精神医療における減薬の問題をめぐって -- 「不適応状況」についての覚書
この記事では、精神医療における減薬の問題を「不適応状況」という視点から論じてみます。
まず、アイデンティファイド・ペイシェントの概念を用いて、「不適応状況」と「不適応症状」いう二つの言葉を提案します。
そして、減薬に関して「不適応状況」という視点からその問題点を考察し、解決へ至る道筋を提案します。
* * *
精神的症状を引き起こしている「患者」について、「アイデンティファイド・ペイシェント(特定された患者)」という言葉をわざわざ使うのは、次のような考え方によります。
1. 精神的症状を引き起こしている「患者(ペイシェント)」は、その人自体に問題があるとは必ずしも言えない。
2. 関係性(たとえば家族)の中で問題があるときに、その問題が関係性の中で弱い立場にある人物に「症状」として現れる場合がある。
3. 関係性の問題が原因で「症状」が現れた人物は、ただ「患者」として見るのではなく、「患者」として「特定された(アイデンティファイド)」存在としてみたほうが問題を解決しやすい。
この考え方に沿って考えるとき、「不適応状況」という言葉は、「アイデンティファイド・ペイシェントが発生している状況」を表すものとします。
つまり、関係性の中で問題があり、その関係性の中の誰かが「患者」として振舞っている状況です。
また、「アイデンティファイド・ペイシェント」に生じている症状を「不適応症状」と呼ぶことにします。
なお、このアイデンティファイド・ペイシェントという言葉はもともと家族療法で使われるものです。家族療法について興味がある方には、専門書なのでちょっとお高いですが、こちらがおすすめです。
[「家族療法のヒント」東 豊著(金剛出版 2006)]
* * *
精神医療の場面においては、医者が診断をし、診断に応じて薬を処方します。
精神医療の診断にも基準がありますが、基準はあくまで「症状」をもとにしたものであり、生理学的な根拠があるものではありません。
そのため、基準の判定には恣意性があり、適切な投薬がなされているかどうかの客観的な判断は困難です。
そうした状況の中、他の様々な要因も重なって、日本の精神医療は世界的に見ても他種類の薬剤を多量に投与する結果になっています。
不必要な薬剤の投与によって患者さんは副作用の不利益をこうむることになります。
そこで、現在精神医療を受けている患者さんに対しては減薬をすることが望ましいと考えられます。
けれども、いきなりの減薬は患者さんの調子を崩す原因になりますので、患者さんと医師とはよく相談の上で減薬を進める必要があります。
このとき、患者さんの「症状」が悪化しないように減薬していくことが重要になるわけですが、この「症状」を患者さん自体の「症状」であると考えるのか、それとも関係性の問題から来ている「不適応症状」と考えるのかで、減薬についての捉え方も変わってくることになります。
* * *
例えば、ある患者さんの「幻覚」という症状を抑えるために強い薬を投与していて、その結果、その患者さんがその薬の副作用に悩まされているとします。
副作用を抑えるため、この薬を少し弱い薬に変えて、いくらかの「幻覚」が現れたとき、患者さん本人はその幻覚がつらいので、家族に幻覚の苦しさを訴えたとします。
このとき、家族に訴えを聞く余裕がなく、患者さんに対して「お前はおかしいから、薬をもっと飲め」とか、医者に対して「調子が悪いから薬を増やしてくれ」と言うようなら、患者さんは減薬することができません。
そして、これを患者さんの「症状」の問題と考えると、この患者さんの症状では、これ以上の減薬は無理だ、ということになってしまいます。
けれども逆に、家族に患者さんの訴えを聞く余裕があれば、患者さんは聞いてもらうことにより気分が落ち着いて、その幻覚のつらさがやわらぎ、弱い薬に変えても「症状」が安定する、ということもありえます。
つまり、家族関係の中での「不適応状況」という視点があれば、家族の協力を得ることで、患者さんの減薬を助けることもできますし、もし協力が得られなくて、減薬できなかった場合でも、患者さん自身の問題ではないと考えられますから、「幻覚」という症状に耐えられなかった患者さんを責めるようなおかしな状況には落ち入らないですみます。
* * *
今度はこういう例を考えてみましょう。
患者さんの家族が薬の副作用を聞き知って、患者さんの減薬をすすめようとします。
患者さんも副作用が減れば楽になるので、同意します。
そこで、医師と相談の上で減薬をしてみたとき、強い「症状」が出て患者さんは苦しくてたまりません。
ところが家族が薬の追加してもとに戻すことに反対したとしたら、どうでしょうか。
患者さんがきちんと医師に話をして、もとの薬に戻してもらえればいいのですが、「不適応状況」にある家族関係の中で、「症状」が現れている患者さんには、そのしんどい状況を医師に伝えることが難しい場合があります。
こうしたケースでは、患者さんが減薬の苦しさに耐え続け、ついに耐えられなくなった結果、重大な事故を起こしてしまい、場合によっては命に関わるような場合もありえます。
* * *
現在の日本の精神医療では、アイデンティファイド・ペイシェントという考え方もあまり知られていませんし、精神の「障害」を関係性の問題としてとらえるということも一般的ではありません。
そうした中で、不必要な処方の問題、医療費の問題などから、減薬の必要性を説いて、患者さんに責任をおしつける形での「減薬」を進めることは、決して精神医療の質を上げることにはつながらず、むしろ患者さんに過度の負担を強いることになりかねません。
患者さんの立場に立った医療・福祉であるためには、「不適応状況」といった視点は必要不可欠なものと思います。
しかしながら、日本の貧弱な精神医療・福祉の体制の中では、「不適応状況」といった関係性の問題を踏まえた対応を精神医療・福祉の関係者に求めることは、ほとんど無理といってもいい状況だろうと思います。
また、この考え方は、患者さんの家族や周りの方にも一定程度の「責任」があるとするものですので、「責任」を取りたくない方々には受け入れがたいものでもあります。
ですから、なんらかの意味で「心の病」の問題に関心をお持ちの方には、ぜひこうした考え方もあるのだ、ということを理解していただきたいのです。
そして、周りに広めることまでは無理でも、ご自分の中での理解を深めていただけたらと思いますし、また余力があれば、精神福祉の現場にボランティアとして参加していただくといった行動にまでつなげていただけたら、筆者としてそれにまさる喜びはありません。
頭での理解は、実際に経験を通した体感による理解には到底及ばないものだからです。
みなさんのそうした地道な活動によって、少数者に対する偏見の多い世の中が、少しでも弱者に優しい世の中に変わっていくことを心より祈るものです。
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☆こちらもどうぞ
[死を想って空を見る - 絶望空間から抜け出すために]
[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件について、差別のない社会を創るための第一歩 ]
[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]
[内海聡医師は「差別主義者」でも「親学」でもないが「困った」人物である]
[楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言]
[怒りの連鎖(カルマ)を断ち切る - ダッカの事件について考えたこと]
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まず、アイデンティファイド・ペイシェントの概念を用いて、「不適応状況」と「不適応症状」いう二つの言葉を提案します。
そして、減薬に関して「不適応状況」という視点からその問題点を考察し、解決へ至る道筋を提案します。
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精神的症状を引き起こしている「患者」について、「アイデンティファイド・ペイシェント(特定された患者)」という言葉をわざわざ使うのは、次のような考え方によります。
1. 精神的症状を引き起こしている「患者(ペイシェント)」は、その人自体に問題があるとは必ずしも言えない。
2. 関係性(たとえば家族)の中で問題があるときに、その問題が関係性の中で弱い立場にある人物に「症状」として現れる場合がある。
3. 関係性の問題が原因で「症状」が現れた人物は、ただ「患者」として見るのではなく、「患者」として「特定された(アイデンティファイド)」存在としてみたほうが問題を解決しやすい。
この考え方に沿って考えるとき、「不適応状況」という言葉は、「アイデンティファイド・ペイシェントが発生している状況」を表すものとします。
つまり、関係性の中で問題があり、その関係性の中の誰かが「患者」として振舞っている状況です。
また、「アイデンティファイド・ペイシェント」に生じている症状を「不適応症状」と呼ぶことにします。
なお、このアイデンティファイド・ペイシェントという言葉はもともと家族療法で使われるものです。家族療法について興味がある方には、専門書なのでちょっとお高いですが、こちらがおすすめです。
[「家族療法のヒント」東 豊著(金剛出版 2006)]
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精神医療の場面においては、医者が診断をし、診断に応じて薬を処方します。
精神医療の診断にも基準がありますが、基準はあくまで「症状」をもとにしたものであり、生理学的な根拠があるものではありません。
そのため、基準の判定には恣意性があり、適切な投薬がなされているかどうかの客観的な判断は困難です。
そうした状況の中、他の様々な要因も重なって、日本の精神医療は世界的に見ても他種類の薬剤を多量に投与する結果になっています。
不必要な薬剤の投与によって患者さんは副作用の不利益をこうむることになります。
そこで、現在精神医療を受けている患者さんに対しては減薬をすることが望ましいと考えられます。
けれども、いきなりの減薬は患者さんの調子を崩す原因になりますので、患者さんと医師とはよく相談の上で減薬を進める必要があります。
このとき、患者さんの「症状」が悪化しないように減薬していくことが重要になるわけですが、この「症状」を患者さん自体の「症状」であると考えるのか、それとも関係性の問題から来ている「不適応症状」と考えるのかで、減薬についての捉え方も変わってくることになります。
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例えば、ある患者さんの「幻覚」という症状を抑えるために強い薬を投与していて、その結果、その患者さんがその薬の副作用に悩まされているとします。
副作用を抑えるため、この薬を少し弱い薬に変えて、いくらかの「幻覚」が現れたとき、患者さん本人はその幻覚がつらいので、家族に幻覚の苦しさを訴えたとします。
このとき、家族に訴えを聞く余裕がなく、患者さんに対して「お前はおかしいから、薬をもっと飲め」とか、医者に対して「調子が悪いから薬を増やしてくれ」と言うようなら、患者さんは減薬することができません。
そして、これを患者さんの「症状」の問題と考えると、この患者さんの症状では、これ以上の減薬は無理だ、ということになってしまいます。
けれども逆に、家族に患者さんの訴えを聞く余裕があれば、患者さんは聞いてもらうことにより気分が落ち着いて、その幻覚のつらさがやわらぎ、弱い薬に変えても「症状」が安定する、ということもありえます。
つまり、家族関係の中での「不適応状況」という視点があれば、家族の協力を得ることで、患者さんの減薬を助けることもできますし、もし協力が得られなくて、減薬できなかった場合でも、患者さん自身の問題ではないと考えられますから、「幻覚」という症状に耐えられなかった患者さんを責めるようなおかしな状況には落ち入らないですみます。
* * *
今度はこういう例を考えてみましょう。
患者さんの家族が薬の副作用を聞き知って、患者さんの減薬をすすめようとします。
患者さんも副作用が減れば楽になるので、同意します。
そこで、医師と相談の上で減薬をしてみたとき、強い「症状」が出て患者さんは苦しくてたまりません。
ところが家族が薬の追加してもとに戻すことに反対したとしたら、どうでしょうか。
患者さんがきちんと医師に話をして、もとの薬に戻してもらえればいいのですが、「不適応状況」にある家族関係の中で、「症状」が現れている患者さんには、そのしんどい状況を医師に伝えることが難しい場合があります。
こうしたケースでは、患者さんが減薬の苦しさに耐え続け、ついに耐えられなくなった結果、重大な事故を起こしてしまい、場合によっては命に関わるような場合もありえます。
* * *
現在の日本の精神医療では、アイデンティファイド・ペイシェントという考え方もあまり知られていませんし、精神の「障害」を関係性の問題としてとらえるということも一般的ではありません。
そうした中で、不必要な処方の問題、医療費の問題などから、減薬の必要性を説いて、患者さんに責任をおしつける形での「減薬」を進めることは、決して精神医療の質を上げることにはつながらず、むしろ患者さんに過度の負担を強いることになりかねません。
患者さんの立場に立った医療・福祉であるためには、「不適応状況」といった視点は必要不可欠なものと思います。
しかしながら、日本の貧弱な精神医療・福祉の体制の中では、「不適応状況」といった関係性の問題を踏まえた対応を精神医療・福祉の関係者に求めることは、ほとんど無理といってもいい状況だろうと思います。
また、この考え方は、患者さんの家族や周りの方にも一定程度の「責任」があるとするものですので、「責任」を取りたくない方々には受け入れがたいものでもあります。
ですから、なんらかの意味で「心の病」の問題に関心をお持ちの方には、ぜひこうした考え方もあるのだ、ということを理解していただきたいのです。
そして、周りに広めることまでは無理でも、ご自分の中での理解を深めていただけたらと思いますし、また余力があれば、精神福祉の現場にボランティアとして参加していただくといった行動にまでつなげていただけたら、筆者としてそれにまさる喜びはありません。
頭での理解は、実際に経験を通した体感による理解には到底及ばないものだからです。
みなさんのそうした地道な活動によって、少数者に対する偏見の多い世の中が、少しでも弱者に優しい世の中に変わっていくことを心より祈るものです。
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☆こちらもどうぞ
[死を想って空を見る - 絶望空間から抜け出すために]
[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件について、差別のない社会を創るための第一歩 ]
[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]
[内海聡医師は「差別主義者」でも「親学」でもないが「困った」人物である]
[楽しいカルマの落とし方 - オウム真理教について一言]
[怒りの連鎖(カルマ)を断ち切る - ダッカの事件について考えたこと]
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コメント
感想ですが、根拠のない精神医療の「治療」と称する投薬によりどれだけ多くの方が苦しんでいるかということです。これは私の考えとしてですが、精神医療にかかる患者は投薬を受けることにより、嫌な記憶を飲んだ後には少し忘れることが出来るかもしれません。私は病院で医療ソーシャルワーカーをしていた時にリスパダールという抗不安薬を試しに飲んでみました。すると少しも経たないうちに頭が浮くような、何とも言えない気持ち良さを覚えたものです。嫌なことがあったらこれを飲んで忘れようと常用してしまいそうなくらいでした。
しかし、薬も効果が切れれば、置かれている状況、気持ち自体は変わっていないことに気付きます。するとまた飲む。これの繰り返しです。ベンゾジアゼピン系であれば受容体に作用するため、ホメオスタシスにより今までよりも多くの服薬量が必要になること必然です。だから離脱症状が辛いという訳で・・・
薬を飲んでしまうと、諸問題の解決を先延ばしにするだけで、本質的な問題解決にならないどころか年月だけ過ぎてしまいます。人の人生有限であるのにも関わらずどうにもならない薬がさも万能のごとく振る舞う現世が一番の問題であると思っています。これは向精神薬に関わらず投薬治療全般に言えることでもあるかもしれません。
このように考えることが出来れば家族にフォーカスを当てることも出来るようになるのに、今の医療・福祉のレベルは医師が出した処方に疑問を持つことさえもしません。ここが問題であるにも関わらず。
近いうちに下呂でオルタナティブ協議会のサードオピニオンを開催する動きがありますので、下呂で唯一の精神科単科病院(何と精神科クリニックは下呂に1件もありません。病院も!)のPSWや医師、看護師もゼロベースで考えてもらうべく院長に話が通るように掛け合うつもりです。
不適応状況な患者さんがほぼほぼではないでしょうか。これからもそうした患者さんに力になれるよう勉強怠らずにしていきたいです。面白い文章読ませて頂きました。もし、論点にズレありましたら、私の無理解のなすところですので教えて下さいね。
『精神医療の「治療」と称する投薬によりどれだけ多くの方が苦しんでいるか』この視点は、とても大切なものと思います。
周りの人間の思い込みや都合ではなく、医療を受けているご本人の希望にそった対応を、医療や福祉や社会ができるかどうか、それが結局は社会全体の幸せにつながるのだと思います。
日本の社会では「医師」の持つ権威は非常に大きいですから、『医師が出した処方に疑問を持つ』のはとても勇気のいることです。
また、今の社会状況でいきなり薬をゼロにすることは難しいでしょうし、薬ゼロが本当にいいことかどうかは、最終的にはご本人の希望によると思います。
けれども、現にご本人が薬の副作用で悩んでいるときに、それにきちんと答えられないでいる現状を、少しずつでもよい方向へ変えていけたらと願っています。
「不適応状況」という考え方は、「患者」として医療を受けている方をとりまく環境だけの問題ではなく、「戦争」や「貧困」、そして「差別」といった問題を抱え続ける我々の社会自体の問題なのだと考えます。
そのような社会全体が変わっていくためにも、精神医療の多剤多処方の問題と取り組んでいくことは大切なことと思います。
山内さんの活動も実り多いものとなるようお祈りいたします。