そしてぼくはネパールに行った - 意識のメタモルフォーゼ 01
ぷちウェブ作家のとし兵衛です。
お釈迦さまの生誕地ルンビニの、安宿のベッドに寝そべりながらこれを書いてます。
こちらは、ネパール時間で午後五時半(日本より三時間十五分遅れなので、日本はとっくに夜ですね)、まだ外は明るいです。
五十二歳にして定職を持たないぼくは、いま奥さんと二人、アジアをゆらゆらと漂っているのですが、しばらく前から奥さんはヴィパッサナ瞑想の十日間コースに行っているので、今は気楽な一人暮らしです。
それをよいことに昼間からビールを飲んで、心地良くも気怠い日々を過ごしています。
さて、今回のシリーズでは、そんなぼくの最近の日々に置きつつある、「風変わりな変化」について書きたいと思うのです。
その変化というのは、「意識のメタモルフォーゼ」とでも呼ぶべきもので、ある種の昆虫が、幼虫から、蛹(さなぎ)になり、成虫になるように、個体自体は保たれながらも、劇的な変身を遂げたことが感じられるような不思議な体験なのです。
そんなふうに書くと、オカルトめいた説明に思われるかもしれませんが、これは変性意識状態として知られるものが、一段階上に上がるようなことであって、現代の脳科学の範囲内においても、十分説明しうるものだろうと、仮説を立てています。
この劇的といってもいい変化が起こり始めたのは、この十日間ほどのことなのですが、これがどうして今起こったのかということを説明するには、ぼくが今までどんな人生を送ってきたのかを知ってもらう必要があります。
というのは、この変化は、ぼくという「一人の人間の中で起こった」話ではなく、「周りの人や物との相互作用を通して起こった」ものだと考えるからです。
そこで、まずはぼくの高校・大学時代から話を始めたいと思います。
* * *
ぼくは、高校生の頃から心理学に興味を持ち始めたのですが、高校の友だちの影響で、大学ではコンピュータのソフトウェアの勉強をしました。
心理学に興味を持ったのは兄の影響で、兄は実際、大学で心理学を学びました。
けれどもその兄を見ていて、心理学では大学を出たあとに大変そうだなと打算的に考えて、もう一つの興味の対象のコンピュータを学ぶことにしたのです。
こまかい話をすれば、ぼくが大学でコンピュータを学ぶことになったのには、ある日たまたま旧友にばったり会ったこととか、ほかにもいろいろな偶然ともいっていいエピソードがいくつも関係しているのですが、とりあえずは、「この兄の影響は捨てて、友だちの影響を取った」という形での、
「周りのいろいろな物事の影響をすぐ受けるが、その中で自分でやりたいものを取る」
というやり方が、ぼくの場合の人生を形作る、典型的なパタンとしてあるわけです。
ちなみにぼくが大学生だったのは、1980年代の半ば、日本社会が戦後最後の好景気に浮かれていた頃の話です
同じ大学の別の友だちが先輩と共にソフトの会社を起こしたので、学生時代はそこでバイトをしてずいぶん勉強させてもらいました。
ぼくが大学四年のとき、その友だちが、その会社に就職しないかと誘ってくれたのですが、あいにく会社のやっていることはぼくの興味の範囲内になかったので、断ってしまいました。
ここでも、友だちの影響でプログラムのバイトをし、けれども就職の誘いは自分の判断で捨てる、という、大学の選択と似たパタンが現れます。
友だちの誘いを断ったぼくは、その代わりにこう考えました。
自分は高校のときから会社員になるつもりはなかったし、今も会社員として人生を送るつもりはない。
けれども、大学を卒業するというこの機会を逃したら、ぼくには日本の会社勤めを経験する機会はないだろう。
せっかくだから、就職してみよう。
二、三年でやめるつもりで。
会社での経験については、今はくわしく書きませんが、大手の精密機器メーカーでファームウェアの技術者として働いてみて、とにかく分かったのは、自分は日本の会社的環境にはとことん馴染めないということです。
そして、当初の目論見よりはやや早く、二年足らずでその会社はやめました。
これも、こまかいことは書きませんが、ある種の偶然的な会社内での経験をきっかけに突発的にやめようと思い立ったもので、「やめる」ということ自体は自分で決めているのですが、ある種の偶然の影響に対しての反応ということでは、典型的なパタンということができると思います。
「このときぼくは将来どうしよう」というようなことは、一切考えませんでした。「長いスパンでものを見て人生を設計する」といったスタイルとは無縁の人間なのです。
余計なことはあまり考えず、周りの影響を素直に受け、自分の直感に従って行動する。そうしたパタンがぼくの今を形作ってきたわけです。
* * *
会社をやめることにしたぼくは、せっかくだからこの機会に海外に旅をしようと思いつきました。
そしてある日曜、自宅の近所の、普段はあまり行かない本屋でガイドブックの棚に行き、ぱっと目に入ってきた一冊のガイドブックを手に取りました。
「地球の歩き方」のネパール編です。
ふーん、ネパールは二月、三月は旅行に適した時期なんだ。じゃあ、ちょっと行ってみようかな。
そうして、ぼくは、初めての海外旅行の行き先としてネパールに向かうことになったのです。
(続く)
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[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]
[あーす・じぷしーの物語 - 「思い込み」から自由になるって、どーゆーこと?]
[本気で人生を変えたいですか? それなら、これだけは知っておいてください]
[脱会社人: 気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか]
[最高の幸せ、フロー体験を知ってますか?]
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お釈迦さまの生誕地ルンビニの、安宿のベッドに寝そべりながらこれを書いてます。
こちらは、ネパール時間で午後五時半(日本より三時間十五分遅れなので、日本はとっくに夜ですね)、まだ外は明るいです。
五十二歳にして定職を持たないぼくは、いま奥さんと二人、アジアをゆらゆらと漂っているのですが、しばらく前から奥さんはヴィパッサナ瞑想の十日間コースに行っているので、今は気楽な一人暮らしです。
それをよいことに昼間からビールを飲んで、心地良くも気怠い日々を過ごしています。
さて、今回のシリーズでは、そんなぼくの最近の日々に置きつつある、「風変わりな変化」について書きたいと思うのです。
その変化というのは、「意識のメタモルフォーゼ」とでも呼ぶべきもので、ある種の昆虫が、幼虫から、蛹(さなぎ)になり、成虫になるように、個体自体は保たれながらも、劇的な変身を遂げたことが感じられるような不思議な体験なのです。
そんなふうに書くと、オカルトめいた説明に思われるかもしれませんが、これは変性意識状態として知られるものが、一段階上に上がるようなことであって、現代の脳科学の範囲内においても、十分説明しうるものだろうと、仮説を立てています。
この劇的といってもいい変化が起こり始めたのは、この十日間ほどのことなのですが、これがどうして今起こったのかということを説明するには、ぼくが今までどんな人生を送ってきたのかを知ってもらう必要があります。
というのは、この変化は、ぼくという「一人の人間の中で起こった」話ではなく、「周りの人や物との相互作用を通して起こった」ものだと考えるからです。
そこで、まずはぼくの高校・大学時代から話を始めたいと思います。
* * *
ぼくは、高校生の頃から心理学に興味を持ち始めたのですが、高校の友だちの影響で、大学ではコンピュータのソフトウェアの勉強をしました。
心理学に興味を持ったのは兄の影響で、兄は実際、大学で心理学を学びました。
けれどもその兄を見ていて、心理学では大学を出たあとに大変そうだなと打算的に考えて、もう一つの興味の対象のコンピュータを学ぶことにしたのです。
こまかい話をすれば、ぼくが大学でコンピュータを学ぶことになったのには、ある日たまたま旧友にばったり会ったこととか、ほかにもいろいろな偶然ともいっていいエピソードがいくつも関係しているのですが、とりあえずは、「この兄の影響は捨てて、友だちの影響を取った」という形での、
「周りのいろいろな物事の影響をすぐ受けるが、その中で自分でやりたいものを取る」
というやり方が、ぼくの場合の人生を形作る、典型的なパタンとしてあるわけです。
ちなみにぼくが大学生だったのは、1980年代の半ば、日本社会が戦後最後の好景気に浮かれていた頃の話です
同じ大学の別の友だちが先輩と共にソフトの会社を起こしたので、学生時代はそこでバイトをしてずいぶん勉強させてもらいました。
ぼくが大学四年のとき、その友だちが、その会社に就職しないかと誘ってくれたのですが、あいにく会社のやっていることはぼくの興味の範囲内になかったので、断ってしまいました。
ここでも、友だちの影響でプログラムのバイトをし、けれども就職の誘いは自分の判断で捨てる、という、大学の選択と似たパタンが現れます。
友だちの誘いを断ったぼくは、その代わりにこう考えました。
自分は高校のときから会社員になるつもりはなかったし、今も会社員として人生を送るつもりはない。
けれども、大学を卒業するというこの機会を逃したら、ぼくには日本の会社勤めを経験する機会はないだろう。
せっかくだから、就職してみよう。
二、三年でやめるつもりで。
会社での経験については、今はくわしく書きませんが、大手の精密機器メーカーでファームウェアの技術者として働いてみて、とにかく分かったのは、自分は日本の会社的環境にはとことん馴染めないということです。
そして、当初の目論見よりはやや早く、二年足らずでその会社はやめました。
これも、こまかいことは書きませんが、ある種の偶然的な会社内での経験をきっかけに突発的にやめようと思い立ったもので、「やめる」ということ自体は自分で決めているのですが、ある種の偶然の影響に対しての反応ということでは、典型的なパタンということができると思います。
「このときぼくは将来どうしよう」というようなことは、一切考えませんでした。「長いスパンでものを見て人生を設計する」といったスタイルとは無縁の人間なのです。
余計なことはあまり考えず、周りの影響を素直に受け、自分の直感に従って行動する。そうしたパタンがぼくの今を形作ってきたわけです。
* * *
会社をやめることにしたぼくは、せっかくだからこの機会に海外に旅をしようと思いつきました。
そしてある日曜、自宅の近所の、普段はあまり行かない本屋でガイドブックの棚に行き、ぱっと目に入ってきた一冊のガイドブックを手に取りました。
「地球の歩き方」のネパール編です。
ふーん、ネパールは二月、三月は旅行に適した時期なんだ。じゃあ、ちょっと行ってみようかな。
そうして、ぼくは、初めての海外旅行の行き先としてネパールに向かうことになったのです。
(続く)
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[[本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」]
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