「洋平・昭恵会食」再々考、ネット「世論」をどう読むか
[この記事のまとめ]
・二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討したのち、ネット「世論」についての考え方を提示。
・ネット「世論」、すなわち、ネット上の意見は、どうしても偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。
・ネット上の意見はただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。
・「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないよう注意が必要。とはいえ、「感情的」な発言をする人を否定してもしょぅがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。
* * *
2016年7月10日に投票が行われた参院選・東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、その直後の7月17日に、安倍総理夫人の安倍昭恵氏と会食しました。
その会食については、経緯を紹介した上で、ヘリパッド建設問題を抱える沖縄・高江の視点からの問題点を、こちらの記事では指摘しました。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって]
また、こちらの記事では、ぼくの周りのネット上の反応を見た上で、この会食は三宅氏にとって支持者の「分断」を招く「大失点」であったとの見方を示し、その「失点」を取り戻すべく三宅氏には頑張ってほしい、また支持者の方には三宅氏の成長のためにぜひ助言をしてほしい由を書きました。
[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]
今回は、二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討してから、この「炎上」気味のネット上での反応を、どう受け止め、どう生かしたらよいのかを考えます。
具体的な例はあげませんので、ご自分でこれに関わる発言を見たときに、あ、この発言は、あの分類になるな、とか思って見ていただけたら幸いです。
1. 肯定的なもの。これは、意見を異にする者の間で「対話」をしたことは素晴らしい、という感じのものです。
この考え方については共感する部分も多いのですが、
・「主流派」に取り込まれるおそれを感じていない点でナイーブ、
・沖縄・高江などで現に「被害」を受ている人たちの立場の視点が欠けている点でバランス感が悪い、
と思います。
友だちにこういう人がいる場合は、ナイーブさやバランス感の話をしてみてもいいと思いますが、そのときは決して相手の意見を否定しないことが大切でしょう。
相手の意見を否定すると友情が壊れる場合があります。
相手の意見を否定しないという絶対の自信がある場合をのぞいては、話はしないほうが無難かもしれません。
2. 否定的なもの
2.1. 沖縄の人からの、裏切られた、という声
三宅氏は、これには真剣に答えなければなりません。
また、周りの人間もこの「痛み」の発言をきちんと受け止め、沖縄と「本土」との温度差をよく知った上で、三宅氏を応援していく必要を感じます。
「選挙フェス」で、「戦争反対」、「米軍基地反対」を言って盛り上がっていたみなさんが、三宅氏のあのタイミングでの昭恵氏との会食、あの説得力のない事後コメントについて、彼にその問題点をきちんと伝えることこそが、一番の応援だと思います。
2.2. 運動家の方からの、裏切られた、という声
「選挙フェス」であれだけ「安倍反対」を言っていたのに、昭恵氏と会うとは何ごとだ、というものです。
気持ちは分かりますが、なぜ、なにがダメか、を冷静に伝えるものはあまり見当たりませんでした。
ここでも、高江問題に関わるところからの指摘はいくつかあり、それには共感します。
2.3. 「冷笑」する声
これはもともと三宅氏に反対する人たちが、「揚げ足取り」のような発言をしているだけなので、わざわざ反応するには及ばないでしょう。
ただし、こうした発言が目について「怒り」の感情が沸き上がってくる場合は、その発言が自分の中の「問題点」を教えてくれている可能性があります。
余裕があれば、その発言の何に怒りが湧くのか、その発言に似た発言を自分がすることはないか、逆にそうした発言をしたい気持ちを無理やり自分の中に閉じ込めていないか、などなど、落ち着いて振り返ってみると、何か発見があるかもしれません。
3. 肯定でも否定でもなく、注意を呼びかけるもの
昭恵氏との会見で支持者が「分断」される危険を注意するものや、Twitter での断片的発言の問題点を指摘するものがありました。
この点については、三宅氏もすでによくご理解のはずですから、今後の改善に期待します。
* * *
ここで、ぼくの考えるネット「世論」との付き合い方について、三つのことを述べてみましょう。
1. ネット上の意見は偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。
ネット上に頻繁に書き込む人は、一般の世論の代表というわけではありません。
一部の人の書くことを全体像と勘違いしないことは重要です。
また、書いてあることが本当に正しいのか、立ち止まって考えることも大切です。
いつも、別の視点がないか、と気をつける態度が望ましいでしょう。
これは世論調査やメディアの報道などについても同様です。
誰が調査をするのか、誰が報道をするのかによっても、結果が違ってくるからです。
調査票の質問の言葉次第、結果の数字のまとめかた次第、またその報道の仕方次第で、世論を誘導できる点については、よくよくの注意が必要です。
2. ネット上の意見のやりとりは、ただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。
このことは、こうした経験のない方にこそ注意を呼びかけたいと思います。
自分では何気なく書いた言葉が、あらぬ所で「怒り」の感情を引き起こすことはママあります。
かといって、ネット上で発言することを遠慮する必要はありません。
誰かを怒らせてしまった場合、相手が何を怒っているのかよく確かめ、自分の発言に足りないところがあれば、十分説明し、謝るべきは率直に謝る姿勢が大切でしょう。
3. 「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないような注意は必要。けれど、「感情的」な発言をする人が悪いわけではないので、「感情的」な発言自体を否定してもしょうがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。
「怒り」だけではなく、「悲しみ」や「痛み」、「不安」などの気持ちもネット上では多々見られます。
そうした気持ちに寄り添うことができれば一番いいのですが、相手の「痛み」を十分には分かっていないところで不用意な発言をすると、逆に相手を傷つけてしまう場合があります。
昭恵氏との会食のあとで三宅氏が出した「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」というコメント、これはまさにそのケースと思います。
三宅氏はこの発言で、「沖縄・高江の問題を伝えたいけれども伝えられなかった自分の無念」を、沖縄の友人たちに伝えたかっただけなのだと思います。
けれど、三宅氏を直接知らない、今まさに、大きな「悲しみ」と「痛み」と「不安」を抱える沖縄の方々は、この発言にどれだけ傷つき、幻滅し、怒りを感じたことでしょう。
三宅氏がこのことに一日も早く気づき、沖縄の方々に謝罪なさることを願ってやみません。
また、「怒り」を含め、感情的な表現をする人自身が悪いのではないことも理解するべきところと思います。
なぜ、その人たちは感情的な発言をせざるを得ないのか、そこまで追い込まれる人がいるこの「社会」とはなんなのか、といった視点なしには、この社会を変えていくことできないと思うのです。
☆こちらもどうぞ。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって]
[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]
☆沖縄・高江のヘリパッド建設問題については、こちらを。
[終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]
・二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討したのち、ネット「世論」についての考え方を提示。
・ネット「世論」、すなわち、ネット上の意見は、どうしても偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。
・ネット上の意見はただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。
・「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないよう注意が必要。とはいえ、「感情的」な発言をする人を否定してもしょぅがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。
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2016年7月10日に投票が行われた参院選・東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、その直後の7月17日に、安倍総理夫人の安倍昭恵氏と会食しました。
その会食については、経緯を紹介した上で、ヘリパッド建設問題を抱える沖縄・高江の視点からの問題点を、こちらの記事では指摘しました。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって]
また、こちらの記事では、ぼくの周りのネット上の反応を見た上で、この会食は三宅氏にとって支持者の「分断」を招く「大失点」であったとの見方を示し、その「失点」を取り戻すべく三宅氏には頑張ってほしい、また支持者の方には三宅氏の成長のためにぜひ助言をしてほしい由を書きました。
[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]
今回は、二人の会食について、Twitter と Facebook 上での反応をもう少し検討してから、この「炎上」気味のネット上での反応を、どう受け止め、どう生かしたらよいのかを考えます。
具体的な例はあげませんので、ご自分でこれに関わる発言を見たときに、あ、この発言は、あの分類になるな、とか思って見ていただけたら幸いです。
1. 肯定的なもの。これは、意見を異にする者の間で「対話」をしたことは素晴らしい、という感じのものです。
この考え方については共感する部分も多いのですが、
・「主流派」に取り込まれるおそれを感じていない点でナイーブ、
・沖縄・高江などで現に「被害」を受ている人たちの立場の視点が欠けている点でバランス感が悪い、
と思います。
友だちにこういう人がいる場合は、ナイーブさやバランス感の話をしてみてもいいと思いますが、そのときは決して相手の意見を否定しないことが大切でしょう。
相手の意見を否定すると友情が壊れる場合があります。
相手の意見を否定しないという絶対の自信がある場合をのぞいては、話はしないほうが無難かもしれません。
2. 否定的なもの
2.1. 沖縄の人からの、裏切られた、という声
三宅氏は、これには真剣に答えなければなりません。
また、周りの人間もこの「痛み」の発言をきちんと受け止め、沖縄と「本土」との温度差をよく知った上で、三宅氏を応援していく必要を感じます。
「選挙フェス」で、「戦争反対」、「米軍基地反対」を言って盛り上がっていたみなさんが、三宅氏のあのタイミングでの昭恵氏との会食、あの説得力のない事後コメントについて、彼にその問題点をきちんと伝えることこそが、一番の応援だと思います。
2.2. 運動家の方からの、裏切られた、という声
「選挙フェス」であれだけ「安倍反対」を言っていたのに、昭恵氏と会うとは何ごとだ、というものです。
気持ちは分かりますが、なぜ、なにがダメか、を冷静に伝えるものはあまり見当たりませんでした。
ここでも、高江問題に関わるところからの指摘はいくつかあり、それには共感します。
2.3. 「冷笑」する声
これはもともと三宅氏に反対する人たちが、「揚げ足取り」のような発言をしているだけなので、わざわざ反応するには及ばないでしょう。
ただし、こうした発言が目について「怒り」の感情が沸き上がってくる場合は、その発言が自分の中の「問題点」を教えてくれている可能性があります。
余裕があれば、その発言の何に怒りが湧くのか、その発言に似た発言を自分がすることはないか、逆にそうした発言をしたい気持ちを無理やり自分の中に閉じ込めていないか、などなど、落ち着いて振り返ってみると、何か発見があるかもしれません。
3. 肯定でも否定でもなく、注意を呼びかけるもの
昭恵氏との会見で支持者が「分断」される危険を注意するものや、Twitter での断片的発言の問題点を指摘するものがありました。
この点については、三宅氏もすでによくご理解のはずですから、今後の改善に期待します。
* * *
ここで、ぼくの考えるネット「世論」との付き合い方について、三つのことを述べてみましょう。
1. ネット上の意見は偏りがち。だから、「別の視点」はないか、いつも注意するべき。
ネット上に頻繁に書き込む人は、一般の世論の代表というわけではありません。
一部の人の書くことを全体像と勘違いしないことは重要です。
また、書いてあることが本当に正しいのか、立ち止まって考えることも大切です。
いつも、別の視点がないか、と気をつける態度が望ましいでしょう。
これは世論調査やメディアの報道などについても同様です。
誰が調査をするのか、誰が報道をするのかによっても、結果が違ってくるからです。
調査票の質問の言葉次第、結果の数字のまとめかた次第、またその報道の仕方次第で、世論を誘導できる点については、よくよくの注意が必要です。
2. ネット上の意見のやりとりは、ただの喧嘩になりがち。だから、「怒り」の感情が湧いたら、一旦端末をおくべき。「怒り」にまかせて発言するのは最悪手。
このことは、こうした経験のない方にこそ注意を呼びかけたいと思います。
自分では何気なく書いた言葉が、あらぬ所で「怒り」の感情を引き起こすことはママあります。
かといって、ネット上で発言することを遠慮する必要はありません。
誰かを怒らせてしまった場合、相手が何を怒っているのかよく確かめ、自分の発言に足りないところがあれば、十分説明し、謝るべきは率直に謝る姿勢が大切でしょう。
3. 「怒り」だけでなく、ネット上での「感情的」な発言は多い。それに巻き込まれないような注意は必要。けれど、「感情的」な発言をする人が悪いわけではないので、「感情的」な発言自体を否定してもしょうがない。「感情的」な発言をせざるをえない人の事情も考えていかなければ社会は変わらない。
「怒り」だけではなく、「悲しみ」や「痛み」、「不安」などの気持ちもネット上では多々見られます。
そうした気持ちに寄り添うことができれば一番いいのですが、相手の「痛み」を十分には分かっていないところで不用意な発言をすると、逆に相手を傷つけてしまう場合があります。
昭恵氏との会食のあとで三宅氏が出した「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」というコメント、これはまさにそのケースと思います。
三宅氏はこの発言で、「沖縄・高江の問題を伝えたいけれども伝えられなかった自分の無念」を、沖縄の友人たちに伝えたかっただけなのだと思います。
けれど、三宅氏を直接知らない、今まさに、大きな「悲しみ」と「痛み」と「不安」を抱える沖縄の方々は、この発言にどれだけ傷つき、幻滅し、怒りを感じたことでしょう。
三宅氏がこのことに一日も早く気づき、沖縄の方々に謝罪なさることを願ってやみません。
また、「怒り」を含め、感情的な表現をする人自身が悪いのではないことも理解するべきところと思います。
なぜ、その人たちは感情的な発言をせざるを得ないのか、そこまで追い込まれる人がいるこの「社会」とはなんなのか、といった視点なしには、この社会を変えていくことできないと思うのです。
☆こちらもどうぞ。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって]
[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]
☆沖縄・高江のヘリパッド建設問題については、こちらを。
[終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]
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