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2016年8月12日金曜日

伊方原発再稼働の日に「原爆・原発の不必要な危険」について考える


ガメ・オベール氏は、日本語堪能なイギリスの方で、欧米と日本の両方の社会をよくご存知です。

そのガメ氏が「ヒロシマ」と題する記事を書いています。

彼はその中で福島第一原発の事故に触れ、日本の社会は『それが通常の事故として処理が可能であるかのような「ふり」をすることにした』と厳しい言葉で述べています。

そして、原爆の開発を指揮した物理学者オッペンハイマーに言及してその記事をしめくくっています。

日本が福島第一事故で平然を装っていることの重大な副作用のひとつに、日本人たちの平静な無表情を見て、「なんだ、核なんてあの程度か」という、それまでは絶対の破壊の神としてすべての言語世界で君臨し恐れられていた核エネルギーの日常への組み込みとでもいうべき人類の思想上の変化がある。核戦争と核発電事故は、ふたつの「絶対に起きてはならないこと」であったのが、すぐに大量死が起きたりしないので、なんだ、たいしたことないじゃないか、と述べるオチョーシモノが、科学者のあいだにさえ現れ始めている。その思想的な変容の恐ろしさは、破壊が、いわば時間を圧縮した形で起きたヒロシマをつぶさにみていけば判ります。オッペンハイマーが涙をぬぐいながら述べた言葉の意味を、彼の恐怖を、世界の人間ひとりひとりが理解しはじめるのは、むしろ、これからのことなのでしょう。

この結論には、まったく異論はありません。

けれど、広島に落とされた原爆の意味に関して、ガメ氏の主張は、戦勝国側の視点に傾き過ぎではないかと思われますので、その点について少し書きます。

  *  *  *

ガメ氏は、日本の敗戦について次のように書いています。
日本語世界では、奇妙な事に「現実に戦争を終わらせたのは原爆ではなくソ連の参戦だ」ということになっている。英語人たちの一般的な理解は「理解不能な狂気によって最後のひとりまで自殺攻撃をする決意を固めていた日本の戦意を打ち砕いて降伏に持ち込んだのは広島と長崎に落とした二発の核爆弾だ」でしょう。

ここに述べられている言葉は、間違いとは言えませんが、やや一方的な見方に思えます。

「現実に戦争を終わらせたのは原爆ではなくソ連の参戦だ」という見方を「奇妙」であると表現し、「日本の戦意を打ち砕いて降伏に持ち込んだのは広島と長崎に落とした二発の核爆弾だ」が英語圏では一般的な見方だというわけですから、これは敗戦を受け入れた直接の原因は、多数派の意見である「原爆」だというのが「事実」であって、「ソ連の参戦」だという主張は間違っている、ということになります。

一方、原爆投下を決断した第33代大統領ハリー・トルーマンの孫、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏は「ニューズウィーク」のインタビューで次のように語っています。
伝統的な歴史学者は原爆は戦争を終結させ、日米双方の多くの命を救ったと主張する。一方、歴史修正主義者は日本は既に負けたも同然で、原爆投下はソ連を威嚇するためだったと言う。
「原爆投下はソ連を威嚇するためだった」ということは、戦争を終わらせるためには原爆の投下は必要がなかったことを意味します。

アメリカにおいても、原爆の使用が戦争終結を早めたかどうかについて、両論があるわけです。

ソ連の仲介による戦争終結を期待していた日本にとって、日ソ中立条約が有効であったにも関わらず、8月9日の午前零時に、南樺太 ・ 千島列島 および 満州国 ・ 朝鮮半島北部等へソ連軍が侵攻したことは、ポツダム宣言の受諾に関し、少なくとも原爆と同等の効果があったのだといっても言い過ぎではないでしょう。

先ほども言葉を引いたトルーマン大統領の孫であるダニエル氏は、「広島と長崎への初訪問の前後で、原爆への見方は変わったか」と問われて答えます。
変わっていない。そこに行ったとき、私は原爆が戦争を終結させたか否か、正当な行為だったか否かについて語ることをやめた。訪問の目的はただ1つ、被爆者の話を聞くことだった。亡くなった方々に敬意を表し、生存者の話を聞く。目的は癒やしと和解であり、原爆使用の是非を議論することではない。

  *  *  *

「原爆によって戦争が終わった」というのは一つの意見です。
そのように考え、それによって自分の命が救われたと考えているアメリカの退役軍人の人たちがいるのは、事実です。
その人たちに対して、「原爆の投下は必要なかったのだ」といっても、益はないでしょう。

「戦争を終わらせるために原爆の投下は必要なかった」というのも一つの意見です。
しかし、この意見を述べるときに注意しなければいけないのは、「原爆を落とす」ということに象徴されるような「罪」を犯す可能性は、われわれの誰もが持っているという事実です。

「原爆を落とした」ことは非難するべきではなく、そうした「罪」を犯す可能性をわれわれ自身の問題としてとらえる必要があるのです。

「必要のない原爆」を落とした「われわれ」が、「必要のない原発」を作って地球環境を汚染し、その事実と向き合うことをせずに原発を再稼働して、「必要のない危険」を作り続けているのです。

福島第一事故による健康への被害は、これからいよいよ本格化すると考えられます。

ガメ氏が述べる通り、
オッペンハイマーが涙をぬぐいながら述べた言葉の意味を、彼の恐怖を、世界の人間ひとりひとりが理解しはじめるのは、むしろ、これからのこと
に違いありません。

この厳しい現実に目を背けることなく、また、多数の人々が目を背けたとしても、そうした人々を非難することなく、原子力・核エネルギーに反対する声を冷静に挙げ続けていくということが、われわれに課された未来の世代への責任なのだと思います。

[2016.08.12 伊方原発再稼働の日に]

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