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きみは「シン・ゴジラ」に日本の未来を見たか[ネタばれ御免]

[この記事のまとめ] ・東浩紀氏、杉田俊介氏、はてな匿名ダイアリーの[大絶賛の謎]氏の三つの感想を紹介。 ・「シン・ゴジラ」は夢物語などではなく、戯画的かつリアルに「日本の現在」を描いた問題作である。 ・我々日本人は「現在進行形」の福島第一の問題と「決死の思い」で取り組まざるをえない。 ・同時に、弱者に自己犠牲を強いる全体主義的な状況には十分注意する必要がある。 ・西洋的な「個」を超えた、「集合意識の力」こそが我々に与えられた武器である。   *  *  * みなさん、「シン・ゴジラ」もう見ましたか。 脚本・総監督が「エヴァンゲリオン」の庵野秀明氏、 監督は「平成ガメラ」の特技監督・樋口真嗣氏ということで、 元SFファンのぼくとしても、たいへん気になる作品です。 予算が15億円とかなり少なめなところにも、期待感が盛り上がります。 学生時代にアマチュアとして「帰ってきたウルトラマン」や「愛国戦隊大日本」を実写で撮った庵野氏が総監督、「進撃の巨人」の樋口氏が特撮ですもんねー。   *  *  * 第一作めの「ゴジラ」では、ゴジラは水爆実験が生んだ怪獣とされ、核兵器や戦争の象徴でした。 今回の「シン・ゴジラ」は、東日本大震災によりメルトダウンを起こし、今日も放射性物質を吐き出し続ける福島第一発電所の象徴として、ゴジラを現代に甦らせました。 評論家の東浩紀氏は、 「ゴジラが覚醒するクライマックスの1分ほどがおそろしく美しい映像だから」観た直後には絶賛したくなったけど、一日経つとそれほどでもないか、単純な物語だし、と書いています 。 批評家の杉田俊介氏は、「シン・ゴジラ」に政権批判の意図を見、 「なぜエリートや霞ヶ関や自衛隊ばかりに夢を託すのか。民衆や東北や犠牲者の目線がなぜ薄いか」といささか勘違い気味の感想を書いています。 はてな匿名ダイアリーの『「シン・ゴジラ」大絶賛の謎(ネタバレ)』という記事を書かれた方(以下、[大絶賛の謎]氏)は、 『国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「 有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観』や「半ば特攻精神的」な表現に違和感を表明しています。 また、プロットから見ても物語に十分なカタルシスがないことを、娯楽性の欠如...

内海聡医師は「差別主義者」でも「親学」でもないが「困った」人物である

[この記事のまとめ] ・内海聡医師のネット上での発言には、いささか「常軌を逸した」ものがあります。 ・化学物質やワクチンの問題点を指摘していることは評価できます。 ・内海医師は「差別主義者」でも「親学」の推進者でもありません。   *  *  * 内海聡医師という、少し「おかしな」お医者さんがいます。 「『障がい』児の親には反省が必要」という「問題」発言をなさっている方です。 ミュージシャンであり、2013年と2016年の参議院選に立候補し、政治活動を行なっている三宅洋平氏が、この内海医師の発言を擁護して問題となったことは、以前の記事で論じました。 [ 三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます ] 今回は、内海医師がどういう人物で、なぜこのような発言をしているのかを、少し詳しく見てみます。 まず、「『障がい』児の親には反省が必要」という内海医師の発言ですが、これは『障がい』児者およびその家族の気持ちを傷つけるものであり、このような発言をネット上という公的な場で行ない、謝罪する必要を認めないその態度は、極めて「非社会的」なものです。 この内海医師の発言を擁護した三宅洋平氏や、 内海医師の著書で対談をしている 山本太郎氏は、内海医師の「非社会性」に関してきちんと批判的な発言をするべきではないかと思われます。 しかしながら、内海医師の主張自体は必ずしも否定できるものではありません。 内海医師は、食品などに含まれる化学物質やワクチンの毒性が障がいを引き起こしていると主張しています。 化学物質やワクチンの毒性が過小評価されている可能性を考えると、彼の主張には十分な意味があります。 したがって、無防備に毒性のある物質にさらされている人々に注意を呼びかける意味では、内海氏の発言には妥当性があると言えましょう。 (もちろん人を傷つけるような表現には大いに問題がありますが) ところで、内海医師の発言を、ナチスの優生思想や自民党政権の「親学」の思想と結びつけて論じる方々がいます。 優生思想は「遺伝」を問題にするものですから、内海医師の主張がこれに当てはまるとは考えられません。 「親学」は、「発達障害が親の育て方によって起こる」という擬似科学的な主張ですが、内海医師は発達障害は化学物質などによって起こるという考え...

洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために

[この記事のまとめ] ・三宅洋平氏にとって安倍昭恵氏との会食は、「タイミング」、「セッティング」、「事後のコメント」のいずれもが「最悪」のものであり、「大失点」であった。 ・けれども、三宅氏には、この「大失点」を取り戻すだけの「力」がある。 ・三宅氏の支持者には、この「大失点」の意味をよく理解してほしい。 ・現時点で三宅氏に懐疑的な方々には、三宅氏の今後の成長を暖かく見守ってほしい。   *  *  * ミュージシャンの三宅洋平氏は、2013参院選では、比例区で17万票を獲得したものの落選、今回7月10日投票の2016参院選東京選挙区では、堂々25万票を獲得したものの、当選ラインの50万票には遠く及びませんでした。 また、三宅氏は、参院選直後7月17日に、沖縄・高江でヘリパッドの建設再開が強行される中、安倍総理大臣の夫人である安倍昭恵氏と会食したことで、ネット上では毀誉褒貶の発言が見られました。 三宅氏は7月21日、 沖縄・高江のヘリパッド問題に関する記事を、ご自身のプログで公開 し、高江の問題を扱ったドキュメンタリービデオ『標的の村』を紹介しています。 そのコメント欄を見ると、高江の問題を知らなかった方や、『標的の村』の存在は知っていてもまだ見ていなかった方からの、こうした問題をもっと知る必要がある、といった内容の好意的な発言がなされています。 なお、沖縄・高江では、昨日7月22日、現地で座り込みで抗議をする住民の方々や応援で全国から駆けつけている方々が、全国から派遣された大規模な機動隊によって強制排除される事態となりました。 国のやり方に反対し、平和的に抗議活動している人々を、暴力的に排除する国のやり方には、どうにも納得がいきません。 沖縄・高江の問題については、こちらに書きました。 [終わり続けるニッポン、沖縄・高江「戦時下」の現実]   *  *  * さて、今回は、「洋平・昭恵会食」の件について、まず、ネット上のぼくの周りの反応を紹介します。 ・画家の内海信彦氏は、 Facebook でてんつくマン氏のブログを紹介し、「もう十分でしょうね」という言葉で、 三宅氏を支持しない意思を表しています。 コメント欄では、「ここまで腐っていたら救おうとするものまでが、溺れてしまいますよ」ともおっしゃって...

大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。

2016参院選が終わって翌7月11日、安倍総理夫人である安倍昭恵氏が Facebook 上で 三宅洋平氏に「公邸でお待ちしてます」との呼びかけをしました 。 それに三宅氏がこたえる形で、三宅氏とその支持者が昭恵氏と池袋のバーで会食しました。 7月18日付の投稿で昭恵氏は、 「なんで多くの人が、三宅洋平を熱烈に支持するのか、わかったような気がします」との感想 を述べています。 また、その場で昭恵氏は、安倍総理と三宅氏の電話会談を実現し、三宅氏はそのことについて Twitter で 「立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として同じ気持ちだと思っています」と総理に伝えた と発言しています。 また、別の投稿で三宅氏は、 「総理、何なら一緒に高江に行きませんか、とは云えませんでした。三宅はまだそんなもんです」 「高江の住民の気持ちを込めて『okinawa noproblem』capを昭恵さんに預けました」 とも発言しています。 三宅氏の行動と、この一連の発言に対し、ネット上で賛否両論が出ているのは当然のことと思いますが、一つ気になるのは、 高江問題に関する本土と沖縄の「温度差」 のことです。 「三宅はまだそんなもんです」という発言に関して、宮古出身の友利修氏は、 だったら自分のナルシズムと政治的資本のために沖縄を食い物にするのは今後止めていただきたい。「まだそんなものです」などと言っていられない若い人が沖縄にはたくさんいます。 と強い調子で発言をしてらっしゃいます。 また、高江住民が座り込みを続ける中、高江で「弾圧」を続ける安倍総理の妻である昭恵氏と会食した上、彼女に「okinawa noproblem」という「意味不明瞭」な帽子を預けたことに関しては、 沖縄出身で東京選挙区で三宅に票を投じた私には残念な事でした。山本太郎の力になってくれる筈と疑問を持ちつつ支援した自分が呪わしい。 とまで書いている方もいらっしゃいます。 前の記事で書いた「障害者」問題への理解不足からくる「失言」 もそうですが、三宅氏は、社会的弱者や、社会問題の実際の被害者が何を感じているかというこについての認識が「どうにも甘い」のではないでしょうか。 こうした「失言」を繰り返していては、主流派からの「分断工作」に、自らやすやすとはまっている、とすら言いた...

三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます

2016参院選の東京選挙区から立候補したミュージシャンの三宅洋平氏が、過去に「障害をもつ子を産んだ人は反省する必要がある」との趣旨の発言をしたことに関し、その発言において「反省」という言葉を使ったことの非を認め、 ご自分のブログにおいて謝罪しました。 このことは評価できます。 ただし、この発言がなされる原因となった、内海聡医師を擁護したことについても、訂正の必要を感じます。 事の経過は、こうです。 内海聡氏という大層変わったお医者さんが、 Facebook 上で 2015年6月13日に、 「障害の子どもさんが生まれるというのは、いかに産む前妊娠前に両親が食と生活が乱れているかの証、それは一生かけて反省しなければなりません」 との発言をしました。 当然のように非難が殺到しましたが、それに対し内海氏は、 「障害者の親は一生反省してもらってけっこう」と応えた模様です。 この出来事に対し、三宅洋平氏が、内海氏の発言を自分なりに言い換えた形で、「障害をもつ子を産んだ人も、そのことを反省しつつも、その反省を生かしながら障害とともにその子を大切にしていこう、そして障害を受けとめることに障害のない社会にしていこう」と整理し、その主張自体には問題がないのではないか、という趣旨の発言を 2015年6月18日にしたことから、三宅氏にも批判が及ぶ結果になりました。 今回、三宅氏が参院選に立候補したことにより、この発言が改めて注目されることとなり、多数の声が三宅氏に届けられ、その結果、三宅氏は「反省」という言葉を使った非を認め、謝罪の記事を2016年07月16日に発表されました。 三宅氏が、このように謝罪なさったことの真摯な姿勢は、大変評価できることと思います。 一方、同じ投稿で内海聡氏について、 「たまにおかしなことを言う、ぶっ飛んだ人だなーと表現者として思うときは僕もあるけれど、それって内海さんのキャラクターだと思うし、そのバイアス差っぴいて有益なことを医者としてたくさん発信していると思う」 と好意的な評価をしていることについては、今回の記事では触れていません。 内海聡氏の「医学の9割は不要」というような意見 は、まったくの間違いともいえませんが、かなり極端なものですので、個人としてそれを支持する分には問題ないでしょうが、政治家として広く...

三宅洋平氏の「危うさ」とイケダハヤト氏の「バランス感覚」

1. 切れ者イケダ氏の「三宅批判」に狂いはありません 2016参院選・東京選挙区で25万票を獲得し堂々落選した三宅洋平氏について、 イケダ氏は「三宅洋平氏は支持できない」との発言をしています 。 イケダ氏が支持できない理由として取り上げている三宅氏の発言は、確かに問題含みのもので、氏の主張は、どれも納得できるものです。 なお、「障害児を産んだ親は反省すべき」という内容の発言については、 前の記事に追記したとおり 、三宅氏からすでに謝罪がなされています。 そこで今回は、「地震兵器」問題を取り上げます。 2. 三宅氏は確かに「危うい」と思いますよ 三宅氏は、東日本大震災の当日に、 地震兵器が使用された可能性について述べています 。 それに対して、確認できる事実に基づかないこの発言は、「ただ単に陰謀論を撒き散らして、社会を不安にさせ、情報弱者を扇動させただけ」であると、イケダ氏は指摘しています。 この指摘はまったく正しいと思います。 こうした「危うい」発言については、三宅氏からの訂正が望まれるところです。 なお、地震兵器についてですが、その存在を信じる信じないは、個人個人の自由の範囲内と思います。 ここでの問題は、政治家になろうという方は、そうした曖昧な情報を無闇に流すべきではない、という話です。 3. けれども、イケダ氏のこの「バランス感覚」はどうですか? イケダ氏は、前項の問題点を指摘した上で『「科学的に確認できる真理」に基づくリーダーを』と主張します。 これもまた、非の打ち所のないご意見ですが、この言葉は、参院選東京選挙区に立候補した「無名」の新人に対してではなく、例えば、自民党の安倍総裁に向けてこそふさわしい言葉ではないでしょうか。 こちらのリテラの記事にある 、安倍総理の「TPP断固反対とは言ったことがない」という答弁は、レトリックとも詭弁とも言いがたい、ただの「嘘」にしか思えません。 「科学」がどうとか、「真理」がどうとか言う以前に、過去の自分の発言をなかったものとしてしまうような「嘘」を平然と言えるその姿勢は、「真理に基づくリーダー」からはほど遠いですよね。 イケダ氏ほどの、才能もあり、影響力もある方が、 しかも「三宅不支持」を主張する記事の中で、消極的ながらも 「共産党支持」をおっしゃる...

惜しい! イケダハヤト氏の「三宅洋平不支持」発言

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前の記事「三宅洋平は惨敗したのか」でも参照しました が、イケダハヤト氏が今回2016年の参院選の投票日の少し前に、東京選挙区から立候補した三宅洋平氏について 「三宅洋平氏は支持できない」との発言をしています 。 このことが、なぜそんなに「惜しい」のか。 それはイケダハヤト氏が、三宅洋平氏の不支持を表明した記事の最後に、『「じゃあ誰がいいのよ?」という質問については……うーん、誰に入れようかなぁ。今回も共産党に入れるしかないのだろうか……』と書いてるからなんです。 そのように書く方であるからには、単純に「支持できない」というのではなく、「こういうことならば支持できる」という言い方もあったのではないかと思うのです。 イケダ氏は、 多数派の自公ではなく、 その対立軸として「期待」される民進でもなく、 あえてここで共産党の名前を出した上に、 三宅氏のビデオを紹介して    『「選挙へのアプローチ」を評価して三宅氏に投票するのは、ありでしょうね』 とまでおっしゃっているのですから、 その方が「大声」で不支持をおっしゃるのは、 ほんとに残念だなぁ……。 「条件付きで支持します」とは言えなかったのかなぁ……。 前の記事でも触れたとおり、ぼくは、イケダ氏が不支持の理由としている問題点[*]に関して、その問題提起はとても意味あるものだと思っています。 三宅氏がこうした疑問に丁寧に答えることができれば、支持層の拡大がはかれると思うからです。 けれど、選挙前の限られた時間の中で、そうした「問題」にひとつひとつ答えられるかどうかは、また別の問題です。 とすると、イケダ氏は消極的であれ、共産党支持の発言をしてらっしゃるのですから、そのような考えの持ち主であれば、その考え方を現実のものにしていくためには、「いくつかの問題はあるが、三宅洋平氏を支持する」という言い方をしたほうがよかったはずだと思うんですよ。 個人個人が、どういう理由で誰に投票するかとか、誰を支持し、誰を支持しない、とかいうことをネット上で表明するということ自体は、まったく自由にすればよいことですけれども、イケダ氏のような、ある程度の影響力を持つ方が、せっかく良い芽を持っている候補者に対して、いくつかの問題発言を取り上げて、全体的に「不支持」と述べるのは、本当に残念なこ...

「三宅洋平」は「惨敗」したのか - 2016参院選・やじうま的雑感

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2016.7.10 参院選、改憲派が三分の二の議席数を確保しました。 日本の戦争容認国家化は雪崩を打って進んでいます。 一方、同日の鹿児島県知事選は、原発に反対の立場の三反園訓氏が当選。国レベルと地方レベルでの方向性のよじれを感じる結果です。 参院選の東京選挙区には、前回の参院選比例区に緑の党から出馬し、17万票の得票を得たミュージシャンの三宅洋平氏が立候補しました。 三宅氏は「選挙フェス」と銘打って、音楽を効果的に使うなど、若者の心を捉える選挙活動を行ない善戦しましたが、25万票の得票にとどまり、当選ラインの50万票は大きく下回りました。 ここでお断りしますが、ぼくは三宅洋平氏の主張を全面的に支持するものではありません。 彼の主張に共感する点は多いのですが、ネット上でも取り沙汰されている[*]ように、国政において国民の代理として働いてもらうには、いささか脇が甘いように思えるのです。 ([*] 参照: 都議おときた駿氏のページ 、 イケダハヤト氏のページ ) けれど、上述の二氏のような形で、三宅氏の批判をするつもりはありません。三宅氏の脇の甘さは承知の上で、彼が今後も政治活動を続けるのならば、そういった点での成長を期待するものです。 そうした視点を確認していただいた上で、 メディア学者の藤本貴之氏がblogosに書かれた記事 を踏まえ、「三宅洋平」は「惨敗」したのか、という観点から少し書いてみようと思います。 さて、藤本氏の記事のタイトルは『<三宅洋平氏落選>実態なき支持層が産み出した「選挙フェス」という都市伝説』というものです。 この「都市伝説」ということについて、藤本氏は、 しかし、結果は、三宅氏はダークホースとして当落を争う激戦をすることもなく、普通に落選。三宅氏と彼の率いた「選挙フェス」による急激な支持拡大という情報が、単なる「都市伝説」だったことを露呈する結果となった。 と書きます。 たしかに「選挙フェスによる急激な支持拡大」がなかったことは、事実です。 けれど、重要なのは、前回の参院選比例区で17万票だった三宅氏が、今回は東京選挙区で25万票を取り、「選挙フェス」という手法の健在ぶりを示したことにあるのではないでしょうか。 また、10万票にも届かない候補が多い中で、25万票を獲得した...

迷想三昧01 クアラルンプルにて

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みなさん、こんにちわ。 ぷちウェブ作家のとし兵衛です。 今日はマレーシアの首都クアラルンプルに来ています。 ちなみにマレーシアの人はこの街をKL(ケーエル)と呼びます。 ぼくの頭の中の地図では、マレーシアはインドとタイの中間にあります。 イギリスの植民地となっていた歴史から、マレーシアには南インドのタミルの人たちが結構住んでいて、インドのお寺も多いんですよね。 そうしたインドに対する近さを感じる一方で、高速道路は整っているし、長距離バスは立派だし、先進的な面もあり、そういった点ではインドやタイより先進工業国に近い充実を感じます。 ちなみにタイは仏教国ですが、カンボジアを経由してヒンドゥー教の影響も強く、宗教的にはむしろインドに近い面もあります。 というわけで、インドが日本から、文化的にも距離的にも遠いのは確かなのですが、タイとマレーのどちらが遠くて近いのか、ここはほんとは微妙なところです。 けれども、雲南起源の照葉樹林文化を仮定して、日本とタイはかなり近いのだと、ここではごく大雑把に主張しておくことにします。 さて、そんなこんなで、アジアの各国を漂流中の私ですが、南インドのタミルナドゥ州からマレーシアに戻ってきて、あらためて想うことはといえば、人間、見かけは違っても、やってることは大して違わないんだよなぁ、みたいなことだったりします。 起きて眠って、飯を食って糞をして、働いて遊んで、家族を作ったり作らなかったりして、やがて歳をとって死んでゆく。 当たり前すぎてつまらない話ですが、大きく風呂敷を広げちゃうと、そんなくくりになってしまいますわな。 逆に言えば、そんなふうに、遠目には区別のつかないような人生であっても、近くから見れば、その人その人の、それぞれのディテールに満ちていて、ひとつひとつが掛け替えのない命なわけですから、ぼくらがこうして日々を生きていくことの意味として、そうやってこの世界の細部を刻み込み、作り上げてゆくという、神の壮大な意図とでもいうべきものを見出すことになるわけですけれども。 この世界の残酷さを知り、人の世の嘘っぱちを認め、R.D.レインの過激な告発も織り込んだ上で、ゴータマさんのように慈悲の気持ちも大切にし、けれどもカルロス・カスタネダの書くように非情という立ち位置も視野に見据えて、ついつ...

バンコクの安宿で知覚の扉を浄める

タイのバンコクの安宿で、少しの時間を見つけて、これを書いている。 今はまだ昼前だが、夕方四時過ぎ発の夜行バスで南の街ハートヤイに向かう。 所要時間12時間以上。 ぼくにとって、種田山頭火は気になる存在で、アルコール依存で人格的にも「破綻」している彼が、それでも人に救われ、仏教の網にかろうじて引っかかって、妻子は捨てた乞食坊主だが、道端で死ぬことはなかったことの因縁。 きちんと救われたわけではない、絶望手前の、人生の終着点。 [流浪の俳人山頭火については、 前山 光則「山頭火を読む」 など参照] それを社会からのはみ出しととらえれば、山頭火も立派なアウトサイダーということになるが、もともとの コリン・ウィルスンの「アウトサイダー」 に書かれている人々は、まったくといってよいほど救いがない。幸せなアウトサイダーであるウィリアム・ブレイクを除いて。 「村八分は、二分はつながっていて救いがある」という言い方がある。つながりがあるから踏ん切れなくなるのは、日本的苦しみのもとだが、完全に切られるよりは、救いに近いのか。 そして、ブレークといえば、その詩から オルダス・ハクスリーが題名に取った「知覚の扉」。 ハクスリーの「知覚の扉」は、幻覚剤メスカリンの体験記にして、サイケデリクスのバイブル。 ブレークのもとの詩 の一節は、「知覚の扉が浄められるならば、すべての物事は、ありのままの姿を人に現すことになるだろう、無限というその姿を」というもので、つまり、ハクスリーが言うことには、サイケデリクスは、インスタントに知覚の扉を浄めてくれるということになる。そのとき眼前に現れるその無限というものが、天国なのか、地獄なのかは、誰にも予め言い得ないことなのだが。 そしてさらに「知覚の扉」(The doors of Perception) から取られたバンド名が、アメリカのロックバンド、 ザ・ドアーズ というわけであり、ザ・ドアーズの「ジ・エンド」が鳴り響く中、フランシス・コッポラによって、ぼくらは ベトナムの泥沼 を見せつけられるはめになったのだ。 山頭火の母との関係の「失敗」。それは決して彼の責任とは言えないが、その「母子関係の失敗」こそが、この世界の絶望の一因なのだと、とりあえず強引に述べて、この項は終える。 [なお、このページのリンクからアマゾン...

いつまでも夏のままで

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今ぼくは南国タイにるので、夏がいつまでも続いています。 ほんとうはタイの場合、南北に長いし、森深いところや、少し山がちのところなど、冬はまあまあ寒かったりもするのですけれど、ここは、あえて大雑把にくくってしまって、夏がいつまでも、と。 で、ぼくの場合、どちらかというと寒いのは苦手です。 寒くて縮こまってるのは、気が滅入ります。 若い頃は寒い中スキーをしたりもしましたが、そういう非日常はともかく、日々の暮らしが寒いのは、元気がなくなるし、ちょっと苦手ってことで。 でも、東京あたりで冬場乾燥してるのと、スキー場にいるときや、東広島に住んでたときに感じた湿度のある寒さは、また違うんですよねぇ。 ですが、まあ、その辺りの話は置き去りにして、夏の話に行きます。 インドのバラナシで、宿の人も参るほどの連日45℃の日々。 うちのおくさんも参ってたけど、ぼくは割と快適でした。 食欲はなくなって、肉、魚はもともと食べないのに加え、炭水化物もほとんどゼロ。野菜スープとスイカで過ごしましたが、どっちも絶妙においしくて。 野菜スープというのは、ニガウリ、トマト、玉ねぎにハーブとスパイス、てな感じのものを自分で鍋で煮るだけですが、これが毎日、毎食、ほんとにおいしいんですよね。 45℃マジックです。 それから、スイカはそのまま食べるのももちろんおいしいんですが、スイカとみかんのジュースというのがまたおいしくて。 ミックスジュースとか食べ合わせについては、いろいろあるんですけど、食べ物にあんまりこだわりがなくて、披露できるほどのまとまりがないので、今はこのくらいにしておきます。 そういうわけで、みなさんも夏バテの時は、ニガウリ入れた野菜スープ試してみてください。 以上、いつまでも夏のまま、季節外れの男、とし兵衛がお送りしました。 [初出、https://note.mu/tosibuu/n/nbccd88f01af3 (一部改稿)]

たとえばタイの南の島の浜辺で

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[写真はタイの渡し船に乗るバイク] たとえばタイの南の島の浜辺で、マジックマッシュルームを摂ったあの日。 多くの人は、この体験を得ることができないのだと、うぬぼれて有頂天になっていた愚か者のぼく。 キノコにはいろいろなことを教わったし、麻の穂の知恵にも感謝している。 友だちにほんの触りだけ手ほどきしてもらった中国拳法がきっかけになって、呼吸というものに興味を持ち、ヨガやフェルデンクライスやヴィパッサナーも体験して、ようやく、自分の愚かさと向き合うところまでこれたんだな。 若い頃から作家にでもなれたらな、という甘ったるい夢を捨て切れずに、五十も過ぎ、ネット上で若い人たちの活躍やら、努力やらを見ていれば、いい加減あきらめたらいいようなものだが、あきらめればそこで終わりなので、あるかどうか分からぬ可能性を信じることにして、とにかくこうして言葉を並べてみる。 フロリンダ・ドナーの「シャボノ」の翻訳も、まだもう少し先が長いのだが、一応目鼻はついたことにして、今は寝かせてある。 この翻訳を仕上げて、どこかから出版してもらえたら、それでぼくの人生はよしとしようと思っている。 コリン・ウィルスンの「アウトサイダー」 のことが、心に引っかかっている。 それは、あそこに書かれている、社会からはみ出したアウトサイダーというものが、すべて母親との関係性に「失敗」を抱えていると思うので。 カミュの「異邦人」はずばりで、逆にあの中で一人だけ幸福なアウトサイダーであるブレイクは、母親の愛に恵まれていたはずだと、決めつけている。 ようするにぼくが、母親との関係性で「失敗」したはみ出し者だということにすぎないのだけれど。 今回はまとまりのつかないまま、これで終わり。 [なお、このページのリンクからアマゾンに行ってお買い物していただくと、購入代金の数%がこのページの作者の収入となります。記事を読んでおもしろいと思っていただけたら、応援がてらの購入、よろしくお願いします]