ヴィパッサナー随想 #4 -- 不真面目でいい加減なぼくの迷想術

[写真はインドのラーマ神、ラジャスタン州プシュカルにて]

みなさん、こんにちわ。
ぷちウェブ作家のとし兵衛です。

2011年の暮れにインドのプシュカルで、「物事を正しく見るための瞑想法」ヴィパッサナーの10日間のコースに参加した私ですが、センターに着いたその日は、軽くオリエンテーションを受けて、夕方1時間ほど座ります。しかし、これはまだほんの序の口で、翌日から第一日目としてコースが本格的に始まります。

朝は鐘が鳴り、四時に起きます。三十分で身支度してホールへ向かいます。
プシュカルのセンターは小さなところなので、そのときの男性の参加者は7名、女性は14-15名だったでしょうか。他のところでは、数十人から、数百人の規模だったりするようです。

この日から、10日目までは基本的にお喋りはできません。ノートを取ったり、本を読むことも許されません。
余計な言葉を使うことが、心の落ち着きを失い、正しく見ることを邪魔するからです。

「言葉を使わなくちゃ、考えられないんだから、正しく見ることもできないじゃないか」と思われるかもしれませんが、少しばかり瞑想を体験して思うことは、ぼくらは言葉を使ってラベル付けして世界を見ることで、いわば便利に分かりやすく世界を体験しているのだなということです。けれどそれは便利だけれど、往々にして、ラベルに目をくらまされて、その下に隠れているありのままの現実を見失うことにつながってしまうようです。

そこで、ヴィパッサナーでは、まず、呼吸に意識を集中することにより、結果として、頭の中のひとり言を減らしていくようにします。

禅でも言われる無念無想というやつです。

けれども、ひと言で無念無想とは言いますが、そんなことが、言われてぱっとできるなら、ヴィパッサーの瞑想センターなんて、必要もないですよね。

というわけで、一日目から三日目までは、とにかく自分の息に意識を向けることの練習です。

朝6時半からまず2時間座ります。
それまで自分では1時間ほどしか座ったことがありませんから、この2時間がまず、どうにも長いのです。

そして、しばらくは息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、とそれだけを繰り返していますが、気がつくと何やら頭の中で考えています。

ふとそのことに気づいて、また呼吸に意識を持っていきます。
けれどしばらくすると、やっぱり何か考えています。

ぼくは1日目のうちに、考えを止めることはあきらめて、考えが続く限りは適当に考えることにしてしまいました。

まったく不真面目でいい加減なヴィパッサナーではありませんか(笑)。

けれども、この瞑想中に沸き上がってくる、思考や記憶、そしてそうしたものから立ち現れる気づきには、また大きな意味があるのですが、それについては次回に書きたいと思います。

以上、今日もご精読ありがとうございました。

☆続きはこちらです。
[ヴィパッサナー随想 #5 -- 意識は集団催眠のための道具である]
[ヴィパッサナー随想 #6 -- 心の底から湧き上がる気づき]

[なお、ゴエンカ氏方式のヴィパッサナーについては、次の本がありますので、よろしかったらどうぞ]
ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(春秋社1999)

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