なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか
[この記事の見出し]
・はじめに
・選挙制度自体の問題
・障害者問題
・沖縄問題
・「不正選挙」問題
・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。
・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。
* * *
・はじめに
Twitter などでいろいろな方々の投稿を見ていると、今回2016年の参院選で、今井絵理子氏が当選して、三宅洋平氏が落ちたのはおかしいじゃないか、といった内容のものが散見されます。
そう言いたくなる気持ちは分かるのですが、単純におかしいと言ってすむ問題かというとそうは思えません。
今井氏が当選し、三宅氏が落選したことには、相応の理由があります。
三宅洋平氏を応援する立場から、この問題を少し細かく見ていきたいと思います。
・選挙制度自体の問題
今井絵理子氏は、自民党の候補として参院選の比例区から立候補し、31万票を獲得して当選しました。
それに対し三宅洋平氏は、東京選挙区から立候補し、生活の党と山本太郎となかまたちちから勝手連としての支援を得て、25万票を獲得したものの当選ラインの50万票には遠く及ばず落選しました。
今井氏は知名度の高さに加え、自民党という強力なバックのもとに当選したわけで、これはある意味、当然と言えましょう。
それに対し、三宅氏が、知名度は低い上、特別な支持基盤を持たないにもかかわらず、25万票を獲得したことは、「選挙フェス」手法の成功、新しい投票者の掘り起こしといった意味で大きく評価できることであり、残念ながら当選ラインまではまだ相当の距離があるものの、将来への期待は十分できるものと思われます。
・障害者問題
今井絵里子氏はご自身、「障害」のあるお子さんを抱え、「障害」者問題に積極的に取り組んでいるわけですから、そうした関心を持つ方からの支持があったものと思われます。
それに対し、三宅氏はその政策に「保育・介護の社会化の徹底」という言葉があり、「障害」者問題にも理解があるのではないかと期待されるところです。
ところが、2015年に「『障害』児を持つ親もそのことを反省しつつ」という発言したことで、「障害」者に対する差別意識があるのではないかと思われた状態のまま、今回の参院選立候補に至ったという経緯があります。
三宅氏はこの問題について、参院選直後の7月日に、「障害」者問題をよく理解していなかったために「反省」という言葉を使い、「障害」児者およびその家族の気持ちを傷つけてしまったことについて謝罪しましたが、こうした問題を抱えたまま選挙活動に入らざるを得なかったことは、一つの「失点」と考えられるでしょう。
○三宅氏の「反省しつつ」の発言に関しては、こちらの記事をご覧ください。
[三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます]
・沖縄問題
今井氏は沖縄出身でありながら、12歳以降は東京で活動してきました。
そのため、沖縄の基地問題をよく理解しておらず、そのことについての質問に対し、「これから向き合っていく」という発言をしています。
これは、今現在、基地問題で苦しむ沖縄の人々からすれば、納得のいかない発言と思われます。
いっぽう三宅氏は、沖縄在住であり、沖縄の基地問題についても積極的に発言をしてきました。
ところが、参院選終了後、間もない7月17日、沖縄の高江地区でオスプレイのヘリパッド建設の再開が強行される情勢の中、安倍総理の妻である安倍昭恵氏と会食し、さらにその場で安倍総理自身とも電話で話したにも関わらず、高江の問題を一言も伝えられないという、失態を演じてしまいました。
これでは、沖縄の人が失望するのは当然ですし、少なからぬ支持者が三宅氏は今後支持できないと考えたのではないかと考えられ、これは「大失点」としか言いようがありません。
三宅氏の昭恵氏との会食の問題についてはこちらをご覧ください。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。]
・「不正選挙」問題
以上に述べた今井氏と三宅氏を取り巻く状況の問題とは別に、現行の日本の選挙において、開票時に不正が行なわれ、そのために三宅氏のような一部の反主流派の候補者は当選できないのだという議論がネット上には根強くあります。
これが事実なら非常に重要な問題ですし、三宅氏の支持者が「選挙フェス」の盛り上がりや開票速表の様子などから、そうした疑念を抱くことは理解できます。
しかし、状況証拠だけでそうした臆測をネット上で流布することには、あまり意味があるとは思えません。
もし、そうした不正が事実であるのなら、確実な物的証拠を提示して告発する必要があります。
仮に不正が事実であったとしても、内部告発などがない限り、この問題が公に取り上げられることは難しいかもしれません。
「不正」が行われていないと言い切ることもできないわけですから、冷静な判断と慎重な取り組みが必要な問題だと考えます。
・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。
開票後の記者会見で三宅洋平氏は、
有効な政治活動を、生きの長い地道な積み重ねなしに実現することは難しいでしょう。
今回の参院選での25万票という結果は十分評価に値するものですが、前回の参院選からの三年間の歳月を三宅氏が有効に活動してきたかという点になると心もとないものがあります。
[参照: やぎうら彰氏のプログ「三宅洋平について思うこと」]
三宅氏は今回の参院選後に、自身が主催する、NAUというアーティストを中心とする政治団体に、一般の方々の参加を呼びかける新しい行動を開始しています。これは歓迎すべき動きと言えましょう。
三宅氏自身が今後どのような形で選挙に関わるのかは今はまだ分かりませんが、彼自身がまた立候補することもありうるでしょう。
そうした可能性を見据えて、三宅氏を応援する側も息長く活動を続けていく必要があります。
それには例えば、日頃から政治について勉強し、話をし、伝えていく、といった地道な行動が不可欠でしょう。
そして、それと同時に「選挙フェス」というものが形を与えてくれた、瞬間瞬間の爆発的な盛り上がりの力というものも重要な役割を果たすに違いありません。
新しい政治の流れを力強いものにしていくためには、日頃の地道な積み重ねと、瞬間的な爆発力が、両輪として必要なのだと思います。
・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。
今回の参院選によって、改憲を進める主流派の勢力は、衆院、参院ともに三分の二を越えました。
これにより憲法改定への動きはいよいよ本格化するものと思われ、「日本の民主主義は死んだ」という声すら聞かれます。
確かにこのままでは、非常事態条項を盛り込んだ憲法の改定が実現する恐れがあり、そうなってしまえば、戒厳令下で民主的な主権が一切停止する事態も当然予想されます。
日本の民主主義は「脳死状態」にあると言っても言いすぎではないでしょう。
けれど「脳死」は、完全な「死」とは違います。
この「脳死状態」から日本の民主主義が息を吹き返すことができるかどうかは、ぼくたち一人ひとりの行動にかかっているのです。
ただ投票に行くことだけが、ぼくたちの持っている権利なのではありません。
選挙に行って投票できるのは一票に過ぎませんが、周りの人たちと話をすることによって、あなたの意見に賛同してくれる人を増やすことができれば、はじめはあなたの一票に過ぎなかったものが、10票にも100票にもなりうるわけです。
そうした行動をネット上だけでなく、現実の社会において取ることができるかどうか。
日本の民主主義の復権は、この点にかかっているものと思います。
瀕死の状態にある日本の民主主義の復活を願い、三宅洋平氏の今後の活躍を祈って、今回の記事を終わることにします。
・はじめに
・選挙制度自体の問題
・障害者問題
・沖縄問題
・「不正選挙」問題
・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。
・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。
* * *
・はじめに
Twitter などでいろいろな方々の投稿を見ていると、今回2016年の参院選で、今井絵理子氏が当選して、三宅洋平氏が落ちたのはおかしいじゃないか、といった内容のものが散見されます。
そう言いたくなる気持ちは分かるのですが、単純におかしいと言ってすむ問題かというとそうは思えません。
今井氏が当選し、三宅氏が落選したことには、相応の理由があります。
三宅洋平氏を応援する立場から、この問題を少し細かく見ていきたいと思います。
・選挙制度自体の問題
今井絵理子氏は、自民党の候補として参院選の比例区から立候補し、31万票を獲得して当選しました。
それに対し三宅洋平氏は、東京選挙区から立候補し、生活の党と山本太郎となかまたちちから勝手連としての支援を得て、25万票を獲得したものの当選ラインの50万票には遠く及ばず落選しました。
今井氏は知名度の高さに加え、自民党という強力なバックのもとに当選したわけで、これはある意味、当然と言えましょう。
それに対し、三宅氏が、知名度は低い上、特別な支持基盤を持たないにもかかわらず、25万票を獲得したことは、「選挙フェス」手法の成功、新しい投票者の掘り起こしといった意味で大きく評価できることであり、残念ながら当選ラインまではまだ相当の距離があるものの、将来への期待は十分できるものと思われます。
・障害者問題
今井絵里子氏はご自身、「障害」のあるお子さんを抱え、「障害」者問題に積極的に取り組んでいるわけですから、そうした関心を持つ方からの支持があったものと思われます。
それに対し、三宅氏はその政策に「保育・介護の社会化の徹底」という言葉があり、「障害」者問題にも理解があるのではないかと期待されるところです。
ところが、2015年に「『障害』児を持つ親もそのことを反省しつつ」という発言したことで、「障害」者に対する差別意識があるのではないかと思われた状態のまま、今回の参院選立候補に至ったという経緯があります。
三宅氏はこの問題について、参院選直後の7月日に、「障害」者問題をよく理解していなかったために「反省」という言葉を使い、「障害」児者およびその家族の気持ちを傷つけてしまったことについて謝罪しましたが、こうした問題を抱えたまま選挙活動に入らざるを得なかったことは、一つの「失点」と考えられるでしょう。
○三宅氏の「反省しつつ」の発言に関しては、こちらの記事をご覧ください。
[三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます]
・沖縄問題
今井氏は沖縄出身でありながら、12歳以降は東京で活動してきました。
そのため、沖縄の基地問題をよく理解しておらず、そのことについての質問に対し、「これから向き合っていく」という発言をしています。
これは、今現在、基地問題で苦しむ沖縄の人々からすれば、納得のいかない発言と思われます。
いっぽう三宅氏は、沖縄在住であり、沖縄の基地問題についても積極的に発言をしてきました。
ところが、参院選終了後、間もない7月17日、沖縄の高江地区でオスプレイのヘリパッド建設の再開が強行される情勢の中、安倍総理の妻である安倍昭恵氏と会食し、さらにその場で安倍総理自身とも電話で話したにも関わらず、高江の問題を一言も伝えられないという、失態を演じてしまいました。
これでは、沖縄の人が失望するのは当然ですし、少なからぬ支持者が三宅氏は今後支持できないと考えたのではないかと考えられ、これは「大失点」としか言いようがありません。
三宅氏の昭恵氏との会食の問題についてはこちらをご覧ください。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。]
・「不正選挙」問題
以上に述べた今井氏と三宅氏を取り巻く状況の問題とは別に、現行の日本の選挙において、開票時に不正が行なわれ、そのために三宅氏のような一部の反主流派の候補者は当選できないのだという議論がネット上には根強くあります。
これが事実なら非常に重要な問題ですし、三宅氏の支持者が「選挙フェス」の盛り上がりや開票速表の様子などから、そうした疑念を抱くことは理解できます。
しかし、状況証拠だけでそうした臆測をネット上で流布することには、あまり意味があるとは思えません。
もし、そうした不正が事実であるのなら、確実な物的証拠を提示して告発する必要があります。
仮に不正が事実であったとしても、内部告発などがない限り、この問題が公に取り上げられることは難しいかもしれません。
「不正」が行われていないと言い切ることもできないわけですから、冷静な判断と慎重な取り組みが必要な問題だと考えます。
・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。
開票後の記者会見で三宅洋平氏は、
「今回の選挙に関して、政治活動は4週間足らずだった。何十年という政党活動を続けられている方の壁の厚さを感じる」と述べています。
有効な政治活動を、生きの長い地道な積み重ねなしに実現することは難しいでしょう。
今回の参院選での25万票という結果は十分評価に値するものですが、前回の参院選からの三年間の歳月を三宅氏が有効に活動してきたかという点になると心もとないものがあります。
[参照: やぎうら彰氏のプログ「三宅洋平について思うこと」]
三宅氏は今回の参院選後に、自身が主催する、NAUというアーティストを中心とする政治団体に、一般の方々の参加を呼びかける新しい行動を開始しています。これは歓迎すべき動きと言えましょう。
三宅氏自身が今後どのような形で選挙に関わるのかは今はまだ分かりませんが、彼自身がまた立候補することもありうるでしょう。
そうした可能性を見据えて、三宅氏を応援する側も息長く活動を続けていく必要があります。
それには例えば、日頃から政治について勉強し、話をし、伝えていく、といった地道な行動が不可欠でしょう。
そして、それと同時に「選挙フェス」というものが形を与えてくれた、瞬間瞬間の爆発的な盛り上がりの力というものも重要な役割を果たすに違いありません。
新しい政治の流れを力強いものにしていくためには、日頃の地道な積み重ねと、瞬間的な爆発力が、両輪として必要なのだと思います。
・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。
今回の参院選によって、改憲を進める主流派の勢力は、衆院、参院ともに三分の二を越えました。
これにより憲法改定への動きはいよいよ本格化するものと思われ、「日本の民主主義は死んだ」という声すら聞かれます。
確かにこのままでは、非常事態条項を盛り込んだ憲法の改定が実現する恐れがあり、そうなってしまえば、戒厳令下で民主的な主権が一切停止する事態も当然予想されます。
日本の民主主義は「脳死状態」にあると言っても言いすぎではないでしょう。
けれど「脳死」は、完全な「死」とは違います。
この「脳死状態」から日本の民主主義が息を吹き返すことができるかどうかは、ぼくたち一人ひとりの行動にかかっているのです。
ただ投票に行くことだけが、ぼくたちの持っている権利なのではありません。
選挙に行って投票できるのは一票に過ぎませんが、周りの人たちと話をすることによって、あなたの意見に賛同してくれる人を増やすことができれば、はじめはあなたの一票に過ぎなかったものが、10票にも100票にもなりうるわけです。
そうした行動をネット上だけでなく、現実の社会において取ることができるかどうか。
日本の民主主義の復権は、この点にかかっているものと思います。
瀕死の状態にある日本の民主主義の復活を願い、三宅洋平氏の今後の活躍を祈って、今回の記事を終わることにします。
コメント
不可逆的な死です。
今の、民主主義が脳死なら、死んでいると見るのが普通の見方のような気がします。
脳死からは、蘇らないのが、現代医学の常識だと思ってました。
私は、脳死を人の死とは認めてませんが。