たとえばタイの南の島の浜辺で
[写真はタイの渡し船に乗るバイク] |
たとえばタイの南の島の浜辺で、マジックマッシュルームを摂ったあの日。
多くの人は、この体験を得ることができないのだと、うぬぼれて有頂天になっていた愚か者のぼく。
キノコにはいろいろなことを教わったし、麻の穂の知恵にも感謝している。
友だちにほんの触りだけ手ほどきしてもらった中国拳法がきっかけになって、呼吸というものに興味を持ち、ヨガやフェルデンクライスやヴィパッサナーも体験して、ようやく、自分の愚かさと向き合うところまでこれたんだな。
若い頃から作家にでもなれたらな、という甘ったるい夢を捨て切れずに、五十も過ぎ、ネット上で若い人たちの活躍やら、努力やらを見ていれば、いい加減あきらめたらいいようなものだが、あきらめればそこで終わりなので、あるかどうか分からぬ可能性を信じることにして、とにかくこうして言葉を並べてみる。
フロリンダ・ドナーの「シャボノ」の翻訳も、まだもう少し先が長いのだが、一応目鼻はついたことにして、今は寝かせてある。
この翻訳を仕上げて、どこかから出版してもらえたら、それでぼくの人生はよしとしようと思っている。
コリン・ウィルスンの「アウトサイダー」のことが、心に引っかかっている。
それは、あそこに書かれている、社会からはみ出したアウトサイダーというものが、すべて母親との関係性に「失敗」を抱えていると思うので。
カミュの「異邦人」はずばりで、逆にあの中で一人だけ幸福なアウトサイダーであるブレイクは、母親の愛に恵まれていたはずだと、決めつけている。
ようするにぼくが、母親との関係性で「失敗」したはみ出し者だということにすぎないのだけれど。
今回はまとまりのつかないまま、これで終わり。
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