アウシュビッツ、新潟知事選、安倍政権
いきなりアウシュビッツとは穏やかでないのですが、マミーさんというかたが、[小学校の図書室で思うこと] という記事を書いてらっしゃいます。
「アウシュビッツの図書係」(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社)という本の紹介記事で、14歳の実在の少女をモデルに書かれた「限りなくノンフィクションに近い小説」とのことです。
自分の命を賭けてまで、本を守るとはどういうことなのか。この本の詳しい内容に関してはマミーさんの記事を見ていただくとして、この記事では、『極限状態においても人間という存在が持ちうる「勇気」という力』について、ゆるりと書いてみたいと思います。
* * *
昨日、2016年10月16日は、新潟県で知事選がありました。
原発の再稼働に積極的に異議を申し立てていた泉田現知事が、直前に立候補を取りやめるという奇妙な事態を経て、再稼働に反対する米山隆一氏が立候補し、当選したことは、原発問題の今後について、また、原発再稼働に象徴される日本の「総天然全体主義化」の行く末について、大きな問題を提起しているものと思います。
鹿児島での三反園の当選に続き、新潟においても原発再稼働に反対を表明する米山氏が、自民、新潟連合の押す森氏を破ったことは、地方の首長選において、「民意」ははっきりと原発再稼働に「反対」であることを示しています。
しかしながら、沖縄・高江の現状を見れば明らかなように、「中央」の権力機構は、反対派に対する徹底的な弾圧の姿勢を隠す必要すら、もはや感じていない模様です。
米山氏の勝利を手放しで喜ぶことはできず、これからの道行きの険しさを感じる所以です。
[2016.10.18 追記]
なんとも意外なことに、こちらの記事によると、米山隆一氏の「本音」は「原発賛成」ということのようです。
新潟県民の民意を裏切り、安易に「再稼働」を許すことのないよう、米山氏にはくれぐれもよろしくお願いしたいところです。
* * *
さて、そのニッポンの「中央」を代表して立つ存在が、自民党総裁にして内閣総理大臣である安倍晋三氏ということになります。
そうであるからには、現在のニッポンの流れに反対の意を表明するために、「反安倍」をいうことは当然ではあるのですが、仮に安倍氏の「首」を切ることができたとしても、また別の「アベ」氏が登場するだけであろうことは、日本の「総天然全体主義」的体質を考えれば、簡単に想像がつきます。
そのときぼくらは、ヤマタノオロチを退治したスサノオの登場を期待するべきではありません。
なぜなら、「アベ」氏というヤマタノオロチを退治した途端に、スサノオ自身が「アベ」氏を引き継ぐことになる以外の道は考えられないからです。
* * *
冒頭で触れた「自分の命を賭けて」何かを守るということ、今の日本ではなかなか分かりにくいことだと思います。
高度経済成長後の日本しか知らないぼく自身、それが肌で分かるわけではありません。
けれども、その「分かり得ない」何かを知るために、日々を誠実に生きていきたいものだと思うのです。
何が正しいとか、そういうことは、あとにならなければ、分からないのだと知りながら、今できる精一杯のことを、やっていきたいなあと、思うのです。
周りがある色に染まっていて、それを乱してくれるなと、言っているように思えるときに、その状況の「日常性」と「極限性」を踏まえた上で、何かを言う勇気を持ち続けたいと思うのです。
ぼくたちは、誰か強力なスサノオの登場を待つのではなく、一人ひとりが小さなスサノオとして生きていくべきではないかと思うのです。
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☆こちらもどうぞ
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昨日、2016年10月16日は、新潟県で知事選がありました。
原発の再稼働に積極的に異議を申し立てていた泉田現知事が、直前に立候補を取りやめるという奇妙な事態を経て、再稼働に反対する米山隆一氏が立候補し、当選したことは、原発問題の今後について、また、原発再稼働に象徴される日本の「総天然全体主義化」の行く末について、大きな問題を提起しているものと思います。
鹿児島での三反園の当選に続き、新潟においても原発再稼働に反対を表明する米山氏が、自民、新潟連合の押す森氏を破ったことは、地方の首長選において、「民意」ははっきりと原発再稼働に「反対」であることを示しています。
しかしながら、沖縄・高江の現状を見れば明らかなように、「中央」の権力機構は、反対派に対する徹底的な弾圧の姿勢を隠す必要すら、もはや感じていない模様です。
米山氏の勝利を手放しで喜ぶことはできず、これからの道行きの険しさを感じる所以です。
[2016.10.18 追記]
なんとも意外なことに、こちらの記事によると、米山隆一氏の「本音」は「原発賛成」ということのようです。
新潟県民の民意を裏切り、安易に「再稼働」を許すことのないよう、米山氏にはくれぐれもよろしくお願いしたいところです。
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さて、そのニッポンの「中央」を代表して立つ存在が、自民党総裁にして内閣総理大臣である安倍晋三氏ということになります。
そうであるからには、現在のニッポンの流れに反対の意を表明するために、「反安倍」をいうことは当然ではあるのですが、仮に安倍氏の「首」を切ることができたとしても、また別の「アベ」氏が登場するだけであろうことは、日本の「総天然全体主義」的体質を考えれば、簡単に想像がつきます。
そのときぼくらは、ヤマタノオロチを退治したスサノオの登場を期待するべきではありません。
なぜなら、「アベ」氏というヤマタノオロチを退治した途端に、スサノオ自身が「アベ」氏を引き継ぐことになる以外の道は考えられないからです。
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冒頭で触れた「自分の命を賭けて」何かを守るということ、今の日本ではなかなか分かりにくいことだと思います。
高度経済成長後の日本しか知らないぼく自身、それが肌で分かるわけではありません。
けれども、その「分かり得ない」何かを知るために、日々を誠実に生きていきたいものだと思うのです。
何が正しいとか、そういうことは、あとにならなければ、分からないのだと知りながら、今できる精一杯のことを、やっていきたいなあと、思うのです。
周りがある色に染まっていて、それを乱してくれるなと、言っているように思えるときに、その状況の「日常性」と「極限性」を踏まえた上で、何かを言う勇気を持ち続けたいと思うのです。
ぼくたちは、誰か強力なスサノオの登場を待つのではなく、一人ひとりが小さなスサノオとして生きていくべきではないかと思うのです。
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