別な星の下」に生まれた人なのだなあと、深く思います。

  * *  *

この本は一冊の物語ですから、いくらかの脚色はあるかもしれませんし、思い違いによる事実との相違もありえます。

けれども大筋としての事実性を疑う必要はなさそうです。

そして、仮にこれが完全なフィクションだとしたら...... 。

それこそ、まさに驚くべきことで、これだけのものをフィクションで書けるということは、まったく稀有な才能というしかありません。

[こちらのページ]を見ますと、単行本は15,000部に達し、韓国語版の出版も決まったとのことで、この日本発のスピリチュアル・ストーリーが、広範な読者を獲得し、末永く読み継がれていくだろうことを予感させます。

新しい才能の誕生を目撃する幸せを感じながら、今日はこの辺りでタブレットを置きます。

それでは、みなさん、またー。

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2017年2月16日木曜日

[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」


Naho & Maho「あーす・じぷしー」 [Kindle版] [単行本]

この本は、「あーす・じぷしー」という名前で、世界中、気ままに旅をしながら、自由な人生を生きる実験をしている双子の姉妹、なほとまほの自伝的な物語です。

双子の物語ではありますが、実際には妹のまほが語り手であり、主人公です。まほの「そぱ」には、姉のなほがいつも寄りそいたたずんでいます。

なほとまほは双子であるがゆえに、子どもの頃には互いにテレパシー的な感覚があって、永遠あいこができました。

二人でじゃんけんをして、片方は出す役、片方は読む役。そうするといつまでもあいこを続けられたのです。

また、まほは、幽霊やお化けもよく見ていて、亡くなったおじいちゃんにも会ったことがあるような、霊感の強い人です。

そして、彼女は共感覚の持ち主であり、音や人、場所に色がついて見えていました。色とりどりの楽しい毎日を生きていたのです。

ところが大人になるにつれ、そんな感覚も消えていきます。お金のこと、就職のこと、仕事のこと、人間関係のこと、そうしたことで頭がいっぱいになるにつれて、子どもの頃の「楽しい感覚」を大事にできなくなってしまったのです。

大分出身のまほは、デザイナーになるという子どもの頃からの夢をかなえるために、専門学校に行き、大阪で就職します。けれども、憧れのブランドの会社に入ったのに、なぜか充実感はなく、一年足らずでやめてしまいます。

そして、実家に帰り、寝る時間も惜しんで働き、お金を貯め、東京の難しい洋服の学校に入り直します。そうすることで、デザイナーとしての新しい道が開けるはずだと思ったのです。

  *  *  *

さて、東京では何がまほを待ち受けていたのでしょうか。

それは、さまざまな、人や出来事との出会いです。

道端で運命的に出会った、同じ九州出身の若者二人。二人は、日本の枠にしばられず、この世界を自由に生きています。

また、まほは 2011 年 3 月 11 日の大地震を、アルバイト先の新宿の電器屋で経験します。

まほの心は、この地震に大きく揺さぶられ、せっかく決まった内定も辞退してしまいます。デザイナーになる、という「夢」を捨てたのです。3.11 から半年ほど経った頃のことです。

そして、まほは、「ワクワクして生きなさい」という言葉を胸に、行き先の見えない、不思議な旅を始めることになるのです。

  *  *  *

パウロ・コエーリョの「アルケミスト」シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」、ブログで知った青年との出会い、その青年からのつながりで知った作家からのアドバイスなど、たくさんの「前兆」がまほを旅へと導いて行きます。

そして、無謀とも言えるような、直感にだけしたがった旅は、彼女をペルーにまで呼び寄せ、シャーマンの儀式へと立ち会わせることになります。

ペルーの小さな村の、さらに人里離れた小さな家で、聖なる真実アヤワスカが彼女に見せるビジョンは圧巻です。

すべての空想が現実になり、あまたの時代の様々な人生を、彼女は自分のものとして経験します。

自分が双子の姉とともにこの世に生まれる瞬間を、強烈な喜びを感じながら再体験します。

そして、そうした「光」の面からさらに進み、世界の「影」の面、自分の感覚が当てにならない、どこにも確かなものがない、一人ぼっちの孤独な宇宙をも見せつけられます。

「もう元には戻れない」という恐怖を味わい尽くしたあとで、ようやく彼女は、「戻る」のではなく「選ぶ」ことによって、この世界に戻ってきます。

粉々に砕けてしまい、形を失ってしまった世界が、そして秩序が、再生するのです。

こうした断片的な記述では、彼女の体験を十分には伝えられませんので、そうした神秘体験や、変性意識について興味のある方は、ぜひ「あーす・じぷしー」という本を手にとって読んでほしいと思います。

この本は、ハクスリーの「知覚の扉」カスタネダのドンファン・シリーズと並べてもおかしくないほどの、日本発かつ日本初の本格的なサイケデリック文学といってよいでしょう。
(ほかに日本産のサイケデリック文学をご存じの方があれば、ぜひご教示ください)

Naho & Maho「あーす・じぷしー」 [Kindle版] [単行本]

なお、聖なる真実アヤワスカの場面は、「あーす・じぷしー」の書籍でしか読めませんが、まほがペルーに至るまでの物語は、ネット上でもほぼ同一の内容が公開されています。

[あーすじぷしー第1話]

以上、不思議な双子の姉妹、「あーすじぷしー」の物語のご紹介でした。

では、また。

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[「人生長すぎる」とお嘆きのあなたへ - エクハルト・トールの場合]

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2017年2月14日火曜日

「人生長すぎる」とお嘆きのあなたへ - エクハルト・トールの場合


「人生長すぎる」

ぼくもそう思ったことがあります。

「なんだか毎日がつまらない」

そんなことも、時々、思います。

そして、「消えてしまいたい」とか「もう生きていられない」とか。

そういう思いをふっ飛ばして、元気に生きたい、と考えはしても、「できないものは、できない」んですよね。

「今の自分には、明るく普通に生きるなんてできないんだ」と開き直ることも大切です。

うつ的な気分が湧いてくる自分を、認めてやったらいいんです。

たぶんあなたは、自分の気持ちを殺して、周りの要求に応えるために、自分の人生を使いすぎてしまったのです。

いつの間にか周りのために生きることになってしまったとき、自分がなんのために生きているのか分からなくなって、生きるのが苦しくなって、最後には死を選ぶことになる。悲しいことですが、これも、ある意味、自然なことです。

けれども、今これを読んでいるあなたは、まだ、死を選ぶところまでは、行っていないわけですから、今から自分の生き方を変えることもできるわけです。

とはいえ、生き方を変えるということは、いとも簡単であると同時に、なんとも難しいことです。

周りの目を気にしすぎているのは、あなた自身なのですから、周りを気にするクセを変えればいいだけです。話は簡単ですよね。

ところが、それを実行するのが難しい。

「もう周りの目は気にしないぞ」と心に決めても、その瞬間から、その通りに生きるというわけにはいきません。

こうしたことには、どうしても時間がかかります。

ところが、世の中には稀に、あるとき突然、劇的な変化が訪れる人もあるようです。

エクハルト・トールという作家がいますが、この人は長い間うつ的な思いをかかえて生きていたのに、ある晩、その重苦しい気分の中で、次のような経験をします。

「私は、もうそれ以上自分自身と生きることが出来なかった。そして、答えのない疑問が生じた。自分と生きることが出来ないこの『私』は、一体誰なんだ? 自分とは何だ? 私は虚空へと吸い込まれるように感じた。その時は、一体何が起こったのか知らなかったが、満たされない過去と恐ろしい未来との間に生きている、思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。この平安は、自我がそこに無かったために現れたのだ。ただ存在の感覚のみ、あるいは『在ること』、ただ観察し見守っているだけだ。」

次の朝、トールはロンドン市内を散歩したが、「すべてが奇跡のようで、深く穏やかだった。車の往来さえも。」 [12] この感覚は持続し、トールはいかなる場面でも、そこに潜む平安を強く感じとるようになった。 [16] トールは博士号のために勉強をするのを辞め、ほぼ二年間に渡り、ほとんどの時間を「深い祝福に満たされた状態で」、ロンドン中心部の ラッセル・スクウェア の公園のベンチに座って、「世界が移ろいゆくのを見て」過ごした。トールは友人のところに居候になったり、 仏教寺院 に泊まったりしたが、それ以外は ハムステッド・ヒース で ホームレス として野宿もした。家族はトールが「無責任で、かつ正気を失った」と思っていた。

(以上、Wikipedia エックハルト・トールの項より)

このような深い体験は、誰にでも起こるというものではありませんが、意識を呼吸に向けることや、瞑想の練習をすることで、小さな「気づき」の体験を重ねていく道は、誰にでも開かれています。

まずは、深呼吸をしてみてください。

ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。

千里の道も一歩から。ここからすべてが始まります。

こちらに簡単な瞑想の仕方を書いていますので、よろしければご覧ください。
[これなら簡単、誰にでもできる瞑想のやり方・方法]

また、エクハルト・トールの本はこちらがおすすめです。
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」

あなたの毎日が、少しずつよい方向へ向かっていくことを、心からお祈りします。

以上、インドの聖地バラナシより、とし兵衛でした。

それでは、また。

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☆こちらもどうぞ

[本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください]

[人生は哲学するには長すぎる 02 厨ニ病患者のインド万歳]

[人生は哲学するには長すぎる 01 ぼくは万年厨ニ病]

[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]

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[本の紹介:「呪術師カスタネダ」]

[本の紹介: カスタネダの友だち、フロリンダ・ドナーが描くアマゾンの暮らし「シャボノ」]

[惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言]

[イケダハヤト氏が「お試しあれ」と言ったホメオパシー半可通講座]

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2017年2月5日日曜日

04 フロリンダ・ドナー「シャボノ」


フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳、第四回
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は、四百字詰め原稿用紙16枚ほどの分量です]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆第一回〜第三回はこちらです。
[第一回] | [第二回] | [第三回]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

出会って間もない二人の先住民族とともに、はじめてアマゾンの森に足を踏み入れた若き女性文化人類学者のフロリンダを待っていたのは、予想外の事態でした。

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第一部 (承前)

**044**


続く四昼夜は、歩き、水浴びをし、眠るということを繰り返しているうちに、一つに溶け合ってしまったかのように思えた。それは、夢の中のような日々で、奇妙な形の木やつる植物が、見えない合わせ鏡に写し出されるかのように、切りもなく、何度も何度も現れるのだった。太陽がしっかりと降り注ぐ、森の中の開けた場所か、川辺に辿りつくまでは、そのイメージが消えることはなかった。
五日めにはもう足に豆はできなくなっていた。ミラグロスが私のスニーカーを切ってばらし、柔らかくした植物の繊維を鼻緒として靴底につけてくれた。毎朝彼は手作りのサンダルに新しい鼻緒をつけてくれ、私の足は、それ自体の衝動に従うかのように、ミラグロスと老婆のあとを追って歩いた。
高さが人間ほどもある葉やシダが沿って生える小径を、私たちは何も喋らず、ただ歩き続けた。あるときは、藪の下を這って抜け、あるときは、つる植物や枝が作る壁をかき分けて進んでいくうちに、私たちの顔は、汚れて擦り傷だらけになった。二人の道連れの姿が見えなくなることもあったが、ミラグロスは歩きながら枝を踏む癖があり、その音を追うのは簡単だった。木のつるで作られた吊り橋がかけられた川や流れをいくつも渡った。両岸の木に結ばれている吊り橋は、いかにも頼りなげで、吊り橋を渡るたびに、私たちの重さに耐えられないのではないかとはらはらした。**045**ミラグロスは笑って、自分たちの仲間は、方向感覚こそ今ひとつだが、橋をかけることについては確かな技を持っているのだと、私に受け合った。
道を歩いていると、泥の上に足あとを見かけることがあった。ミラグロスは先住民族の居住地が近いのだと説明した。彼は目的地に早く着くことを優先したので、居住地に近寄ることはなかった。「一人なら、とっくに着いとるところなんだがな」いつアンゲリカの村に着くのかと私が聞くたびに、ミラグロスはそう答えた。そして私たちを見て首を振りながら、諦めた調子で付け加えるのだ。「女が一緒だと遅くなっちまう」
けれどミラグロスは、私たちののんびりしたペースを気にしてはいなかった。午後早いうちにキャンプ地を決めることもしばしばで、私たちは広い川辺で、太陽に暖められた水に入って水浴びをし、川面に顔を出した大きななめらかな岩の上で体を乾かした。眠気を覚える心地よさに包まれ、私たちは動きのない雲を眺めた。本当にゆっくりとしか形が変わらないので、別の形へと変わる前に夕暮れが訪れてしまうほどだった。
私が、この不可解な冒険行に加わることになった理由について、思いを巡らせるのは、こうしたものうげな午後のことだった。これは自分の夢を実現するためにやっていることなのだろうか。それとも手に負えなくなった責任からの逃避なのか。アンゲリカに呪文をかけられたという可能性すら、私は真面目に考えた。
日が経つにつれ私の目は、いつでも目の前にある緑一色という景色に慣れていった。じきに私は、赤と緑の金剛インコや、黒と黄のくちばしのトゥカンを見分けることができるようになった。一度など水を探しにやって来た獏が、下生えの中何かにぶつかるところまで目撃した。その獏は、私たちの次の食事に出されることになった。
赤茶色の毛をした猿たちが、木の上の方で、ずっと私たちのあとをついてきた。彼らが姿を消すのは、私たちが川沿いを行くか、滝の間を通ったり、空を映す静かな水路の脇を進んだりするときだけだった。下生えの深みに埋もれた、苔むした倒木からは赤と黄のきのこが生えていたが、あまりにも脆いので、私が触れると、色のついた埃でできているかのように粉々に砕け散った。
私は、私たちが行き会う大きな川を、地理の本で憶えた川と照らし合わせることで、自分がどこにいるかを確認しようと試みた。私はミラグロスに川の名を訊ねたが、ミラグロスは先住民族の呼び名でしか答えてくれないので、私が知っている名前と一致することはなかった。
夜になって、白い霧が地面から湧き出すかのように現れ、夜露の湿り気が顔に感じられる頃、ぼんやりとした焚き火の明かりの中で、ミラグロスは自分たちの神話を、鼻にかかった低い声で話し始めるのだった。
アンゲリカは目を見開き、背筋を伸ばして座っている。彼女は話に注意を払うためというより、眠ってしまわないためにそうしているようだったが、十分もするとすやすやと眠ってしまうのだった。ミラグロスは夜遅くまで話をした。精霊でもあり、獣でもあり、一部は人間でもある存在が森に住んでいた時代について活き活きと語った。そうした存在たちが、洪水や疫病をもたらし、森を獲物と果物で満たし、人に狩りや農業を教えたのだ。
ミラグロスのお気に入りの神話は、イウラメというワニの話だった。イウラメは川の生きものになる前は、人間のように歩き、話をすることもできた。イウラメは炎の守り主で、口の中に炎を隠しもっていたのだが、他の生きものたちとそれを分かち合うことはしなかった。森の生きものたちは豪勢な宴でワニをもてなすことにした。イウラメが笑ったときにだけしか、炎を盗むことができないのを知っていたからだ。次から次へと冗談が語られ、ついにそれ以上我慢ができなくなって、イウラメは大笑いをしてしまう。すると小鳥が一羽、開いた口に飛び込み、火を掠めとって聖なる木の高い梢に飛んで逃げてしまうという話だった。
ミラグロスは、その時々に語る様々な神話を、大筋は変えることなく、気分に応じて語り変え、話をふくらませた。以前には考えてもいなかっただろう細部を付け加え、まさにその瞬間に思いついたに違いない個人的な見方を取り入れるのだった。
「夢を見るんだ、夢を」ミラグロスは毎夜、語り終えるときにこう言った。「夢見るものは、長生きをするからな」

**047**
  *  *  *

それは現実のことだったのか、それとも夢だったのだろうか? アンゲリカの最初の声を聞いたとき、私は起きていたのか、眠っていたのか? 彼女は何か聞き取れないことをつぶやいて、起き上がった。寝ぼけたまま、顔に貼りついた髪を指ではがしながら、辺りを見回し、それから私のハンモックに近づいてきた。奇妙な熱心さで私を見つめるその目は、痩せてしわだらけの顔の中に、やけに大きく見えた。
彼女は口を開き、喉から奇妙な音を出した。そして全身が震え出した。私は手を伸ばしたがそこには何もなかった。ただ、おぼろな影が、薮の中に見えただけだった。「おばあさん、どこへ行くの?」自分が訊ねる声が聞こえた。返事はなく、木の葉から露がしたたり落ちる音がするばかりだった。もう一度、彼女の姿がつかの間見えた。その日の午後に川で水浴びをしたときと変わらぬ姿だった。次の瞬間には彼女の姿は濃い夜霧の間に消えていた。
呼び止めることもできず、私は大地の見えない裂けめに消えていく彼女の姿を見守るばかりだった。どんなに探してみても、彼女のワンピースすら見つけることはできなかった。これは夢なのだと、繰り返し自分に言い聞かせながらも、私は、霧に隠れる木の葉の間に彼女の姿を探しつづけた。しかし、どんなに探しても、彼女の痕跡すら見つけることができなかった。
目が覚めたときには、不安な気持ちでいっぱいで、心臓がどきどきと打っていた。太陽はすでに梢の上に昇っている。旅を始めて以来、こんなに遅くまで寝ていたことはなかった。自分でも遅くまで寝ていたくはなかったのだが、それだけでなく、ミラグロスも夜明けには起きるようにと、強く言ったからだ。アンゲリカの姿はなかった。彼女のハンモックもかごもない。木の幹に、ミラグロスの弓と矢が立てかけられたままだった。おかしいと私は思った。弓矢を持たずに彼がどこかに行ったことは今までなかった。募る不安をなだめるため、ミラグロスは老婆と一緒に、昨日の午後見つけた果物か木の実を取りに行ったんだろうと、繰り返し自分に言い聞かせた。
どうすればいいか分らず、私は川岸まで歩いた。私一人を残して、二人がどこかに行ってしまったことも、今までにないことだった。向こう岸に、一本の木が、どうにもひとりぼっちの様子で立っており、その枝を川面に垂らしていた。枝にはつる植物が絡みついて、赤い繊細な花をたくさん咲かせている。その姿は、巨大な蜘蛛の巣に、赤い蝶が捕らわれているかのようだった。
オウムの群れが、にぎやかにさえずりながら、木のつるに羽根を休めた。そのつるは、どの木から伸びているのか見分けがつかず、水の中から何の支えもなしに宙に伸びているかのように見えた。オウムの声を真似てみたが、私の存在には全く気づかない様子だった。私が水の中に歩み入ると初めて、オウムたちは飛び立ち、空に緑の弧を描いた。
太陽が木々の向こうに姿を消し、血のように赤い空が、その炎で川面を染めるまで私は待った。疲れ切って気力をなくし、私は自分のハンモックへと歩いて戻った。そして、焚き火を突っつき、火を起こそうとした。琥珀色の目をした緑の蛇が、私の顔を伺っているのに気づいて、私は恐怖に凍りついた。蛇は鎌首をもたげ、私同様おどろいているように見えた。息をひそめ、葉がかさかさと音を立てるのを聞きながら、蛇がゆっくりと、ねじくれた根の間に姿を消すのを見守った。
アンゲリカの顔を見ることはもう二度とないのだと、私にははっきりと分った。泣きたくはなかったが、涙を抑えることができず、私は地面に積もる落ち葉に顔を埋めた。「おばあさん、どこへ行っちゃったの?」夢の中でしたように、私はつぶやいた。濃密な緑色をした樹海に向かって、彼女の名を呼んだ。年老いた木々は答えることをせず、ただ静かに私の悲しみを見守るだけだった。
濃密さを増していく影の中に、ミラグロスの姿がかろうじて見えた。体を固くして私の前に立った彼は、その顔も体も灰で汚れ、真っ黒だった。一瞬、私の視線を捉えたかと思うと、彼は目を閉じ、体の下、膝が折れ、力尽きたかのように地面にくずれ落ちた。
「埋めてきたの?」私はそう聞くと、彼の片腕を自分の肩に回し、ハンモックまで引きずっていった。**049**なんとか彼の体を持ち上げ、まず腰、次に脚と、ハンモックの中へ入れた。
彼は目を開けると、遠くの雲まで手よ届け、と言わんばかりにその手を空に伸ばした。「彼女の魂は天に、雷の住み処へと昇っていった」やっとの思いで、彼はそう言った。「炎によって、彼女の魂は骨から解き放たれた」そう付け加えると、彼は深い眠りに落ちていった。
彼が落ち着きなく夢を見ている様子を見守っていると、私の疲れた目の前に、幻の木々の影が立ち現れた。夜の闇の中、奇怪な形をした幻の木々は、椰子の木よりもよほど現実的で、ずっと高く見えた。私はもう悲しくはなかった。アンゲリカは私の夢の中で消えたのだ。彼女は、現実でもあり幻でもある木々の一部なのだった。もはやこの世にはいない、獣や神話的存在の霊魂とともに、彼女は永遠に森の中を歩き続けるに違いない。
ミラグロスが地面に置かれたマチェーテと弓矢に手を伸ばしたのは、もう夜明けが近い頃だった。彼は心ここにあらずといった様子で矢筒を背負い、一言も発しないまま茂みの中に踏み入っていった。彼の姿を影の間に見失うことを恐れて、私はあとを追った。

押し黙ったまま私たちは二時間を歩いた。ミラグロスは森の中の開けた場所のふちで急に足を止めた。「死者の煙は、女と子どもには害になる」彼はそう言って、組まれた丸太の燃えあとを指した。半分ほど崩れており、その灰の中ほどに黒くなった骨が見えていた。
私は地面に座り込み、木の幹から作っておいたすり鉢を、ミラグロスが小さい焚き火に当てて乾かすのを見ていた。恐怖と魅惑の相半ばする気持ちで、私はミラグロスが灰をふるいにかけ、アンゲリカの骨を選り分ける様子に見入った。彼は細い棒で骨を潰し、濃い灰色の粉にしていった。
「炎が上げる煙に乗って、アンゲリカの魂は雷の住み処まで昇っていった」ミラグロスは言った。**050**彼が私たちのひょうたんを、粉になった骨でいっぱいにしたときには、すでに夜が訪れていた。ひょうたんは、ねばり気のあるにかわで封をされた。
「もう少しでも、死の訪れを待たせることができればよかったのに」私は残念な気持ちで言った。
「そうだったとしても違いはない」すり鉢から顔を上げて、ミラグロスは言った。顔は無表情だったが、黒い目には拭われないままの涙が光っていた。下唇が震えたが、次の瞬間には笑みを半分浮かべていた。「彼女の望んだのは、命のみなもとが再び仲間の一部となることだ」
「同じじゃないわ」ミラグロスが言ったことを、はっきり理解することもせずに私は言った。
「命のみなもとは骨の中にある」私が知らないことを説明するかのように、彼は言った。「森の中、仲間のもとに、彼女の灰は戻るのだ」
「アンゲリカは死んじゃったのよ」私はこだわって言った。「仲間に会いたがってたのは彼女なのに、灰がどうしたって言うの?」老婆の微笑みを見ることも、その笑い声を聞くことも、もう二度とないのだと思ったとき、抑えようのない悲しみで私は一杯になった。「私が一緒に来ることを、あんなにはっきり確信してた理由だって、まだ聞いてなかったのに」
ミラグロスは泣き始め、火葬の跡から炭のかけらを拾うと、涙に濡れた顔をそれで擦った。「我々のシャーマンの一人が言ったのだ、アンゲリカは村から離れることになるが、死ぬときは仲間のもとに戻り、その魂は部族の一部として留まることになるのだと」私が遮ろうとすると、ミラグロスは鋭い視線で私を見た。「お前と同じ色の髪と目をした少女によって、アンゲリカがそのようにして死ぬことができるようになるのだと、シャーマンは受け合ったのだ」
「でも、彼女の仲間は、白人とは接触がなかったんじゃないの?」私は聞いた。
ミラグロスは涙を溢れさせたまま、仲間たちが大きな川のそばに住んでいた時代があったのだと説明した。「そうした時代のことを憶えているのは今では少しの年寄りだけだ」**051**彼は静かにそう言った。「もう長い間、我々は森の奥へ奥へと移り続けているのだ」
旅を続ける理由がもうなくなってしまったと、私は重たい気持ちで考えた。あの老婆がいないのに、彼女の仲間に会って、どうすればいいというのだろう。彼女こそ、私がここにいることの理由だったのに。「私これからどうしよう? 布教所まで連れて戻ってくれるの?」私はそう訊ね、ミラグロスの戸惑いの表情を見てつけ加えた。「彼女の灰を持っていくのは、また別のことでしょ」
「同じことだ」彼はつぶやいた。「そして、彼女にとってはそれが一番大事なことなのだ」そう付け加え、灰で満たされたひょうたんの一つを私の腰に結んだ。
私は一瞬からだを固くしたが、ミラグロスの目を見ると緊張が溶けた。黒く汚れた彼の顔は、威厳に満ちていると同時に悲しげでもあった。涙に濡れた頬を私の頬に押しつけると、自分の頬をまた炭で塗った。私はこわごわと腰につけられたひょうたんに触れた。ひょうたんは軽く、そこには老、婆の笑いと同じ軽やかさがあった。

☆続きはこちらです。
[第五回]

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2017年2月4日土曜日

本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください


もしあなたが、本当に
自分の人生を変えたい
と思っているのなら、一番はじめに知っておくべきことは、
あなたは今も自分の好きな人生を生きている
という、なかなか受け入れがたい事実です。

このたった一つの事実を受け入れることができるかどうかで、
あなたの人生が虹色になるか、灰色になるかが決まってしまう
くらいに大切な話です。

この記事では、
・あなたは自分の好きなように生きているのに、どうしてそのことに気づけないのか、
・それを変えるためにはどうしたらいいのか、
ということを簡単に説明してみます。

  *  *  *

この記事を読んでいるあなたは、
自分の人生を変えたい、
と思っているはずですが、それは
今の人生に満足していないから
ですよね。

自分の好きなように生きてるのに、その人生に満足してない
というのはヘンな話です。

これはどういうことでしょうか。

「自分の好きなようになんか、生きてるわけないじゃん」
とあなたは思うかもしれません。

けれども、ちょっと考えてみてほしいんです。

  *  *  *

たとえば、あなたがコンビニに行ったとします。

あなたはサンドイッチが一つ買いたいだけです。
そして、次の用事があるので、早く電車に乗らなければなりません。

ところがコンビニは混んでいて、レジ前には客の長い列があります。

それだけでもあなたにはうんざりな状況なのに、レジ打ちをしている店員は、新人なのか、もたもたとして、なかなか列が進みません。

あなたのいらいらは高まって、もう我慢できなくなり、サンドイッチをその辺の棚に置くと、あなたは駅へ急ぎました。

こんな経験をしているあなたが、
好きなように生きている
なんて言われたら、「ちょっと勘弁してよ」と思うかもしれません。

けれども、ここで考えてほしいのですが、今のコンビニの場面で、
サンドイッチを買おうとしたのはあなただし、
レジに並んだのもあなた
そして、いらいらしてたのもあなただし、
サンドイッチを置いてコンビニを出たのもあなたですよね。

それに、誰かにそうしてくれ、と言われたからじゃなくて、全部あなたが自分で選んでしたことじゃないですか。

あなたは自分の好きなとおりにやったんです。

そうやって一つひとつ考えていくと、
あなたの人生のすべてのことが、自分で選んでやってきたことだ
ということが分かるはずです。

あなたは「勉強をしなさい」と言われて、勉強をしたかもしれません。

でも、そう言われてやったにしても、やらない選択肢もありましたよね?
そこで勉強をやることにしたのは、あなた自身ですよね?

それなのに、なぜかあなたは、不愉快な気持ちでいっぱいで、自分の人生に満足してないんです。

どうして、こうなってしまうのでしょうか。
どうしたら、これを変えられるのでしょうか。

  *  *  *

好きなように生きているはずなのに、不満でいっぱい、
だから、どうにか人生を変えてみたい、
そんなふうに思うのは当然です。

そのためには、
もつれてしまった自分の人生を、解きほぐしてやる
必要があります。

そして、これに関しては、即効薬はないんです。

地道に一歩いっぽ、歩いていくしかないんです。

多くの人は、
「簡単に人生を変えられる方法」がどこかにあるんじゃないか、
誰かが「人生の秘密」を教えてくれるんじゃないか
と思って、あちこちの本やビデオ、セミナーやセッションと渡り歩いていきます。

でも、そうやって「お手軽な正解」を探している限りは、思うように人生を生きることはできないでしょう。

もつれたあなた人生を解きほぐすのは、あなた自身なんです。

誰かに解きほぐしてもらっても、あなたが今まで通りなら、すぐまた、もつれ始めてしまうんですから。

自分で自分のもつれを解こう、しんどくても一歩いっぽ歩いていこうと思ったら、次の記事も読んでみてください。

「思い込み」から自由になって、楽しい毎日を送るためのヒントになるかもしれませんよ。

[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]

[魂の輝きを取り戻すために]

最後にもう一度、書いておきます。

あなたは自分の思うとおりに人生を生きているんです。

だから、あなたはいつでも、自分の人生を思うがままに変えることができます

あなたの人生が、いつも最高の輝きを持っていられるよう、お祈りしています。

Don't worry, be happy!!
くよくよせずに、気楽にいきましょう♬

それでは、またーー。

[2017.02.04 西インドは梵天さんの聖地プシュカルにて。とし兵衛 拝]

2017年2月2日木曜日

いきいきと生きたいあなたへ - 魂の輝きを取り戻すために


なんだか毎日がつまらない。

何をやっても長続きしない。

自分のやりたいことが分からない。

こんな「ないないづくし」を感じながら生きてる人って、案外おおいんじゃないでしょうか。

そういうぼく自身、そんな人間の一人だったりします。

とはいえ、ぼくは五十すぎのおじさんですので、「ないないづくし」歴が長い分、知恵もついて、若いころと比べればずいぶんと楽になりました。

というわけで今回は、この「ないないづくし」から抜け出し、生まれたときの「魂の輝き」を取り戻す方法について書いてみようと思います。

  *  *  *

人というものは、この世に生まれ落ちたそのときには、まばゆいばかりの魂の輝きを持っています。

ところが残念なことに、この世界で生きていくためには、輝きを放出してぱかりではいられません。

赤ん坊は、生まれてしばらくの間こそ、したい放題をしても受け入れてもらえますが、お母さんや周りの人の助けなしには生きていくことができませんから、徐々に周りと合わせる方法を学んでいくことになります。

これを「魂の輝き」の観点からいうと、魂に覆いをかけて、周りに放つ光を弱めていくことになります。

成長していくうちに、この覆いは分厚いものになり、魂の輝きなど、どこにも見えなくなってしまう。そんな人が、かなりの数いるのです。

ここで魂と呼んでいるものこそ、いわば人間の本質ですから、その光が見えなかったら、「何をやりたいのか分からない」という状態になるのも当たり前です。

そうなれば、何かに興味をひかれてやってみても「長続きしない」ことにもなりますし、「どうにも毎日がつまらない」ということにもなってしまいます。

このように考えれば、「ないないづくし」から抜け出す方法も、簡単に分かります。

あなたの魂の覆いを取り去ればいいのです。

  *  *  *

魂の覆いを取り去ればいい。やるべきことは分かりました。

けれど実際にはこれをどうやったらいいのでしょうか。

実のところ、これには無数のやり方があるのです。

この記事を読んでいるあなたも、ネット上に溢れかえる、「自己実現の方法」や「夢をかなえる生き方」、そして「引き寄せの法則」や「受け入れの法則」といった様々なやり方をご存知のことでしょう。

それぞれのやり方には、それぞれの長所と短所があり、人によっての向き不向きがあります。

ですから、「わたしにぴったりの方法を教えてください」と言われても、ぼくが教えられるものではありませんし、そういうことを教える力を持つ人もなかなかいないのが現実なのです。

つまり、あなたは「魂の覆いを取り除く方法」をみずから探す必要があるのです。

これが一つの答えです。

  *  *  *

「自分で探すのが答えだって? そんなの答えになってないじゃん!」

あなたがそんなふうに感じるのも、もっともなことではあります。

ぼくたちは、問題があれば正解があり、正解を出せば何かを得られる、というような考えに、どっぷり浸かって生きてきたのですから。

けれども、日々を楽しく生きる、とか、充実した人生を送る、といったことには、正解というものはないのです。

誰かがやったことを真似して、それが自分にとってもうまくいき、そのことに満足できるのなら、それはとてもよいことです。

けれども形だけ真似をして、それはうまくいって、うまくいったことは嬉しいんだけれど、その喜びは長続きしない、その状態に自分の心は満足していない。それでまた別のやり方を真似してみる...... 。

そういう「消費」の無限ループに落ち入らないためには、どこかで自分の心の声に耳をすます方法を学ぶ必要があります。

そして、そのためには、まず第一に「自分を好きになる」ことが必要なのです。

自分が嫌いなままでは、自分の心の声を聞くための、どんなによいテクニックを身につけても、宝の持ち腐れにしかなりません。

だって、きらいな自分の気持ちなんて、知りたくないに決まってるじゃないですか。

つまり、一番肝心なのは「自分を嫌っている自分自身を許してやること」なんです。

そして、そのためには、「自分を嫌ってる自分自身を許せない自分」に気づき、「あー、おれって/わたしって、自分を許せないんだなーー」というように、その事実だけを、感情を交えずに見てやることが役に立ちます。

ぼくの場合、そのために、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想が役に立ちました。

こちらに記事があります。

[[哲学から瞑想へ] カジュアルな哲学とヴィパッサナー瞑想 - 世界を迷想するエッセイ二本]

  *  *  *

「ないないづくし」の人生から抜け出し、「魂の輝き」を取り戻す。これをきちんと実現するには長い時間がかかります。

いろいろなセミナーやヒーリングなどによって、一時的に楽になることはあるでしょうが、なかなか突き抜け体験は得られないものです。

他力本願も大切なことではありますが、他力を活かすためにも、自分なりの努力というものはかかせません。

みなさんの探求の道が、幸多いものとなることをお祈りして、この記事を終えたいと思います。

Don't worry, be happy !
くよくよせずに、気楽にいきましょう♬

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☆こちらもどうぞ

[本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください]

[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]

[脱会社人: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]

[本の紹介:「呪術師カスタネダ」]

[本の紹介: カスタネダの友だち、フロリンダ・ドナーが描くアマゾンの暮らし「シャボノ」]

[惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言]

[イケダハヤト氏が「お試しあれ」と言ったホメオパシー半可通講座]

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2017年2月1日水曜日

あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?


[本の紹介]
Naho & Maho「EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)」 Kindle版
Naho & Maho「EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)」 単行本

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ぼくたちは生まれた瞬間から「思い込みのかご」を自分の周りに作り始める。

そう聞いたら、どう思いますか?

そして、多くの人は、丈夫に作ったその「かご」の中で、「かごの鳥」のような人生を送っているのだとしたら?

「かごの中の暮らし」が悪いっていうわけじゃないんですよ。

「かご」は安全のために役立ちますから。たとえば、「かご」の扉を閉めておけば、誰かが勝手に入ってくるのを防げます。外に出るときは扉を開ければいい。

ところがです。「かご」の外に出るのが億劫になり、不安になり、一生を「かご」の中で過ごすとしたら、どうでしょう?

なんだか、退屈な気がしませんか!?

ところが世の中うまくできたもので、「かご」の中でも退屈しないように、様々な娯楽が用意されてるんですね。

テレビを見るのも楽しいし、音楽があれば、ほかに何もいらない。インターネットを使えば、世界中の友だちとつながることができるし、退屈なんかしようがない。

おまけに、この「かご」は実に大きな「かご」なんです。何しろ、この宇宙全体がすっぽり収まってしまうんですから。

そんな「かご」があるわけないって?

ところが、あるんですよ。

それは、あなたの「頭」なんです。あなたの「心」なんです。あなたが作り出した「思い込み」なんです。

たとえばあなたは、「お金を稼がないと生きていけない」と思っていませんか?

ほんとにそうでしょうか。

世の中には自分ではお金を稼がなくても、ちゃんと自分の人生を生きている人がいます。

でも、あなたには真似できない?

それが「思い込み」ってやつなんです。

「真似できない」んじゃないんです。「真似したくない」んです。

この違いが、ひじょーーーに、重要ですので、ここのところだけ覚えてもらえたら、この記事を書いた甲斐があったというものです。

  *  *  *

さて、ここで「あーす・じぷしー」という本の紹介に入ります。

この本は、Maho ちゃんと Naho ちゃんという双子の姉妹が「100%こころとワクワクにしたがって生きる」という、壮大かつ痛快な実験をしてゆく姿を描いた実話の物語です。

双子であるがゆえに、互いに相手の心を読むことが簡単にできた子ども時代の二人、また、Maho ちゃんは共感覚の持ち主なので、音や人に色がついて見える。

そんな「二人」が「社会の縛り」を自ら解き放ち、自由な人生を生き始めます。さまざまな出会いが「二人」を導き、「600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし」が展開されていくのです。

この「社会の縛り」っていうのが、「思い込み」ですよね。周りの「社会」に合わせないと生きられない、職を得てお金を稼がないと生きていけない、そうした様々な「思い込み」...... 。

他のみんなと同じく、たくさんの「思い込み」で自分たちをがんじがらめにしてしまって、息が詰まって苦しんでいた二人が、自由に生きている仲間と出会うことで、「思い込み」から解き放たれて、体も軽く、な世界を生き始める姿が、実に活き活きと描かれています。

うれしいことに、この物語の前半は、ネット上で読むことができます。

[こちらです→あーすじぷしー 第1話 (14話まであります)]

そして、この前半だけでも心揺さぶられること必至ですが、このお話にはさらに続きがあり出版されていて、Kindle 版も紙の書籍も両方あります。

[Kindle版→EARTH GYPSY(あーす・じぷしー) ]
[紙の書籍→EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)]

前半を読んで気に入ったならば、ぜひご購入ください。

あなたの人生もになること請け合いです♬

  *  *  *

ちなみにこの本、アマゾンで見るとレビューのトップに、山川紘矢・山川亜希子夫妻のおすすめの言葉が。

「あーす・じぷしー」の物語には、代々木公園で有名な作家さんと会うエピソードがあるのですが、それって山川紘矢氏のことなのかな、と想像も膨らみます。

「あーす・じぷしー」は、夫妻の翻訳した「アウト・オン・ア・リム」「アルケミスト」から生まれたわけですから、ここにおすすめがあるのもよく分かるのですが、なんと Naho ちゃん、Maho ちゃんは、山川紘矢氏と共著で「受け入れの法則」という本まで出しているのですね。

いやー、ぼくが知らない間に、日本にこんな素晴らしい世代が育っていたとは、まったくの脱帽ものです。

と、いうようなわけで、今回は「思い込み」から自分を解き放ち、自由な人生を生きてみませんか、というお誘いのお話でした。

  *  *  *

さて、最後に、一番かんじんな話をもう一度、書いておきましょう。

あなたが「できない」と思っていること、それは本当は「できない」んじゃなくて、「したくない」んです。

「かご」の外に出てみようかなという気持ちになったら、そのときは、ぜひ、外に出て自由で新鮮な空気を吸ってみてください。

きもちいいはずですよ。

ただし、そこには「危険」もあります。そこのところも、きちんと押さえといてくださいね。

てなことで、今日のところはここまでです。

それでは、みなさん、またお会いしましょうーー。

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☆こちらもどうぞ

[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]

[本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください]

[いきいきと生きたいあなたへ - 魂の輝きを取り戻すために]

[脱会社人: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]

[[哲学から瞑想へ] カジュアルな哲学とヴィパッサナー瞑想 - 世界を迷想するエッセイ二本]

[本の紹介:「呪術師カスタネダ」]

[本の紹介: カスタネダの友だち、フロリンダ・ドナーが描くアマゾンの暮らし「シャボノ」]

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2017年1月2日月曜日

悟ってしまえば「悪」なんてなくなるんです


般若心経というお経があります。

このお経の内容をひと言で説明すると、「この世のすべては空(くう)である」ということになります。

と、そのように言うことは簡単なのですが、ここで「空とは何か」というのが難しいところで、というのも、これは言葉では説明できない、自ら経験して、体感しなければならないことだからなのです。

もちろん般若心経の中でも「空」とは何かが説明してあり、例えば「無老死亦無老死尽」とあります。

これは「老死もなく老死が尽きることもない」と読むわけですが、これが「老死は空である」ということの説明になっています。

ふつうに「空」というとき、例えば「空洞」という言葉は「中が空っぽ」ということですから、「中がない」ということです。

けれども、般若心経が説明するのは、あるものが「空である」ということは、それが「ない」と同時に、そのないものが「尽きることもない」というのですから、普通に考えれば矛盾した話で、何を言っているのか分かりません。

そこで、般若心経に直接は出てきませんが、「悪」について考えて見ましょう。

般若心経の考え方では、この世のすべてが空なのですから、「悪もまた空」ということになります。

すると、これを「老死」のときと同じように言い換えてみると、「悪はないが、悪が尽きることもない」となります。

これがもし、単に「この世に悪はない」という意味だったら、どういうことになるでしょうか。

この世に悪はないのですから、何をやってもかまわない。そういうことも言えてしまいます。

けれども、仏教は悪いことをしてはいけない。と教えます。悪いことをすれば、その結果が悪いこととなって自分に降り掛かってくるから、悪いことはしないほうがよい、というわけです。

ここに「悪が尽きることはない」という言葉の意義が生じます。

お釈迦さまは悟りを開いたので、すべてが空であることを知りました。
悟りの世界では「悪」も「善」もないのです。

けれども、俗世の意味での「悪」がなくなるわけではありません。
そこで、悟りを開いたのちも、仏陀が「悪」をなすことはないのです。

仏陀は「悪」も「善」などないことを知りながら、けれども、俗世には「善悪」があることも知って、「悪」はなさず、「善」のみをなすわけです。

以上が「空とは何か」ということの説明になります。

つまり、「悟りの世界ではすべてが空である」けれども、「俗世ではお釈迦さまの言葉は真実である」ということになります。

説明としては、このようなことになりますので、「ああ、なるほど」と思ってもらえるかもしれませんが、これを本当の意味で理解するには、経験による体感が必要なのです。

それは「悟り」という状態を、ほんの少しでもいいから経験するということです。

仏教というものは、勉強して頭でわかればいいような学問ではありません。お釈迦さまの教えは、「このように行動しなさい、そうすれば幸せになれますよ」という実践の体系なのです。

そして、完全な「悟り」というものには至らなくても、小さな「悟り」を経験することにらば、誰にでも可能性は開かれているのです。

この小文を読んで、「仏教ってなんだか面白そうだな」と、もし思っていただけたなら、どうかぜひ、もう少し仏教について調べて、お釈迦さまの教えを、ほんの少しでもいいので実行してみてください。

八正道として知られる「悟り」に至る方法の中には、最近になって「マインドフルネス」や「ヴィパッサナー瞑想」の名前で知られるようになった呼吸法や瞑想法の実践もあります。

これは日本で坐禅として知られる実践法と原理的には同じものです。

朝起きたときと、夜寝る前に、五分間しずかに呼吸をしてみてください。
これを毎日続けることができれば、あなたはある日、自分の中に「悟り」の種が育ち始めているのに気がつくはずです。

2500年ものあいだ受け継がれてきた素晴らしい教えを、ほんの少しだけでもあなたのものにしてください。

あなたの人生の一日一日が、よき日でありますように。
心からお祈りしてこの小文を終わらせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

☆なお、ヴィパッサナー瞑想については、次の本がありますので、どうぞアマゾンでご覧ください。

[ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(春秋社1999)]

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[初出 2016.10 http://mitona.org/]

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[脱会社人: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]

[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]

[[哲学から瞑想へ] カジュアルな哲学とヴィパッサナー瞑想 - 世界を迷想するエッセイ二本]

[惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言]

[お見事!イケダハヤト氏の必殺「炎上商法」カウンターパンチ]

[イケダハヤト氏が「お試しあれ」と言ったホメオパシー半可通講座]

[本の紹介:「呪術師カスタネダ」]

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