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2016年10月22日土曜日

あら不思議、指先を動かせば「金縛り」は簡単に解けちゃいます


金縛りでしょっちゅう恐ろしい思いをしているあなたに朗報です。

なんとも簡単な方法で、金縛りを解くことができるんです。

金縛りになったら、指先を動かしてください。

それだけで、金縛りからだんだん抜けだして、目を覚ますことができます。

簡単すぎて、拍子抜けしますよね。

ぼく自身、これで一発で抜け出すことができました。

こんど金縛りにあったときは、だまされたと思って試してみてください。

  *  *  *

なお、人によって動かしやすい部分に違いがあるようです。

ぼくの場合は、手の指先で一発でしたが、それがうまくいかなければ、手首、ひじ、足先など、動かしやすいところを探してみてください。

「目を動かすといい」という方や、「体全体に力を入れると、だんだん抜けてくる」という方もいます。

それと、あまり緊張した状態だと、うまく体を動かせない場合があるようです。

その場合は、体を動かす前に、
1. まず、ゆっくりと深呼吸します。
2. それから、「これはただの夢だから怖くなんかないぞ」と自分に言い聞かせて、
3. さあ、指先をしばらく動かしてみましょう。

寝る前には、「金縛りにあっても指先を動かせば大丈夫」と、脱出法を確認してから、準備万端おやすみくださーい。

ちなみに、本城達也氏の [身動きがとれない恐怖の「金縛り」] という記事には、「金縛りとは何か」、「金縛りという言葉はいつ生まれたか」など、いろいろな話が載っていておもしろいですよ。

それから、みなさんの金縛りの体験談や、解き方など、金縛りにまつわるいろいろをコメント欄に書き込んでいただけたら、とっても嬉しいので、よろしくね!!

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2016年10月21日金曜日

お見事!イケダハヤト氏の必殺「炎上商法」カウンターパンチ


東京を脱出して高知県で田舎暮らしをしている有名ブロガー、イケダハヤト氏はご存知でしょうか。

イケダ氏が、「疑似科学商法」としてネット上で叩かれる、ホメオパシーについての記事で見せてくれた「炎上商法」が、あまりにも見事なので、今日はその紹介をさせていただきます。

「炎上」というのは、ネット上で多くの人の「気に触る」ことを書いたために、批判が殺到する状態のことですが、これをわざと起こすことで周知度を上げ、読者を増やすのが「炎上商法」です。

今回のイケダ氏の「炎上芸」は、ひとつめの「誘い」の記事と、それに続く決めの「カウンターパンチ」の二段階になっていることが特徴です。

  *  *  *

「誘い」の記事の題名は、[【ホメオパシー】ムカデや蜂に刺されたときは「エイピス」を飲むと治るらしい。]というものです。

これは次のようなストーリーで、「効き目の分からない商品」を上手に宣伝するものとなっています。

1. まず、イケダ氏は、「ホメオパシーって怪しい」、「個人的にはあんまり信用してません」と書きます。

2. それなのに、自分の知人二人を含め、Twitter からの複数の発言を紹介しながら、「ホメオパシーのエイピスというレメディ(薬のようなもの、実態は無害なアメ玉)は「効くんだろうなぁ」と述べます。

3. その上で、自分は使ったことがないし、なぜ効くのかは「よくわからない」が「値段はリーズナブルなので、田舎暮らししている方はいざという時に『お試しあれ』」として、エイピスという商品を売るアフィリエイトのリンクを紹介しています。

新聞で見かける「健康食品」の広告をひとひねりした感があり、これだけでも、イケダ氏はじゅうぶん優秀なコピーライターだと思います。

けれども、ここで疑問が生じます。

イケダ氏のブログの読者層は、都会に住んで田舎暮らしにあこがれているタイプの人ではないかと思われます。

蜂やムカデの毒に効くかもしれない 30粒 540円の商品の宣伝をして、いったいどれだけの手数料収入が見込めるでしょうか?

  *  *  *

結論から言うと、一つ目の記事は炎上を目的としたただの誘い記事にすぎません。

そして実際に、ネット上の「正義派」の人が集まってきて、「ホメオパシーのような、疑似科学の詐欺まがい商品をネット上で宣伝するのはけしからん」とやってくれたわけですから、イケダハヤト氏の狙いは大成功です。

  *  *  *

そして、決めの「カウンターパンチ」ですが、こちらは、[ネット民はホメオパシーに親でも殺されたの?イケダハヤトの代替医療に対するスタンス。]と題されています。

おそらくイケダ氏は、「ホメオパシーで死亡事件が起きている」と主張する人がいることを知った上で、「親でも殺された」という刺激的な言い回しを使ったものと思われます。

また、ひとつめの記事が炎上を呼ぶことはよく分かっているはずなのに、ふたつめの記事の冒頭では、「どうも(ひとつめの記事に)反応している人たちがいるみたいです」としれっと書いてます。さすがですね。

そのうえで、「ホメオパシーにせよEMにせよ民間療法にせよ西洋医学にせよ、興味ある人が自分で試してみてそれなりに効果があるなら、それでいいんじゃないっすか?」と述べています。これも正論です。

そして、「反応」して勝手に炎上している人は、自分のところの読者ではないから、「しっし。お山に還って!」と軽くいなして終わりです。

  *  *  *

と、ここまでで、記事の内容自体は終わっているのですが、この記事はあくまで商品を売り込むためのアフィリエイト記事ですから、以上の「楽しい」ストーリーのあとに、さらりと一冊の本を紹介しています。

紹介と行っても、本についての説明は
「ちなみに、この本はおすすめですよ。目からウロコの話がたくさん」
というだけで、具体的な中身については何も触れていません。

本を売るのに内容の説明はいらない、というわけです。

紹介されているのは『「病は気から」を科学する』という本で、ホメオパシーにも関心があり、ロハスでナチュラル志向のイケダ氏のファンの人たちが、かなりたくさんこの本を買ってくれるのではないでしょうか。

うまいですよねぇ。ホントにうまい。

  *  *  *

というわけで、ぼくが書いているこの記事も、アフィリエイト記事のはしくれですので、最後に商品紹介をして終わりにしたいと思います。

こちらがイケダハヤト氏おすすめ、目からウロコが落ちること請け合いの本です。
ムカデに刺されたときも効くらしいですよ。

[『 「病は気から」を科学する』ジョー・マーチャント (講談社 2016)]

上のリンクからアマゾンへ跳び、お好きな商品を買ってくださると、購入代金の数%がこの記事の書き手の手数料収入となります。

この記事をおもしろがっていただけた場合、そうしていただけると、たいへん励みになりますので、どうかよろしくお願いしまーす。

今日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
では、またっ。

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2016年10月19日水曜日

イケダハヤト氏が「お試しあれ」と言ったホメオパシー半可通講座


ぷちウェブ作家のとし兵衛です。

アルファブロガーとして毀誉褒貶半ばする高知県在住・脱東京派のイケダハヤト氏が、[【ホメオパシー】ムカデや蜂に刺されたときは「エイピス」を飲むと治るらしい。] という大変おもしろい記事を書いていらっしゃいます。

この記事は、次のようなストーリーで、「効き目の分からない商品」を上手に宣伝するものとなっています。

1. イケダ氏は、「ホメオパシーって怪しい」、「個人的にはあんまり信用してません」と書いています。

2. それなのに、自分の知人二人を含め、Twitter からの複数の発言を紹介しながら、「ホメオパシーのエイピスというレメディ(薬のようなもの、実態は無害なアメ玉)は「効くんだろうなぁ」と述べています。

3. その上で、自分は使ったことがないし、なぜ効くのかは「よくわからない」が「値段はリーズナブルなので、田舎暮らししている方はいざという時に『お試しあれ』」として、エイピスという商品を売るアフィリエイトのリンクを紹介しています。

新聞で見かける「健康食品」の広告をひとひねりした感があり、イケダ氏はなかなか優秀なコピーライターだなぁと思います。

イケダ氏の「広告記事」については、それだけの感想です。否定も肯定も特にしません。

  *  *  *

イケダ氏はなぜこのような記事を書いたのでしょうか。

イケダ氏はブロガーとして大層な収入を得ていらっしゃるようですし、エイピスのような低価格の商品を紹介しても手数料収入はそれほど得られないでしょうから、この記事は特別に収入を狙って書いたものではないように思えます。

ネット上の「正義派」の人をからかいながらの、話題作りの「炎上商法」でしょうか。

そうだとすれば、狙い通りに「正義派」の人々が噴き上げてくれているようです。
ホメオパシーのような、疑似科学の詐欺まがい商品をネット上で宣伝するのはけしからん、というわけです。
そういう話題が好みのかたは、こちらのまとめ記事をどうぞ。

  *  *  *

さて、ぼくはホメオパシーの信者ではありませんし、エイピスというレメディを誰かにすすめるつもりもありません。

そのことをお断りした上で、「ホメオパシーはなぜ効くのか」を説明することにしましょう。

ホメオパシーとは何なのか、そしてそれが「疑似科学」でしかなく、「科学的」な意味では効果がないとされる理由については、TAKESAN氏の[イケダハヤトさんのホメオパシー紹介記事について] を読んでいただくことにして、この記事でもTAKESAN氏にならい、ホメオパシーのレメディ自体には特別な効果はないという立場を取ります。

けれども「ホメオパシーは効く」のです。

「レメディに効果がないのにホメオパシーは効く」などとたわごとを言って、お前は人をおちょくってるのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

TAKESAN 氏の記事でも少し説明がありますが、偽薬(プラシーボ)の効果というものがあります。

たとえ小麦粉であっても、医者がこれを飲むとよくなりますよ、といって出されて飲むと、何も飲まなかった場合に比べて早くよくなる、といったことが起こる現象が知られており、これをプラシーボ効果と呼ぶのです。

そのため、薬の効き目を判定するためには、プラシーボ以上の効果があるかどうかを念入りに確かめるんですね。

TAKESAN氏の記事には、複数の妥当な実験によって、ホメオパシーのレメディにはプラシーボ以上の効果はないことが分かっている、ということが書かれているのですが、逆に言うと、どんな物質でもプラシーボ効果を引き出すことはできるわけです。

つまり、ホメオパシーのレメディにもプラシーボ効果はあるのです。

じゃあ、そのプラシーボ効果とかいう、けったいなものは一体何なのか、という話になりますが、これは「暗示による自己治癒力の増加現象」であり、科学的に確認できる現象です。

おまじないやお祈りにもこうした効果があるわけですし、暗示両方や催眠療法というものも存在しますよね。

そして、その暗示を容易に引き起こすきっかけとしてレメディを使うことは、まったく合理的な方法ですから、これを闇雲に否定することは、「公共の利益」に反することのように思われるのです。

  *  *  *

ホメオパシーのような疑似科学が批判される理由について、木村すらいむさんが [「疑似科学はどうして批判されるのか?」ネット上の反応から見えた3つの理由] という記事を書いてらっしゃいます。

その三つの理由というのは、

1. 「疑似科学とされている商品は、科学的な効能がないにもかかわらず、それがあるかのように宣伝している。これは詐欺だ」

2. 「実際は科学的ではないにもかかわらず、科学であるかのように宣伝している。これは科学の信頼を損ねている」

3. 「疑似科学が普及すれば、最悪人が死ぬ」

というものですが、1. は暗示の効果を無視している点で、科学的な議論とは思えませんし、2. は「科学」には揺るぎない基盤があるのだから、その信頼性が「疑似科学」で損ねられるわけがないと思います。

この三つの理由のうち、一つだけ考えておく必要を感じるのは三番目の「疑似科学が普及すれば、最悪人が死ぬ」というものです。

しかし、これに関しても、ホメオパシーについて言えば、濡れ衣としか言いようがありません。

合州国の FDA が注意を呼びかけている Zicam 社や Hyland 社の製品は、問題になっているような副作用があるという時点でホメオパシーのレメディとしては欠陥商品としかいいようのないものです。
これはそうした商品を販売している会社の問題であって、ホメオパシーの問題とは言えません。

また、[山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故] というものがあり、これをホメオパシーによる死亡事故だと考える方々がいます。

この事故は、ホメオパシー医学協会(wikipedia記事のママ)に属す助産師がビタミンK2シロップを投与しなかったことが死亡の原因だとして、死亡した新生児の母親が訴訟を起こしたものです。しかしこの訴訟は和解が成立し、法的な判断は示されておらず、これを直ちにホメオパシーの起こした事故と言うことはできません。

そして仮にこれがホメオパシーと関連する事故だったと仮定しても、ここで問題とするべきは、ホメオパシーの「誤用」であって、ホメオパシーそのものではないはずです。

つまり、もしも、助産師がホメオパシーを根拠に、ビタミンK2シロップの効果の説明という助産師としての義務を怠ったのならば、それはホメオパシーの「誤解」であり、「誤用」であるということです。
[参考: ホメオパシー新聞その14(日本ホメオパシー医学協会の記事)]

このことをたとえ話で説明させていただくと、新歓コンパなどで、アルコール飲料を「強制的」に目下の人間に飲ませるという、アルコールの「誤用」によって起こる死亡事故はあとを絶えません。

しかし、これを理由にアルコール自体を非難する人は皆無と思われます。

これは、アルコール自体(レメディに相当)の問題ではなく、また、アルコールの摂取という文化(ホメオパシーに相当)の問題でもなく、他人に飲酒を強要するアルコールの「誤用」こそが問題だからでしょう。(*)

「疑似科学が普及すれば、最悪人が死ぬ」ということを理由に「疑似科学」を非難する方々は、同じ論理でアルコールや飲酒の文化自体も非難するのでしょうか。

(*) schutsengel さんから、「アルコールの話がたとえ話として成立しない」という指摘を受けたため、この部分を追記しました。[2016.10.20]

  *  *  *

以上、ホメオパシーが効く理由とともに、ホメオパシーのような「疑似科学」を非難することについての疑問を述べましたが、「疑似科学批判」はよろしくない、とか、「疑似科学批判」をするな、とか言いたいわけではありません。

「疑似科学批判」をしたい人は、どんどんすればいいと思います。

いきすぎた「擬似ホメオパシー」には問題がありえますから、そうした意味でホメオパシーの問題について注意を喚起するのもよいでしょう。

けれども、「疑似科学批判」していらっしゃる方々が、「自分は正しく、相手は間違っている」と、万が一にも思っているとすれば、それは全く科学的な態度とは呼べないと思うのです。

現実に暗示による治癒効果があるのに、治癒効果はない、と主張するのは矛盾していないでしょうか。

暗示を目的として、適正と思われる価格でレメディを販売することには、どのような問題がありえるのでしょうか。

依存性もあり、有害性がはっきりしているアルコールの販売を取り締まらないことは、科学的に見て正しいことなのでしょうか。

物理学者のファインマン氏の著書「ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉」に「カーゴ・カルト・サイエンス」についての警告があります。
「カーゴ・カルト・サイエンス」とは、現実の科学界の中に存在する「似非科学」のことです。ファインマンさんは、カリフォルニア工科大学1974年卒業式式辞において、自分に都合のよい実験結果を取り立てて、都合の悪い結果は捨ててしまうような「似非科学」に手を染めてはならないと警告しているのです。

ぼく自身は、学部でコンピュータソフトをかじっただけの、なんちゃって理系にすぎませんので、「擬似科学批判」を真摯になさっている「立派な科学者・技術者」のみなさんについて科学とは何か、などというべき立場にはありません。

けれども、「疑似科学批判」ということになれば、これは科学の内部の問題ではなく、社会の問題であり、政治・経済の問題であり、宗教の問題でもあるでしょう。

そうした社会的事象を論じるにあたって、狭い意味での「科学的真実性」を根拠として提示して、相手を叩くだけでは建設的な議論にならないように思うのです。

プラシーボ効果で救われている人の存在も評価しなければ、社会的に適切な評価とは言えないのではないでしょうか。

大風呂敷を承知で言えば、思想・信条の自由、言論の自由ということを踏まえた上で、人類の価値に貢献できるような、楽しい議論をネット上で交わすことができたらなぁと、思うのです。

長々と書きました。
最後まで読んでいただいたみなさん、どうもありがとうございます。
ではまた。

[2016.10.22 追記]
BuzzFeed Japan から今日付けで、[繰り返されるホメオパシー騒動と「ニセ科学」 本当の問題はどこに?]
という記事が出ています。

ホメオパシーに科学的根拠はないが、選ぶのは自由。
まったく効かないわけではなく、プラシーボ効果はある。
過大な効果を宣伝する人には注意。

というのが、この記事の結論で、一般向けの記事として妥当なものかと思います。

[2016.10.24 追記]
上記 BuzzFeed Japan の記事を受けて、TAKESAN さんが、
[ホメオパシーの問題とイケダハヤトさんの問題]
という記事を書いておられます。

以下、TAKESAN の記事から三つのトピックを拝借して、ホメオパシーのメリットとともに、イケダ氏の紹介記事の有用性を改めて述べてみます。

1. 「レメディの効果を喧伝すると、標準医療に対する忌避感・拒否感を形成する」という問題

この考えは、標準医療や科学技術を素朴に信頼している多数の方にとっては、納得のいくものでしょう。

しかし、少し言葉を変えてこのように言ったら、どうでしょうか。

「ホメオパシーによって、無害なレメディのプラシーボ効果を啓蒙することは、標準医療に対する過度の信頼を改める効果がある」

標準医療「信者」の方からすれば、「有害」な「非真実」かもしれませんが、誠実に「科学的」な立場に立つ方には、この主張は納得いただけるものと思います。

薬剤の購入に費やされる社会費用など、経済的な負担という問題も含め、標準医療がもつ様々な問題点を考えれば、これはホメオパシーの大きな効用と言えましょう。

2.「ホメオパシーのレメディが有害物質を原料に使うため、製造過程に問題があると、製品に毒性が残ることがある」という問題

このことは、ホメオパシーに特有な問題であり、ホメオパシー否定派の人にとっては、格好の「攻撃材料」に違いありません。

わざわざ原料に有害物質を使っているのに、レメディは食品であるため、薬機法の規制を受けていない、危険だ、というわけです。

けれども、森永ヒ素ミルク事件や、昭和電工トリプトファン事件を考えれば、製品の安全性は、あくまで製造工程における手続きの問題であり、「原料に有害物質を使っているから危ない」という主張は、「心理的」には納得できるが、「論理的」に正しいとは言えないものと考えます。

原料に有害物質を使うがゆえに、品質管理を徹底し、安全な製品を作るという考え方は実践可能です。

そうした優れた思想を持つ企業の作るレメディは、人々の信頼を勝ち取り、大きなプラシーボ効果を発揮することが期待できます。

3. イケダ氏の不用意さの問題

TAKESAN 氏は、1. と 2. の問題を根拠に、

こういった、ホメオパシーに関する注意点を紹介する事無く、レメディに効き目がある可能性のみを書いたイケダハヤトさんは、やはり不用意であったと考えます。

と述べていますが、「1. も 2. も、筆者の立場からすれば問題ではない」ということは、上に書きました。

さらに言えば、イケダ氏の記事は、いわば「一般的な読み物を装った広告」にすぎないのですから、もしこれに「注意点も合わせて紹介せよ」と主張するのであれば、アルコールやタバコ同様、あらゆる商品について「注意点も合わせて紹介するべき」ということになるのではないでしょうか。

○そして最後に一点、申し述べたいことがあります。

TAKESAN 氏は第一の記事、[イケダハヤトさんのホメオパシー紹介記事について] において、
レメディが効くかどうかですが、実は、既に効かない事が判っています。
(中略)
仮に、ホメオパシー支持側に寄せるとしても、少なくとも効くという証拠は得られていないと言う事は出来ます。
と述べています。

これは一般向けの記事であるがゆえに、分かりやすさを優先してこのような書き方をなされたのかとは思いますが、多分に「カーゴ・カルト・サイエンス」的であり、「科学」に対しての「誠実さ」に欠ける表現ではないかと考えます。

科学的に誠実であろうととすれば、たんに「効くという証拠は得られていない」と書く以外ないのではないでしょうか。

ホメオパシーのレメディは『「効くという証拠は得られていない」し、有害性もありうるから使用には注意してください』、と言えば十分ではないでしょうか。

以上、長い追記になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

なお、プラシーボ効果といった問題に関心のある方は、イケダハヤト氏も「目からウロコ」とご推薦の
[『 「病は気から」を科学する』ジョー・マーチャント (講談社 2016)]
をおすすめしておきます。

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2016年10月17日月曜日

アウシュビッツ、新潟知事選、安倍政権


いきなりアウシュビッツとは穏やかでないのですが、マミーさんというかたが、[小学校の図書室で思うこと]  という記事を書いてらっしゃいます。

「アウシュビッツの図書係」(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社)という本の紹介記事で、14歳の実在の少女をモデルに書かれた「限りなくノンフィクションに近い小説」とのことです。

自分の命を賭けてまで、本を守るとはどういうことなのか。この本の詳しい内容に関してはマミーさんの記事を見ていただくとして、この記事では、『極限状態においても人間という存在が持ちうる「勇気」という力』について、ゆるりと書いてみたいと思います。

  *  *  *

昨日、2016年10月16日は、新潟県で知事選がありました。

原発の再稼働に積極的に異議を申し立てていた泉田現知事が、直前に立候補を取りやめるという奇妙な事態を経て、再稼働に反対する米山隆一氏が立候補し、当選したことは、原発問題の今後について、また、原発再稼働に象徴される日本の「総天然全体主義化」の行く末について、大きな問題を提起しているものと思います。

鹿児島での三反園の当選に続き、新潟においても原発再稼働に反対を表明する米山氏が、自民、新潟連合の押す森氏を破ったことは、地方の首長選において、「民意」ははっきりと原発再稼働に「反対」であることを示しています。

しかしながら、沖縄・高江の現状を見れば明らかなように、「中央」の権力機構は、反対派に対する徹底的な弾圧の姿勢を隠す必要すら、もはや感じていない模様です。

米山氏の勝利を手放しで喜ぶことはできず、これからの道行きの険しさを感じる所以です。

[2016.10.18 追記]
なんとも意外なことに、こちらの記事によると、米山隆一氏の「本音」は「原発賛成」ということのようです。

新潟県民の民意を裏切り、安易に「再稼働」を許すことのないよう、米山氏にはくれぐれもよろしくお願いしたいところです。

  *  *  *

さて、そのニッポンの「中央」を代表して立つ存在が、自民党総裁にして内閣総理大臣である安倍晋三氏ということになります。

そうであるからには、現在のニッポンの流れに反対の意を表明するために、「反安倍」をいうことは当然ではあるのですが、仮に安倍氏の「首」を切ることができたとしても、また別の「アベ」氏が登場するだけであろうことは、日本の「総天然全体主義」的体質を考えれば、簡単に想像がつきます。

そのときぼくらは、ヤマタノオロチを退治したスサノオの登場を期待するべきではありません。

なぜなら、「アベ」氏というヤマタノオロチを退治した途端に、スサノオ自身が「アベ」氏を引き継ぐことになる以外の道は考えられないからです。

  *  *  *

冒頭で触れた「自分の命を賭けて」何かを守るということ、今の日本ではなかなか分かりにくいことだと思います。

高度経済成長後の日本しか知らないぼく自身、それが肌で分かるわけではありません。

けれども、その「分かり得ない」何かを知るために、日々を誠実に生きていきたいものだと思うのです。

何が正しいとか、そういうことは、あとにならなければ、分からないのだと知りながら、今できる精一杯のことを、やっていきたいなあと、思うのです。

周りがある色に染まっていて、それを乱してくれるなと、言っているように思えるときに、その状況の「日常性」と「極限性」を踏まえた上で、何かを言う勇気を持ち続けたいと思うのです。

ぼくたちは、誰か強力なスサノオの登場を待つのではなく、一人ひとりが小さなスサノオとして生きていくべきではないかと思うのです。

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2016年10月12日水曜日

死を想って空を見る - 絶望空間から抜け出すために


電通に勤務していた24歳の女性が自殺し、労基署が労災として認めたことが、一部で話題となっているようです。

日本の集団が宿痾として持っている「黒い」体質についてはさておき、この女性が落ち入ってしまった「絶望の空間」について、今日は少し書いてみようと思います。

  *  *  *

社会的に生きる人間という存在のうち、多くの人は、こうした「絶望の空間」に直接入り込むことはなく、一生を終えるのだろうと思います。

けれども、そうした「空間」に入り込んで、逃げ出すことができなくなる、ごく少数の人以外にも、その一歩手前の「うつ的空間」を出たり入ったりする人はある程度いるわけですし、「うつ的」が「絶望」に転じるかどうかは、ほんの少しの偶然とか、ちょっとした気持ちの持ち方の違いとか、普段だったら取るに足りないようなほんとうに小さなことがらによって左右されたりするものなのだと思います。

それは、何か一つの原因がある、というよりは、小さなことの積み重ねによって、あるとき、「うつ的」から「絶望」に入り込んでしまう、というようなことだったりしますから、その流れを変えるということは、決して簡単なことではないのです。

ところが、その決して簡単ではないことが、ほんの小さなことがきっかけで起こる場合もあります。

その「小さなきっかけ」をどうやって見つけることができるのか、あるいは、たとえば、「絶望」に落ち入りそうな人と、その周りにいる人の間で、そういう「きっかけ」がどのように立ち現れうるのか、ということを書くことができたらと思うのです。

  *  *  *

「死にたい」と思ったときに、空を見上げる。
そんな一つの行動が、世界を変えるきっかけになることもあります。

建物の中では、頭の上を見ても天井しか見えないかもしれません。
それでも、天井のその上には、空が広がっています。
その空は、いつも世界中の空とつながっていて、人間のちっぽけさと偉大さを見下ろしているのです。

あなたが死のうが生きようが、この青く広い空のもとでは、どちらも取るに足らず、けれども、そのどちらもが、どうしようもなく愛おしいありようなのだということに、あなたは気づくかもしれません。

  *  *  *

「死にたい」と思うほどに絶望しているその人の、その絶望の気持ちをただそのまま認めてあげる。

それだけで、悪循環を変えるきっかけになりえます。

そう言ったら、なんだ、そんな簡単なことなのか、と思うかもしれませんが、「ただそのまま認める」ということは、実際にそれをしようと思っても、なかなかできるものではありません。

「死にたい」と言われて、「そうか、死にたいのか」とただそのまま聞くことは、必ずしも簡単なことではありません。

「死にたいだって。そんなこと考えちゃだめだ」というのが、ありがちな反応でしょうか。

「死んだ気になったら、なんでもできるよ」とはげましてみたくもなるでしょう。

「死にたいのか。でもあなたが死んだら悲しいな」そんな言葉も出てくるかもしれません。

あるいは、どうして「死にたい」のかを聞いて、「死を選ばず、生きる方向を考えられる」ようなアドバイスを、と考えるかもしれません。

けれども、人が死を考えるときには、もう他の方法は目に入らなくなっているのですから、周りからのそうした働きかけは、残念ながらあまり有効とは言えません。

また、こうした場面で医療につなげることも、必ずしもいい方法とは限りません。
薬物や隔離といった方法に頼りがちな医療のために、返って状態をこじらせる場合もあるからです。

とはいえ、良い医療機関につなげて、睡眠導入剤や抗不安薬などを必要最小限摂ることは、状態をよくする助けになりえます。

医療機関の限界をわきまえた上で、医療機関の助けを借りることは選択肢の一つでしょう。

  *  *  *

そのようなことを考慮した上で、あなたに精神的な余裕があるのなら、「絶望という名の空間」に閉じ込められているその友だちに、ただ寄り添ってあげること。
何を言われてもただ聞いてあげる。
何も言葉が出てこなければ、その沈黙を受け止めて、一緒にその「絶望」と向い合ってあげる。
そんなふうにしてあげてほしいと思います。

「相手を丸ごと受け止める」そうしたあり方こそが、「絶望の空間」から抜け出すための「小さなきっかけ」となり、救いの蜘蛛の糸になりうるのです。

そして、そうしたあり方は、「死」に関わる場合だけでなく、「うつ的空間」に落ち入りがちな人を助けることにもなりますし、もっと一般的に、誰もが抱える日々の悩みや人生の苦しみを和らげることになるのです。

そして、それは人のためだけではありません。

むしろ、自分のためにこそ、「丸ごと受け止めること」を心がけてみるとよいでしょう。

自分の失敗を責めず、自分を許してやりましょう。
失敗したら、次には失敗しないように気をつけましょう。
何度も失敗するかもしれませんが、それでも許してやりましょう。

変えることのできない自分も認めてやりましょう。
そして自分を変えていく勇気を持ちましょう。

そうやって、自分を「丸ごと受け入れること」が、結果的に、他の人も「丸ごと受け入れること」につながっていくのです。

  *  *  *

自分を認め、世界を受け止めるためには、上に書いたような考え方の練習も有効ですが、瞑想やヨガも役に立ちます。

気が向いたら、いろいろやってみるのも楽しいでしょう。

あなたと、あなたを取り巻く人々の、今日一日がよき日でありますように。
それでは、また、お会いしましょう。

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☆こちらは散文詩です。
[自ら死を選ぶ自由について]

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2016年10月10日月曜日

02 フロリンダ・ドナー「シャボノ」-- アマゾンの奥地、ヤノマミ族の暮らし


02 フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は四百字詰め原稿用紙40枚ほどの分量です]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

☆第一回はこちらです。
[01 フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

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第一部 (承前)

**010**


 一週間後、私は友だちの操縦する小さな飛行機で、オリノコ川上流にあるカトリック布教所の一つへと向かっていた。私たちはそこで一行の他のメンバーと落ち合うことになっていた。彼らは数日前にボートで出発し、そのボートには狩猟道具とともに二週間のジャングル行きに必要な食料などが積み込まれていた。
 友だちは熱心に、泥々と渦巻くオリノコ川の魅力を私に見せようとした。彼は勇敢かつ巧みに小さな機体を操った。ある瞬間には私たちは水面すれすれを飛び、砂地の岸で日向ぼっこをする何匹かのワニを驚かしてしまうほどだった。かと思うと次の瞬間には上空に飛び上がり、果てしなく、通り抜けることを拒むかに見える壮大な森林を見下ろすことになるのだった。息つく暇もなく、彼はまた急降下をする。川の端に浮かぶ丸太の上で、日差しを楽しむ亀が見えるほどの低さだった。
 布教所の菜園のそばにある小さな空き地にようやく着陸したときには、私はめまいと吐き気で震えていた。布教所を守るコリオラーノ神父、前の日に到着していた他のメンバー、そして先住民族の一団が、私たちを歓迎してくれた。先住民族たちは興奮して機内に飛び込んでくるほどだった。
 コリオラーノ神父を先頭に私たちは、トウモロコシ、マニオク、プランテン、サトウキビが植えられた畑の間を歩いた。**011**神父は痩せた体に長い腕と短い足の持ち主だった。濃い眉は深くくぼんだ目を隠すほどで、もじゃもじゃのあごひげで顔の大部分が覆われている。黒い法衣とはちぐはぐなくたびれた麦わら帽をかぶっており、汗が流れる額に風を当てるため、しきりにその帽子を押し上げていた。
 川岸の泥の中に埋められた何本かの柱が、間に合わせの桟橋になっており、そこにボートがつながれていた。その脇を通る頃には、服は汗でぐっしょりとなり、体にまとわりついた。私たちは立ち止まり、コリオラーノ神父は私たちの翌日の出発について話し始めた。私は先住民族の女性の一群に囲まれた。彼女たちは無言のままで、恥ずかしそうに私に向かって微笑むばかりだった。女たちの、体に合わない服が前に上がり、後ろに下がるのを見ていると、みなが妊娠中であるかのような印象を受けた。その中の一人の老婆は、あまりにも小さくしわくちゃなので、歳を取った子どものように見えた。彼女は他の女たちと違い微笑んでいなかった。 老婆はその目に何かを請うような表情を浮かべながら、押し黙ったまま私の方へ手を差し出した。彼女の目に涙が浮かんでくるのを見ていると、私は奇妙な思いにとらわれた。粘土のような色をしたその頬を、涙が流れ落ちるのを見たくないと思ったのだ。私は老婆の手に自分の手を重ねた。平屋で細長い形をした布教所の建物を囲む果樹の方へと、彼女は嬉しそうに微笑みながら私を導いた。
 布教所の建物のアスベストの屋根が大きく張り出した下、その影の中で、幾人かの老人が震える手にほうろうのカップを持ってしゃがみ込んでいた。老人たちはカーキ色のシャツを着ており、顔は汗のしみが付いた麦わら帽で半ば隠されていた。甲高い声で笑っては喋りながら、ラム酒をふり入れたコーヒーに舌鼓を打っていた。羽を切られた鮮やかな色の金剛インコのつがいが、一人の男の肩で騒がしかった。男たちの容貌にも肌の色にも特に目立ったものはなかった。スペイン語を話しているように思えたが、言葉は聞き取れなかった。
「この人たちは先住民族なのかしら?」私は老婆に聞いた。布教所を囲んで建つ家の一軒の裏手の部屋へと、彼女のあとをついて私は歩いていた。
**012** 老婆は笑った。細く開いた目ぶたの間に微かに見える瞳が、私の顔の上で視線を止めた。「彼らは〈理性の人〉(ラシオナーレス)だよ。先住民族でないものは〈理性の人〉と呼ばれるのさ」彼女はその言葉を繰り返して言った。「あの年寄りたちはここに長く居すぎたのさ、金やダイヤを探しに来てね」
「少しは見つけたの?」
「多くの者がね」
「それなのに、まだここに?」
「自分の土地には戻ることのできない者たちなのさ」彼女はそう言って、痩せこけた両手を私の肩に置いた。彼女がそうしても私は驚かなかった。彼女の触り方には優しさがあり、愛情が感じられた。ただこの人は少し頭がおかしいのだろうと私は思った。「あの男たちは森で魂を失くしてしまったのさ」老婆は目を見開いた。干したタバコの葉の色をした瞳だった。
 何と言っていいのか分からないままに、彼女の突き刺すような視線から目をそらすと、私は部屋の中を見回した。壁は青く塗られていたが、日差しに色あせ、湿気で剥がれかけていた。小さな窓の横には、粗雑に作られた木製のベッドが置かれている。それは大きすぎるベビーベッドのようで、全体を囲むように蚊除けの網が張られていた。見れば見るほどそれは檻を思わせた。その檻には、蚊除けの網で覆われた天辺の重たい部分を外さない限り、入ることができないのだ。
「私はアンゲリカ」老婆はそう言って私を見据えた。「これで全部なのかい、お前の荷物は?」私の背からオレンジ色のナップサックを取りながら彼女は聞いた。
 私は言葉を失い、驚きの表情を浮かべたままで、彼女が下着とジーンズ、長袖のTシャツをナップサックから取り出すのを見ていた。「二週間の旅に必要なのはこれだけなの」そう言って私は、ナップサックの底のカメラと洗面用具を指さした。
 注意深く彼女はカメラを取り出し、ビニールでできた洗面セットのジッパーを開けると、中身を全て床の上にぱっと広げた。くし、爪切り、歯みがきと歯ブラシ、シャンプーと石けんがそこに並んだ。**013**信じられないと言いたげに頭を振りながら、彼女はナップサックの裏表をひっくり返した。そして心ここあらずといった様子で、額に貼りつく黒い髪を撫でた。老婆の瞳に映る表情から、どうやら夢見がちに昔を思い出しているものと思われ、その顔にはしわくちゃな笑みが浮かんだ。ナップサックに全てのものを戻すと、彼女は物も言わず私を旅の一行のところまで連れ戻した。
 辺りが暗くなり、布教所が静まり返ってからも、私はずっと眠らずにいた。そして、開け放った窓から聞こえてくる耳慣れぬ夜の音に耳を澄ませた。疲れていたからか、それとも布教所の落ち着いた雰囲気のためかは分からなかったが、その夜、床につく前から友だちの狩りには同行しないことに決めていた。代わりに二週間、私は布教所に留まるつもりだった。幸い気にするものはいなかった。というより、実のところ誰もが安心した様子だった。口にする者こそいなかったが、銃の使い方も知らない人間が狩りに行くなどばかげていると考える者も、友だちの中にはいたのだ。
 透明な空の青さが夜の影を溶かしていくのを、私は呪文にかけられたかのように見守った。穏やかな空の明るさを背景に、窓の外、そよ風に揺れる木の枝と葉の輪郭がくっきりと浮かび上がった。ホエザルの叫びが一つ聞こえ、私は深い眠りに落ちていった。

「つまりあなたは人類学者なんですね」翌日昼食を一緒に食べながら、コリオラーノ神父が言った。「私が今までに会った人類学者と言えば、録音や録画の機材を持ち運んでいて、いろんな機械類に詳しい連中でしたよ」そう言いながら彼は、焼いた魚とトウモロコシのおかわりを私によそってくれた。「先住民族に興味がおありで?」
 バルロベントで自分が何をしていたのかを、データの取り扱いに関して経験した難しさのことも含めて、私は彼に説明した。「できればここでも治療の現場に立ち会いたいんです」
**014**「この辺りではなかなかご希望はかなわないように思いますがね」あごひげについたキャッサバ・パンの屑を取りながら、神父は言った。「ここにはよく整った診療所がありましてね。先住民族たちは遠くから病人を連れてくるんですよ。とはいえ、近くの居住地に行けるようお手伝いすることはできると思いますし、そうすればシャーマンにも会えるでしょうな」
「そうして頂けたら大変助かります」私は言った。「フィールドワークをしにきたわけじゃないんですけれど、シャーマンと会うことができれば、貴重な体験になりますから」
「あなたは人類学者らしく見えませんな」コリオラーノ神父の濃い眉が、アーチを描いて一つにつながった。「もちろん会ったことがある人類学者はほとんどが男ですよ、でも少しは女性もいた」彼は頭を掻いた。「けれどあなたの場合、わたしの知っている女性人類学者のタイプとも違う」
「人類学者がみんな似てるとは限りませんよ」彼が会ったことがあるのは誰なんだろうと考えながら、私は軽い調子で言った。
「それはそうですね」彼は戸惑い気味に言った。「でも、私が言いたいのは、あなたは十分大人には見えないってことなんですよ。今朝あなたのお仲間が出発したあとで何人もの人から聞かれましたよ、どうしてあの子どもは私のところに残っているのかって」
 先住民族たちが、自分たちの間に白人の大人が聳え立つのを見ることをいかに期待しているかについての冗談を話しながら、彼の目は活き活きと輝いた。
「ブロンドで青い目をしていたらなおさらです」彼は言った。「これこそまさに巨人だって先住民族は思うんです」
 その夜、蚊除けの網で覆われた檻のようなベッドの中で、とても恐ろしい夢を見た。夢の中、ベッドの天辺は釘づけされていた。天辺の蓋は重く、逃げ出そうとする全ての試みは失敗に終わった。私はパニックに襲われ、叫びながらベッドを揺さぶり続け、ついにその奇怪な檻は大きく揺れてひっくり返った。私は半分眠ったまま床に横たわり、老婆の垂れた乳房の小さなふくらみの上に頭を置いていた。しばらくの間、自分がどこにいるのか分らなかった。何も怖がることはないのだと分っていても、子どもじみた恐怖が抑えきれず、私は老婆にすがりついた。
**015** 目がはっきり覚めるまで、老婆は私の頭の天辺を撫でながら、理解できない言葉を耳元で囁いてくれた。彼女の手の感触と、耳慣れない鼻にかかった声の響きが、私の気持ちを落ち着けた。そのときの気持ちは、合理的に説明できるようなものではなかったが、とにかく私は彼女にしがみついていていればいいのだと思った。老婆はわたしを台所の裏にある自分の部屋に連れていった。二本の柱に結びつけられた重いハンモックの中、私は彼女の隣で横になった。まだ会ったばかりでよく知らない老婆が横にいるだけで私は安心し、恐怖心を忘れて、私は目を閉じた。彼女の鼓動のかすかな響きと、素焼きの壺から漏れ落ちる水滴の音を聞きながら私は眠りについた。
「ここで寝たほうがずっといいだろう」翌朝、自分のハンモックの隣に綿のハンモックを吊りながら老婆は言った。
 その日からアンゲリカは、ほとんど私につきっきりになった。私たちはたいてい川辺で時間を過ごし、話をしたり川に入って水浴びをしたりした。川辺の砂は灰に血を混ぜ合わせたような色をしていた。私はとてもくつろいだ気持ちで、先住民族の女たちが洗濯をするのを何時間も座って眺め、アンゲリカの昔語りに耳を傾けた。雲が大空を漂っていくように、彼女の言葉が、女たちが服をゆすぎ、石の上に広げて乾かす光景に、重なり、からまり合った。
 布教所にいる先住民属はほとんどがマキリタレ族だったが、アンゲリカは違った。まだ若いうちに彼女はマキリタレの男に預けられた。その男はよくしてくれたと、彼女は好んで言った。生まれた場所のやり方とそれほど違わなかったので、マキリタレの生活に慣れるのもすぐだった。彼女はまた街で暮らしたこともあったが、どこの街かは言わなかった。先住民族としての本名も、彼女は明かさなかった。簡単に本名を明かすべきではないというのが、彼女の部族の慣習だったからだ。
 昔語りをするときはいつも、彼女の声は私にとって耳慣れぬものになった。とても鼻にかかった声になり、しばしばスペイン語から自分の部族の言葉に切り替わり、時間と場所がごちゃまぜになった。**016**文章の途中で話を止めることも度々だった。数時間たってから、場合によっては翌日になってから、話を止めたまさにその場所から、彼女はまた話し始めるのだった。そのような話し方が一番自然なやり方だというかのようだった。
「お前をわしの仲間のところへ連れていくことにしよう」そう彼女が言ったのは、ある昼下がりのことだった。私を見つめる彼女の口元には、かすかな微笑みが浮かんでいた。彼女はもう少し何か言いたそうだったが、そのとき私が考えていたのは、コリオラーノ神父がバース氏に頼んで、私を近くにあるマキリタレの居住地に連れていくように話していることを、彼女は知っているのだろうかということだった。
 バース氏はアメリカ人の鉱山技師で、もう二十年以上もベネズエラのジャングルに住んでいた。彼は布教所の少し下流で先住民族の女性と暮らしていて、夕方にはよく布教所まで来て一緒に食事をした。彼は合州国に戻るつもりはなかったが、国の話題は喜んで聞いた。
「お前をわしの仲間のところへ連れていくよ」アンゲリカがもう一度言った。「そこまで行くのには何日もかかるんだ。ミラグロスがジャングルを案内してくれるさ」
「ミラグロスって誰?」
「わしと同じ先住民族さ。スペイン語も上手だよ」アンゲリカは喜びに手もみした。「ミラグロスはお前の仲間と一緒に狩りに行くはずだったんだが、やめてここに残ったんだ。今になってその訳が分ったよ」
 アンゲリカは瞳を輝かせ、奇妙な熱心さで話をした。私は最初に会ったときと同じように、彼女は少し頭がおかしいのだと思った。「ミラグロスには始めから分ってたんだ、わしらに案内が必要だってことがね」老婆はそう言うと、もう目ぶたを開けておく力が残っていないとでもいうかのように目ぶたを閉じた。眠りに落ちるのを恐れたかのように、彼女は突然両目を大きく見開いた。「お前が今何を言おうがわしは構わんよ。お前が一緒に行くのは分かってるんだ」
 その夜、私はハンモックのなか眠らずにいた。息の音からアンゲリカは眠っているのが分かった。ジャングルに連れていってくれるという約束を、彼女が忘れないようにと私は祈った。ドーニャ・メルセデスの言葉が頭の中をこだました。**017**「あんたが戻ってくる頃にはそんなノートは何の役にも立たなくなってるはずさ」たぶん先住民族のもとでいくらかのフィールドワークができるだろう。私は楽しい気持ちでそう考えた。テープレコーダは持ってきていなかったし、紙と鉛筆もなかった。小さな手帳とボールペンがあるだけだ。カメラは持っていたが、フイルムは三本しかなかった。
 落ち着かない気持ちで、私はハンモックのなか寝返りを打った。ちょっと気が変だとしか思えない老婆と、まだ会ったこともない先住民族の男と一緒にジャングルに入るなんて、そんなことできるわけがない。にも関わらず、ジャングルを通り抜けて旅をするという考えには、何ともいえない魅力があった。時間を取ることは私にとって簡単なことだった。締め切りがあるわけではないし、待たせている人がいるわけでももない。友だちには急な予定の変更について、書き置きを残して説明すればいいだけだ。考えれば考えるほど、私はその計画の魅力にのめり込んでいった。コリオラーノ神父が十分な紙と鉛筆を用意してくれることは間違いない。そう、多分ドーニャ・メルセデスが言った通りなのだ。そのような旅から戻ったときには、いや、もしそのような旅から戻ることができれば……。不吉な考えとともにわたしは言葉を選び直した。もしそのような旅から戻ることができれば、そのときには治療についての古いノートはもう必要なくなっているに違いない。
 私はハンモックから抜け出すと、眠っている老婆のか細い姿を見つめた。私が見ているのに気づいたかのように、老婆の目ぶたが震え、唇が動いた。「わしはここじゃ死なない、死ぬのは仲間のところさ。焼かれて灰になって、わしはずっと仲間と一緒にいることになるのさ」彼女はゆっくりと目を開けた。その目に輝きはなく、眠気に曇っていたので、何の感情も読み取ることはできなかったが、彼女の声には深い悲しみが感じられた。私は老婆のくぼんだ頬に手を触れた。彼女は私に微笑んだが、心はどこかほかにあるのが見て取れた。
 誰かに見られていることを感じて、私は目を覚ました。私が起きるのを待っていたのだとアンゲリカは言って、私に箱を見るようにと身振りでうながした。木の皮で作られた化粧道具入れほどの大きさの箱が彼女の横に置かれていた。**018**彼女はきっちりと閉まっている蓋を開けると、中に入っている物を見せ始めた。一つ一つの物がまるで初めて見るものであるかのように喜びと驚きの声をあげ、なんとも楽しそうな様子だった。鏡があり、櫛があった。プラスティックでできたおもちゃの真珠の首飾り、ポンズコールドクリームの空き瓶がいくつか、口紅が一本に、錆びたハサミが一つ、そして色褪せたブラウスとスカートがあった。
「で、これはなんだと思うね?」後ろ手に何か持ちながら彼女は聞いた。
 私が分らないというと、彼女は笑った。「こいつはわしの練習帳さ」彼女がページをめくると、その紙は歳月に黄ばんでいた。どのページにも曲がりくねった文字が何列も書かれている。「見てておくれよ」箱の中から噛みあとのある鉛筆を取り出すと、彼女は自分の名前を書き始めた。「名前の書き方を教わったのは別の布教所でのことさ。ここよりもっと大きいところで、学校もあった。ずいぶん昔のことだけど、習ったことは忘れちゃいない」繰り返し繰り返し、彼女は自分の名前をブロック体で書いた。「気に入ったかい?」
「ええ、とても」私は戸惑いながら答えた。老婆は床にしゃがみ込んで前かがみになり、その頭を地面に置いたノートに付かんばかりにしながら文字を書いていたのだ。にも関わらず彼女は、少しもバランスを崩すことなく、自分の名前を一文字一文字、細心の注意を払ってなぞっていた。
 彼女はノートを閉じながら、急に体を伸ばした。「街には行ったことがある」窓の向こうのどこかを見つめながら彼女は言った。「いっぱい人間がいたけど、みんなおんなじ顔に見えた。わしにとっちゃ見るものが多すぎたし、おまけにその騒々しいことといったらなかったね。人が喋るだけでもうるさいのに、物までが喋るんだから」そこで言葉を止めると、顔中のしわが深くなるほど懸命に意識を集中しながら怒った顔をした。そして彼女は言った。「わしはその街のことは、これっぽっちも好きじゃなかったねえ」
 行ったことがある街というのはどこのことなのか、自分の名前の書き方を習ったのはどこの布教所だったのか、私は聞いた。けれど彼女は私の言葉が聞こえなかったかのように私を見つめ、また話を続けた。以前にもしていたように、時間と場所は混ぜこぜになり、自分の母語が入り混じった。**019**時おり彼女は笑って、同じセリフを繰り返した。「わしはコリオラーノ神父の天国には行かんだろうね」
「仲間に会いに行くっていうのは本気で言ってることなの?」私は聞いた。「女が二人で森に入っていくのは危険だと思わない? 道はちゃんと分かるの?」
「もちろん道は分かるさ」ほとんど忘我の状態だったのが、一瞬で普通の状態に戻ると彼女は答えた。「それに年寄りの女に危険はないさ」
「私は年寄りじゃないけど」
 彼女は私の髪をなでた。「お前は年寄りじゃない、けれど、髪はヤシの繊維の色をしているし、目は空の色だ。お前にも危険はないさ」
「道に迷うに決まってるわ」私は柔らかく言った。「最後に仲間に会ったのがいつかも憶えてないんでしょう? 仲間は森の奥へ移り続けてるって言ってたじゃない」
「ミラグロスが一緒に行ってくれるさ」確信に満ちた声でアンゲリカは言った。「ミラグロスは森のことならよく知ってるんだ。ジャングルに住んでる全ての人間を知ってるのさ」アンゲリカは持ち物を木の皮の箱にしまい始めた。「なるべく早く出発できるように、さっさと彼を探すとしよう。それとお前は何か贈り物をせにゃならん」
「彼が欲しそうなものは何も持ってないなあ」私は言った。「友だちが持ってきてるマチェーテをミラグロスにあげるために布教所に置いていってくれるように頼めるかもしれないけど」
「カメラをやるんだ」アンゲリカは言った。「マチェーテがもう一本ほしいのと同じくらいに、彼はカメラが一台欲しいのさ」
「カメラの使い方は知ってるの?」
「さあね」片手で口元を隠しながら、彼女はくすくすと笑った。「先住民族を見に布教所にやってくる白人たちを写真に撮ってみたいって彼が言ってたんだよ」
 カメラを手放すのは気が進まなかった。性能もよく値の張るものだったのだ。安いカメラを持ってきていればよかったのにと思った。「カメラをあげることにするわ」そう言いながらも、ミラグロスにはカメラを使うのがどんなにややこしいかを説明しよう、そうすればマチェーテが欲しいと言うかもしれない、と考えていた。
**020**「荷物は少ないに限る」ばしんと音を立てながら箱の蓋を閉めると、アンゲリカは言った。「この中の物は、全部ここの女の一人にやるとしよう。わしにはもういらんものだ。何も持たないでいけば、誰かに盗られる心配もないってわけさ」
「あなたがくれたハンモックを持っていきたいな」私は冗談で言った。
「そいつはいい考えかもしれん」アンゲリカは頷きながら私を見た。「お前は寝るのが不得意だから、わしの仲間たちが使ってる木の皮から作ったハンモックじゃ多分寝れんだろう」箱を手に取り、部屋を出て行きながら彼女は言った。「ミラグロスを見つけたら戻るよ」

コリオラーノ神父は、コーヒーを飲み干すと、初対面の人物を見るような眼差しで私を見た。椅子を支えにしてやっとの思いで立ち上がると、何が起きたのか分らないとでもいうかのように、言葉もなく私をじっと見た。老人にありがちな沈黙だった。曲がって硬くなった指で、彼が顔を撫でるのを見て、初めて私は神父の老いに気づいた。
「アンゲリカと一緒にジャングルに踏み入るなど、正気の沙汰とは思えませんな」やがて彼は言った。「彼女はかなりの年です。そう遠くまでは行けんでしょう。森を歩いて通り抜けるというのは、遠足とはわけが違う」
「ミラグロスが一緒に行ってくれます」
 コリオラーノ神父は、考え込みながら窓の方へ体を向けた。片手であごひげを前に後ろに撫でつけている。
「ミラグロスは、あなたのお仲間と一緒には行かなかった。アンゲリカが言っても、一緒にジャングルには入らんでしょう」
「彼は行ってくれます」私には確信があったが、理由は自分でも分らなかった。それは日常的な理屈では説明のできない、まったく奇妙な感覚だった。
「ミラグロスは信頼に足る人物ではある。けれど彼は変わり者だ」コリオラーノ神父は言葉を選びながら言った。「彼は今までに何回も、探検にガイドとして参加している。しかし……」彼は自分の椅子に戻ると、私の方に身を乗り出して言葉を続けた。「あなたにはジャングルに入っていくだけの準備がまだできていない。そうした冒険行につきものの困難や危険について**021**想像することすらできんでしょう。きちんとした靴の一足も持っていない」
「ジャングルで履くのに一番いいのはテニスシューズだって、何人もの人から聞いてます。テニスシューズなら履いたままで足を締め付けることなくすぐに乾くし、豆ができることもないって」
 コリオラーノ神父は、私の言葉には答えなかった。「まったくどうして森に入りたいなんて言うんでしょうね?」呆れ返った調子で、彼は訊ねた。「バースさんがマキリタレのシャーマンのところに連れて行ってくれるって言ってるじゃないですか。わざわざ遠くまで行かなくたって、治療の儀式が見られるというのに」
「本当のところ、自分でもよく分らないんです」私は困惑しながら彼を見た。「たぶん治療の儀式以上のものが見たいんだと思います。それで、実をいうと紙と鉛筆をいくらか分けてもらえないかと思って、お願いに来たんですけど」
「お仲間のことはどうなんです? 私に何と言えと? 老いておかしくなった老婆と一緒に行方不明とでも?」コーヒーをもう一杯、自分で注ぎながら彼は訊ねた。「ここに来て三十年以上になりますが、こんなにばかげた話は聞いたことがありませんな」

昼寝(シエスタ)の時間は過ぎていたが、布教所はまだ静まり返っていた。ポマロサの木が二本、ねじれ絡まり合った枝と、ぎざぎざの葉でつくる日陰に吊ったハンモックの中、私は伸びをした。布教所の敷地に近づいてくる背の高いバース氏の姿が、少し遠くに見えた。普段は夕方に来るのに妙だなと思った。そして彼が今ここに来た理由に思い至たった。
 私が横になっている場所にほど近いベランダへと続く階段の脇に立ち止まると、彼はしゃがみ込みタバコに火をつけた。私の友だちが彼に持ってきたタバコだ。
 バース氏は落ち着かない様子だった。立ち上がって歩き始めたが、前へ行ったかと思うと後ろに戻っていき、まるで建物を警備中の衛兵のようだった。私が声をかけようと思ったちょうどそのとき、彼はひとり言を言い始め、言葉が煙とともに口から吐き出された。**022**あごに生えた白い無精髭をなでると、泥を落とそうと片方のブーツでもう一方のブーツをこすった。もう一度しゃがみ込むと、頭の中を巡る考えを振り落とそうとでもいうかのように頭を振った。
「グラン・サバナで見つけたダイアモンドの話でもしに来たんですか」 私は挨拶代わりにそう言って、彼の優しい目に浮かぶ悲しげな様子を吹き払えたらいいなと思った。
 バース氏はくわえていたタバコを口から離し、煙を鼻から短く勢いよく吐いた。そして舌の先についたタバコの葉を吐き出すと訊ねた。「アンゲリカと一緒に森に入りたいなんて、どういうわけなんですか?」
「コリオラーノ神父にも言いましたが、本当のところ自分でもよく分らないんです」
 バース氏は穏やかに私の言葉を繰り返し、そこから質問を引き出そうとした。もう一本タバコに火をつけ、ゆっくり煙を吐くと、螺旋を描いて透明な空気に溶けていく煙を眺めた。「少し歩きましょう」彼はそう誘った。
 私たちは川沿いにゆっくりと歩いた。幅広い木の根が土の中から顔を出し、絡み合い、木と泥の彫刻を形作っていた。生暖かく絡みつく湿気が、じき私の肌を覆いつくした。バース氏は枝と葉が作る覆いの下からカヌーを引き出し、水に浮かべると、私に乗るよう身振りで示した。彼はまず川を横切るようにカヌーを操り、左手の土手が流れの強さをいくらかでも遮ってくれるようにした。正確で力強い動きで彼はカヌーを漕ぎ続け、私たちはやがて小さな支流にたどり着いた。竹の藪から暗く重たい木の茂みへと景色は変わった。川岸ぎりぎりに隙間なく立ち並ぶ木が、果てしなく壁を作っていた。根と枝が水面の上までせり出している。つる植物が木からぶら下がり、自分の幹の周りに巻きつき、絡み合う様子は、何匹もの蛇が互いにきつく締めつけ合っているかのようだった。
「ああ、そこだ」通り抜けることのできない壁としか思えなかった木々の間に、隙間を開けている入り口を指してバース氏が言った。
**023** 私たちはボートをどろどろの岸に引き上げると、一本の木の幹にしっかりと結びつけた。葉が濃く茂り、日射しはほとんど遮られている。藪を抜けていくバース氏のあとをついて歩くうちに、光はかすかな緑へと薄れていった。つると枝が生きているかのように私を撫でた。もうそれほど暑くはなかったが、ねっとりした湿気で服が体にまとわりついた。私の顔はじきに、くたびれた臭いのする植物の屑と蜘蛛の巣で覆われた。
「これは径(みち)なんですか?」緑の水溜りに足を踏み入れそうになりながら、信じられぬ思いで私は聞いた。水の表面は何百もの虫で小さく波立っていたが、泥水のなか無数の点が蠢いているようにしか見えなかった。鳥が何羽か飛び去ったが、緑の影の中その色も大きさも見分けることができず、ただ私たちの侵入に抗議する怒りの鳴き声が聞こえるばかりだった。バース氏はわたしを怖がらせようとしているのだと思った。また、もう一つのカトリックの布教所に行こうとしているのかもしれないという考えも浮かんだ。「これは径なんですか?」私はもう一度たずねた。
 一本の木の前で、バース氏は急に立ち止まった。とても高い木で、梢は天にも届きそうだった。つる性の植物がからまりながら、その幹から枝へと登っている。「きみに少し講義でもして、おどかしてあげようかと思ったんだが」気難しげな表情でバース氏は言った。「話そう思って考えていたことは、今はどれもばかばかしく思える。少し休んだら戻ることにしましょう」
 バース氏はボートを流れにまかせ、岸に近づきすぎたときに漕ぐ以外は何もしなかった。「ジャングルというのは、あなたにはおそらく想像することもでない世界でしょうね」彼は言った。「かと言って、ぼくが説明するというわけにもいかない、ぼくがいかに経験を積んでいると言っても。それはまったく個人的な体験で、ひとりひとりの経験がまったく異なるもので、それぞれに独特なものなんです」
 布教所に戻るのではなく、バース氏は私を彼の家に連れて行った。大きな丸い小屋で円すい形の屋根はヤシの葉で葺かれていた。**024**小屋の中はとても暗く、明かりは小さな入り口とヤシ葺きの屋根に開けられた四角い窓から入るだけだった。窓は生皮の滑車で開け閉めできるようになっている。小屋の真ん中には二つのハンモックが吊るしてあり、漆喰で白く塗られた壁には、本と雑誌で一杯のかごが立てかけてあった。かごの上には、ひょうたん、杓子、マチェーテ、そして一丁の銃が吊り下げてあった。
 裸の若い女がハンモックから起き上がった。背が高く、大きな胸と尻の持ち主だったが、顔は子どものようで、すべすべの肌をした顔は丸く、つり上がった黒い目をしていた。椰子の葉で編んだ火起こし用の扇の横に吊るしてある服に、微笑みながら彼女は手を伸ばした。「コーヒー?」女はスペイン語でそう聞くと、アルミのやかんと鍋が横に並べてある囲炉裏の前の地面に座った。
「ミラグロスのことはよく知ってるんですか?」私はバース氏に聞いた。彼が私を奥さんに紹介してくれ、皆がハンモックに座ったあとのことだ。ハンモックは二つしかなかったので、私と奥さんは一つのハンモックに並んで腰掛けた。
「難しい質問ですね」地面に置いたコーヒー・マグに手を伸ばしながら彼は言った。「彼は来たかと思うと行ってしまう。まるで、ジャングルを流れる川のようでね。立ち止まることがなく、休むこともないようだ。どれほど遠くまで旅するのか、どこにどれだけ滞在しているのか、誰も知る者がいない。ぼくが知っていることと言えば、彼が若い頃に白人によって仲間のところから連れ去られたということだけだ。そして彼のする説明というのが、いつも違ってましてね。あるときにはゴムの採取人たちに連れていかれたといい、別のときには宣教師たちだったという、そして次には鉱山技師だったといったり、あるいは科学者だったとか。誰と一緒だったかはともかく、何年もの間一緒に旅したのは確かなようだ」
「彼はどの民族で、どこに住んでるんですか?」
「マキリタレですよ」バース氏は言った。「けれど、どこに住んでいるのかは誰も知らない。彼は定期的に仲間のところに戻ってくるけれど。どこが彼の属する居住地なのか、分からないんです」
「アンゲリカは彼を探しに行ったんですけど、彼の居場所を知ってるんでしょうかね」
「知ってるんでしょう」バース氏は言った。「二人はとても近い間柄だ。親戚なんじゃないかな」**025**マグカップを地面に置き、ハンモックから立ち上がると、彼は小屋の外に出て、深い茂みの中に少しのあいだ姿を消した。バース氏はじきに、小さな金属製の箱を手にして再び姿を現した。「開けてみて」箱を手渡しながら、彼は言った。
 中には茶色い皮の袋が入っていた。「ダイアモンドですか?」中身を手で探りながら、私は言った。
 微笑みながらバース氏はうなずき、自分の隣の土の床に座るよう私をうながした。彼はシャツを脱ぎ地面に拡げると、袋の中身をその上に空けるよう私に言った。私は、自分のがっかりした様子を隠しようもなかった。並んだ石に輝きはなく、不透明な水晶のようだったのだ。
「間違いなくダイアモンドなんですか?」私は聞いた。
「ぜったい間違いない」バース氏はそう言うと、ミニトマト大の石を一つ、私の手のひらに載せた。「きちんとカットしたら見事な指輪が作れる」
「ここで見つけたんですか?」
「いや」バース氏は笑った。「シエラ・パリマのそばでね、何年か前のことだ」彼は半分目を閉じると、体を前に後ろに揺らした。健康なピンク色の頬には小さく血管が浮いており、あごの無精髭は湿っていた。「ダイアモンドを見つけて金持ちになって故郷に帰る、それが人生で唯一の関心事だったことがある。ずいぶん昔の話だけど」バース氏は大きくため息をついた。小屋の中ではないどこかを視線がさまよっていた。「そしてある日気づいたんですよ、金持ちになりたいという夢が、言ってみれば、いつの間にか枯れ果ててしまっていたということにね。ぼくはもうその考えの虜というわけではなく、かといって、かつて知っていた世界に戻りたいとも思わなかった。それでぼくはここに残ることにしたんです」ダイアモンドを見ぶりで示しながら、バース氏の目は拭われることのない涙で光った。「こいつらと一緒にね」何度もまばたきをしてから私を見ると、彼は微笑んだ。「こいつらが好きなんですよ、この土地が好きなのと同じようにね」
 聞きたいことはたくさんあったが、余計な負担はかけたくなかった。私たちは黙ったまま、川の流れが立てる絶え間なく深い囁きに耳を傾けた。
 バース氏が再び口を開いた。「あなたにも分るでしょうが、人類学者と宣教師には共通点がいろいろあります。どちらもこの土地に悪い影響を与えてるんです。人類学者の方が偽善的ですね。**026**情報を得るためには、嘘をつくことも、騙すことも平気でする。科学の名のもとにはどんなことでも許される、そう信じてるんじゃないですかね、人類学者という輩たちは。あー、どうか口をはさまないでください」バース氏は少し声を荒げ、私の顔の前で手を振った。「人類学者は宣教師のことを私にこう言うんだ」同じ厳しい調子で、彼は続けた。「彼らは傲慢だとね。先住民族に対する態度が、強権的だ、父権的だと言ってね。けれど、人類学者の方はどうですか、中でも一番傲慢な連中ときたら。自分たちには何でもする権利があるとでも言わんばかりに、人々の生活に平気で首を突っ込んでいるんだ」自身の怒りの爆発に疲れ果てたとでもいうように、バース氏は大きくため息をついた。
 人類学者をかばうようなことを言うのはやめておいた。彼がまた感情を爆発させるのではないかと思ったからだ。それで私は手のひらのダイアモンドをよく見ることで、気を紛らわした。「ほんとにきれいですね」そう言って、その石を彼に渡そうとした。
「取っておきなさい」そう言うと、彼は残りの石を拾い上げた。そして、一つ、また一つと、皮の袋の中に落とし入れていった。
「こんな高価な物はもらえません」私は照れ笑いをしながら、言い訳をつけ加えた。「宝石なんてつけたこともないし」
「高価な物だなんて思わないことです。お守りだと思えばいい。街に住む人間だけですよ、これを宝石だなんて思うのは」気さくにそう言うと、石を持った私の手の指を閉じさせた。「あなたに幸運を授けてくれるでしょう」彼は立ち上がると、ズボンの座っていた部分の湿り気を両手でこすった。そしてハンモックに入ると、体を伸ばした。
 三人のマグカップに女がコーヒーを注いでくれた。私たちは甘ったるいブラックコーヒーを飲みながら、夕闇が白塗りの壁を紫に染めていくのを見守った。影が伸びる間もなく、あたりはじき暗闇に包まれた。

アンゲリカが耳元で囁く声で、目が覚めた。「朝には出発だよ」
「何ですって?」すっかり眠りから覚めて、私はハンモックから飛び出した。「ミラグロスを探すのに何日かかかるものと思ってた。荷造りをしなくちゃ」
「荷造りだって? 一体なにを荷造りするって言うんだい? お前の余分なズボンとシャツは先住民族の少年にくれてやったよ。もう一度寝たらいいさ。明日は長い一日になる。ミラグロスは足が速いんだ」
「寝てなんかいられないわ」興奮して私は言った。「じき夜明けでしょ。友だちに書き置きをしないと。ハンモックと薄い毛布がナップサックにうまく収まるといいんだけど。食料はどうするの?」
「コリオラーノ神父がサーディンとキャッサバ・パンを取っておいてくれてるから、そいつを朝つめるさ。わしがかごに入れて持つよ」
「夜のうちに話したのね? 彼は何て言ってた?」
「神の思し召しのままにってね」

チャペルの鐘が鳴り始めたときには、荷造りは終わっていた。布教所に着いて以来はじめて、私はミサに出た。木製のベンチは、先住民族と〈理性の人〉で埋まっていた。誰もが笑いながら話すその様子は、社交の集まりの場のようだった。神父がみんなを静かにさせ、ミサのお祈りを始めるまでにはずいぶん時間がかかった。
 私の隣に座る女は、コリオラーノ神父の大声のお陰で、自分の赤ちゃんはいつもぐずり出すんだと愚痴を言った。赤ちゃんは言われた通りにぐずり始めたが、大きな泣き声を上げる前に、女は胸をはだけて赤ちゃんの口に乳首を含ませた。
 私はひざまずくと祭壇の上の聖母を見上げた。金の糸で刺繍の入った青い外套を着て、その顔を天に向けている。青い目、青白い頬をしており、唇は真紅に塗られていた。片手に幼子イエスを抱き、もう一方の腕は伸ばされ、白く繊細なその手で、足元の見慣れぬ異教徒に触れようとしていた。



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☆続きはこちらです。

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第三回]

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2016年10月5日水曜日

01 フロリンダ・ドナー「シャボノ」-- アマゾンの奥地、ヤノマミ族の暮らし


フロリンダ・ドナー「シャボノ」那賀乃とし兵衛訳
Frolinda Donner "Shabono" 1982 a Laurel Book
[今回は四百字詰め原稿用紙15枚ほどの分量です]

[この試訳は編集中のものですが、ネット上で公開することにより、多くの方からのご意見をいただけたらと考え、こちらに置くことにします。それでは、お楽しみください]

☆この作品の簡単な紹介はこちらにあります。
[本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

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**003**第一部



 半分眠っていたが、周りで人々の動く気配が感じられた。小屋の中、床の踏み固められた土の上をぱたぱたと裸足で歩く音や、せき込んだり、せき払いしたりする音、そして女たちの小さな話し声が、はるか遠くからのように聞こえてくる。私はものうげに目ぶたを開けた。夜明けまではまだ少し間がある。薄暗い中に、リティミとトゥテミが裸の体を囲炉裏に向かって身を屈めているのが見えた。夜の間の残り火がまだ赤い光を放っている。タバコの葉、水でいっぱいのひょうたん、毒を塗った矢じりの入った矢筒、獣の頭蓋骨、そして青いプランテンの房が椰子葺きの天井から吊られているのが、たなびく煙の下、宙に浮かんでいるかのように姿を見せていた。
 あくびをしながらトゥテミが立ち上がった。伸びをしてからハンモックに屈み込み、ホバシウェを抱き上げた。静かに笑いかけながら彼女は赤ん坊のお腹に頬をすり寄せた。何かを呟きながら赤ん坊の口に乳首を含ませ、ため息を一つつくと自分のハンモックに身を戻した。
 リティミは乾燥させたタバコの葉を何枚か天井から引っ張って取ると、水でいっぱいのひょうたんの器に浸した。濡れた葉を一枚取り、灰をまぶしてからくるりと巻いてひとまとまりにした。巻いたタバコを下唇と歯茎の間に入れると、大きな音を立ててそれをしゃぶりながら、もう二枚の葉を巻いた。**004**一つをトゥテミに渡すと、私の方に近づいてきた。私は目を閉じて寝たふりをした。リティミは私のハンモックの頭のところでしゃがみ込み、唾で濡れてタバコの味のする指を私の下唇と歯茎の間に走らせたが、巻いたタバコを口の中に残すことはしなかった。彼女はくすくす笑いながらエテワの方にゆっくりと向かった。エテワは自分のハンモックから様子を見ていた。リティミはタバコの葉の塊を手のひらに吐き出すとエテワに渡した。そしてもう一つの巻いた葉を口に入れると、体をエテワの上に重ね小さくため息をついた。
 囲炉裏の火が小屋を煙で満たし、冷たく湿気た空気を徐々に暖めていた。昼も夜も絶やされることのない囲炉裏の火が、それぞれの住まいの中心となっていた。囲炉裏の火が椰子葺きの天井につけた煤の跡が、一家族の住まいを隣の住まいから区別していたのだ。というのも、小屋と小屋の間を仕切る壁というものがない。小屋と小屋はほとんどくっついて立てられており、互いの屋根と屋根が重なり合うほどなので、全体が巨大な円環状の建造物であるように見えた。小屋の集まり全体に対して一つの大きな入り口があり、いくつかの小屋の間には小さい入り口が設けられていた。それぞれの小屋は屋根を支える長い二本の柱と短い二本の柱からなっていた。小屋の高い側には壁はなく、円環状の住居の真ん中の広場に面して開けており、小屋の外側は低くなって、短い柱で屋根までの壁が作られていた。
 濃い霧が周りの木々を濡らしている。小屋の広場側の端に吊るされた椰子の葉が、灰色の空を背景にくっきりと浮かび上がって見えた。エテワの猟犬が丸めた体の間から首を上げ、口を大きく開けて眠そうにあくびをした。私は目を閉じ、囲炉裏で焼かれるプランテンの匂いをかぎながらうとうととした。前の日、近くの畑で何時間もしゃがみ込んで草取りをしたため、背中が張り、足が痛んだ。
**005** ハンモックが激しく左右に揺さぶられたので、私は驚いて目を開けた。小さな膝でお腹が押され、私は喘いだ。反射的にハンモックの両側を引き寄せ、体にかぶせて身を守った。厚いヤシ葺きの屋根を支える柱が揺さぶられると、ゴキブリや蜘蛛が落ちてくるのだ。
 くすくす笑いながら子どもたちが、私の体の上や周りを転げ回った。彼らの褐色の裸体が、暖かく柔らかく私の肌に触れた。私がやって来た初めの日から、ほとんどすべての朝と同じように、子どもたちは柔らかい手を私の顔、胸、腹、足と走らせ、私に自分の体の構造を意識するよう仕向けるのだった。私は大きないびきを立てて寝たふりをした。二人の男の子は私の両脇に寄りそい、女の子は私の上に乗り、私のあごに頭のてっぺんを押しつけた。彼らは煙と土ぼこりの匂いがした。
 ベネズエラとブラジルの間のジャングルの奥深くにあるこの村に初めてやってきたとき、私は彼らの言葉を一言も知らなかった。けれども、この〈シャボノ〉に住む八十人ほどの人々が私を受け入れる際に、そのことが何らかの障害となることはなかった。彼ら先住民にとって自分たちの言葉が分らないということは〈アカ・ボレキ〉すなわち知恵遅れと同じことであり、私はそのような存在として、養われ、可愛がられ、甘やかされた。私の失敗は、私が子どもであるかのように許され、大目に見られたのである。大きな失敗はたいてい大爆笑によって受け入れられた。体を大きく揺らし、しまいには地面を転げ回り、目には涙を浮かべて、彼らは大笑いした。
 頬に小さな手が押しつけられて回想が途切れた。リティミとエテワの四歳になる娘のテショマが、私の上に寝そべりながら目を開け顔を動かし、短く固いまつ毛を私のまつ毛に近づけまたたかせた。「起きたくないの?」私の髪を指でとかしながら女の子は聞いた。「プランテンの用意ができたよ」
 暖かいハンモックから出たいとはちっとも思わなかった。「ここに来て何ヶ月になるんだっけ?」私は訊ねた。
「たくさん」三人が声を揃えて答えた。
**006* 私は思わず微笑んだ。何であれ三を超えるものは「たくさん」か「三以上」と表されるのだ。「そうね、たくさんの月ね」私は優しく言った。
「あなたが初めて来たときには、トゥテミの赤ちゃんはまだお腹の中で寝てたね」テショマがそう呟きながら、すり寄って来た。
 時間を意識するのをすっかりやめたというわけではなかったが、日、週、月といったものがもはやはっきりとした境い目を失っていた。ここでは今という瞬間にだけ意味があり、ここに住む人々は、森の濃い緑の影の中で日々起きることのみを重んじた。彼らにとって、昨日や明日はおぼろな夢のように不確かなものであり、木々の葉の間を通って一条の光が差さない限り見ることのできない蜘蛛の巣のようにもろいものなのだ。
 初めの数週間というもの、私は時間を測るということに取り憑かれていた。自動巻きの腕時計を昼も夜も身につけ、毎日の日の出を記録することに自分の存在自体がかかっているかのように、そのことをしないではいられなかった。私の中で根本的な変化が起きたのがいつのことなのか、はっきりと言うことはできない。思うにそれは、イティコテリの居住地に来るしばらく前、東ベネズエラの小さな街で伝統療法の調査をしているときにすでに始まっていたことなのだ。

 私はベネズエラのバルロベント地方で、三人の治療師のもと数ヶ月に渡るフィールドワークを行なっていた。その間に集めた多数のテープや数百ページに渡るノートから書き起こし、翻訳し、そして分析を行なった末に、私は自分の研究の目標や有効性について疑わざるを得ない状態に落ちいっていた。データを整理して意味のある理論的枠組に当てはめようとする私の努力は空しいものであることはもはや明らかだった。集められた情報には一貫性がなく、互いに矛盾していると言わざるを得なかった。
**007** 日常的な生活の営みという文脈の中で、治療の実践が治療師とその患者にとって持つ意味を明らかにすることに、私の研究は力点を置いていた。健康と病気についての社会的な現実認識が、治療師と患者の緊密に組み合わされた活動の中から作り上げられる様子を見極めることに、私の関心はあったのだ。両者が互いに相手を、また相手の持つ知識をどのように見なしているかというシステムを身につける必要があり、そのことができて初めて彼ら独自の解釈システムの内で行動することができるようになる、というのが私の仮説だった。そのように行動することができれば、集めたデータの分析結果は、私が行動した彼らの行動システムから得られるものになり、私がもともと持っていた文化的環境からの投影ではないことが保証されるのである。
 現場にいるあいだ私は、行動をともにした三人の治療師のうちの一人、ドーニャ・メルセデスの家で寝起きした。治療師と多数の患者について記録し、観察し、インタビューを行なっただけではなく、治療の場に実際参加し、新しい状況の中に自分を丸ごと投げ込んだ。
 しかし私が日々出くわしたのは、治療の実践とその説明の間には、一貫性などまったくないという事実だった。ドーニャ・メルセデスは私の当惑を笑い、私が変化や新しいものを受け入れることができず融通がないと言って笑った。
「あたしがそう言ったってのは確かなのかい?」テープを聞きながら彼女が訊ねた。私がぜひ聞いて欲しいといってかけたテープである。
「喋ってるのは私じゃないでしょ」私は厳しい調子で言うと、彼女が自分の説明に矛盾があることに気づいてくれることを期待しながら、タイプしたノートを読み始めた。
「素晴らしいことを喋ってるね」私が読むのをさえぎって、ドーニャ・メルセデスは言った。「あんたが話してるのはほんとにあたしのことなのかね? あんたはあたしを本物の天才にしちまったみたいだ。ラファエルとセラフィーノの治療に立ち会ったときのノートを読んでおくれよ」
 ラファエルとセラフィーノというのが、私が行動をともにした、あと二人の治療師だった。
 言われた通りにしたあとで、矛盾した情報について彼女が手助けてくれないかと期待して、私はもう一度テープレコーダをかけた。しかし、ドーニャ・メルセデスは自分が何ヶ月も前に言ったことには何の関心も示さなかった。彼女にとってそれは過去のことにすぎず、もはや何の意味も持たないというのだ。自分が言った覚えもない言葉を録音しているテープレコーダのほうがどうかしているのだと、彼女は自信たっぷりに私に言ってのけた。**008**「あたしが本当にそう言ったとすれば、そいつはあんたの仕業だよ。あんたが治療について聞くたびに、自分が何を言ってるのか本当は分ってもいないのに喋り始めちまうんだから。あんたはいつもあたしの口を言葉で一杯にしちまう。もしあんたが治療のやり方を知ってたら、治療について書いたり話したりなんて、わずらわしいことはしないだろうね。その代わりにただ治療をすればいいんだから」
 自分の研究が意味のないものだとは考える気にはなれず、私は他の二人の治療師に会いに行った。全く残念なことに、二人も私の助けにはならなかった。彼らも情報に一貫性がないことは認めたものの、その説明はドーニャ・メルセデスとさして変わりのないものでしかなかった。
 あとから考えれば、この失敗を私が絶望的なものだと思ったのは滑稽なことに思える。わたしは怒りにまかせて、大胆にも自分のノートを燃やしてしまうようドーニャ・メルセデスに頼んだのだ。彼女は喜んでノートを一まとめにすると、一枚、また一枚と、ろうそくの火にかざして燃やしていった。そのろうそくは、治療室の祭壇の上の聖母マリア像を照らすためのろうそくの一本だった。「あたしにゃ本当に分らないよ、あんたの機械が言うこととあたしが言うことで、どうしてあんたはそんなに気を取り乱しているんだろうね?」祭壇の上のもう一本のろうそくに火を灯して、ドーニャ・メルセデスはノートを燃やすことを続けた。「あたしが今してることと、数ヶ月前に言ったことの間の違いにどんな意味があるって言うんだい? 大切なのは患者がよくなるってことだろう? 何年か前に心理学者と社会学者がやってきて、あんたのと同じような機械であたしが喋ることを何もかも録音していったよ。そいつはいい機械だったに違いない、何しろもっと大きかったからね。二人はここに一週間しかいなかったよ。その間に集めた情報で治療についての本を一冊書いたのさ」
「その本なら知ってるわ」私はぴしゃりと言った。「きちんとした研究とは言えないと思う。単純化のしすぎで、表面的だし、十分な理解に基づいてるとはとてもいえないんだもの」
 ドーニャ・メルセデスは不思議な目つきで私をじっと見た。その眼差しは半分は憐れむようで、半分は非難するようだった。沈黙の中、私は最後のページが灰となるのを見守った。彼女がしたことで私に不都合が生じることはなかった。私の手元にはテープとノートを英語に訳したものがあったからだ。彼女は椅子から立ち上がると、木製のベンチに座る私の横に腰を下ろした。「背負ってた重たい荷物を下ろしたってことがじきに分るさ」彼女は私をなぐさめた。
**009** 西洋以外の治療の実践についての研究が、どれほど重要であるかを、わたしは長々と説明することになった。ドーニャ・メルセデスは熱心に聞いてくれたが、顔にはからかうような笑みを浮かべていた。
「あたしだったら」彼女は言った。「オリノコ川をさかのぼって狩りに行くっていう、あんたの友だちの誘いに乗るだろうね。あんたにいい変化をもたらしてくれるかもしれないよ」
 研究に片を付けるため、できるだけ早くロサンゼルスに変えるつもりだっのだが、二週間のジャングル行きに付き合わないかという友だちの誘いを受けてみようかと、わたしは真剣に考えていた。狩りには何の興味もなかったが、文明の最後の拠点であるカトリックの布教所に着いたときに友だちが雇う予定でいる先住民族のガイドの一人を通して、シャーマンと知り合ったり、治療の儀式に立ち会ったりする機会が持てるのではないかと思ったのだ。
「私もそれがいいと思って」私はドーニャ・メルセデスに言った。「治療について、あなたも知らないようなことを教えてくれる凄い治療師に会えるかもしれないもの」
「ありとあらゆる興味深い話を聞けること受け合いさ」ドーニャ・メルセデスは笑って言った。「だけどそいつを書きとめようなんて思わないほうがいい。あんたは研究をしに行くってわけじゃないんだからね」
「ええ、そうね。でも、どうしてそんなことが分かるの?」
「あたしが呪術師だってことを忘れちゃ困るね」私の頬を叩きながら、彼女は言った。黒い瞳が言葉では表せないほどの優しさを湛えていた。「それとあんたの英語の ノートが机に大事にしまわれてるかなんてことは気にしないほうがいい。戻ってくる頃にはそんなノートは何の役にも立たなくなってるはずさ」

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☆続きはこちらです。
[02 フロリンダ・ドナー「シャボノ」]

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2016年10月4日火曜日

いんたーねっとトハ超次元的ニ縫イ合ワサレタ便所ノ落書ノ網目ナリ


その昔、世の中にワールドワイドウェブとかいう言葉が出回り始めたころに、「インターネットとは便所の落書きプラスアルファだ」と書いている人がいて、「なるほど!」とうなずいた記憶があります。

一方、「インターネットは錬金術の完成形である」というのが、ぼくの実感としてあります。

今日はこの二つの柱を使っていい加減な「小屋」でも立ててみましょう。

  *  *  *

「便所の落書き」といえば、ばかばかしいもの、下品なもの、人を貶めるもの、大体がそんなようなものです。

残念ながら、役に立つ「便所の落書き」というのは、まだ見たことがありません。

インターネットというものが持つ、発言の自由さ・気軽さという特徴と、そのテクノロジーの大衆化が相まって、当初から「便所の落書き」的なものだったネットが、加速度的に「便所の落書き」化することになったのは当然のことと言えましょう。

ヘイトスピーチ「のようなもの」の蔓延に対して社会がどう対応すべきか、といった問題はさておき、便所の落書き「のようなもの」が同好の士の間で、共有され、拡大し、「価値」を生み出していく点が、インターネットの「錬金術」としての側面ということになります。

  *  *  *

ところで、錬金術とは何でしょうか。

それは、「金(きん)ではないものから金(きん)を生み出す方法」のことであり、言い換えれば、「無価値なものから価値を生み出す方法」のことです。

人類は素朴な錬金術を近代的な科学へと洗練させていく過程で、化学的には「ほかの物質から金を作れない」ことをまず知り、素粒子的には「金は作れるがコストが高すぎること」を知ることになりました。
(その過程で、原子力というパンドラの箱を開けてしまったことも興味深い事実です)

そうして、名前こそ「科学」というものに変わりましたが、錬金術の時代から綿々と続く、それまでは無価値と思われていたものから価値を生み出すための研究が、現在も人類にとって大きな野望として存在していること自体には、なんら変わりはないように思われます。

  *  *  *

「インターネットは錬金術の完成形である」と考える理由は、その手軽さと大衆性によります。

株式会社が生まれ、株式市場が成立し、近代国家の成熟が金本位制を不要とすることにより、為替市場が世界を覆うに従って、経済的錬金術は変貌の上に変貌を遂げ、日々新しい形に変身を続けています。

こうした状況にインターネットという技術が導入されることによって、「ネットに接続するコスト」さえ負担できれば、誰もが巨万の富を手に「しうる」時代が到来したわけです。

「大衆化された錬金術としてのインターネット」の時代をわれわれは生きているわけです。

これが「インターネットは錬金術の完成形である」ということの意味なのです。

  *  *  *

西洋に発する近代の合理主義的価値観は、機会の均等を撒き餌とすることによって、人々を労働に駆り立てることに成功しました。

だれにでも働く権利があると啓蒙し、働くことによって巨万の富を得る「可能性」を多くの人に開いたのです。

ネットという名の錬金術も、基本的にその構造は同じで、これがもたらすものは、ネット上で情報をやりとりする機会の均等ということになります。

これにより、だれもが自由に情報を発信することができ、情報のやり取りによって巨万の富を得る「可能性」が大衆に開かれることになったのです。

では、その「可能性」というものは、どうすれば実現できるのでしょうか。

あるいは、その実現にはどんな意味があるのでしょうか。

  *  *  *

実のところ、ここからが本当の錬金術の問題になります。

「便所の落書き」が、便所の落書きのままで終わるのか、それとも「金の卵を生むガチョウ」に育ってくれるのか、という問題です。

金の卵を生むガチョウがネット上に存在することは分かりました。ネットに接続する方法も勉強しました。ガチョウを育てる方法もネット上には溢れています。ガセネタをつかませられながらもあなたはめげずに頑張り、ついに金の卵を生むガチョウをあなたは手にします。

金の卵を生むガチョウを、あなただけが持っているのなら、あなたはとりあえず裕福な暮らしが送れるでしょう。

けれど、それと引き換えにあなたは、そのガチョウを安全に守るための気苦労を抱え込むことになるのです。

そして、デジタルの世界はコピー世界ですから、金の卵を生むガチョウなど、あっという間にコピーされてしまいます。

あなたは次には、プラチナの卵を生むガチョウを見つけなくてはなりません。

そのように、「物質的」な富を目的としてしまったら、この泥沼から抜け出すことは困難です。

もちろん、あなたが錬金術師として、日々戦い続けていくことをよしとするのなら、それはそれで構いません。

あなたの戦いに幸あらんことを祈ります。

  *  *  *

もうひとつの道は、心の錬金術を極める道です。

お金が稼げようが、稼げまいが気にすることはありません。

社会の要請に応えられるかどうかも、本当は気にしなくていいのです。

自分自身を見つめて、この世界のあり方を見極めて、日々を静かに生きていくだけのことです。

ここには外側の敵はいません。

心の錬金術を邪魔するものは、あなたの内側に潜んでいるだけです。

外側に邪魔者がいる、というのは錯覚です。それを邪魔者と捉えてしまうあなた自身の心の癖が問題なのです。

生まれていらい身につけてきた、さまざまな習慣、周りから吹きこまれてきたいろいろな考え、そうした自分の中にある反応のパターンに、自分で気づき、少しずつ取り除いていくこと。

それが心の錬金術なのです。

あなたの心はもともとが、まばゆく輝く黄金の心なのです。

この世に生まれ落ちていらい、少しずつ汚れが積もって、今はその輝きも見えづらくなっているかもしれません。

けれども、少しずつ気長に磨いてあげてください。
毎日少しずつでいいのです。
気がついたときにひと磨きするだけでもいいのです。

そうした小さな積み重ねが、結局はあなたの人生を変えることになるのです。

いつかあなたは驚くことになるでしょう。
自分の心は、本当はこんなにも輝きを放つものだったのかと。
そして、そのとき、周りのみんなの心も、素晴らしい輝きを放っていることに、あなたは気づくはずです。

  *  *  *

というわけで、「便所の落書き」と「錬金術」という二本の柱を使って、大風呂敷をひろげ、駄法螺の小屋を立ててみました。

少しでも楽しんでいただけたならば幸いです。

ではまた、アスタ・ルエゴ!

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2016年10月1日土曜日

本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」、アマゾンの奥地のヤノマミ族の暮らし


南米ヤノマミ族の集落シャボノの写真

カルロス・カスタネダの呪術師仲間であり、人類学者でもあるフロリンダ・ドナーは、「魔女の夢」という本が日本でも出版されています。

この「魔女の夢」という本は、彼女がベネズエラで呪術師として受けた修行を書いたもので、カスタネダの著作と同じく、西洋の近代文明が生み出した合理主義的世界とは異なる、別の論理によって成り立つ世界の持つ豊かさを感じさせてくれる良著です。

カスタネダのファンの方にも、彼の世界の隣の世界を描いた本として、興味深く読めること請け合いです。
(なお、「魔女の夢」については、こちらにも短い紹介を書いております)

*  *  *

さて、そのドナーに "Shabono" 「シャボノ」という未訳の著書があります。

たまたまサンフランシスコの古本屋で見つけて読んでみたところ、これが滅茶苦茶おもしろい。

こちらは、ドナーが、ブラジルとベネズエラの国境地帯のアマゾンに住むヤノマミという、原初の狩猟採集と素朴な農耕生活をしている人々の村で過ごした体験を描いたものです。

シャボノというのは、ヤノマミの人たちが作る環状の集落のことです。

この本は、人類の始原的生活の形を知る意味でもおもしろいし、エペナという幻覚剤の使用と変性意識の記述も興味深く、また、カスタネダの書く世界とも重なる呪術のあり方も十分に描かれ、一冊で三度おいしいと言いたくなるくらいの名著です。

こんなにおもしろい本が未訳のままなのはもったいないので、今この本の翻訳を進めています。

ペーパーバックで 300 ページほどの本ですが、ひと通りの粗訳は紙の上にできあがっていて、現在それを打ち込みながら、訳の直しをしている段階です。

といっても、勝手に訳しているだけで、どこかから出版できる当てがあるわけではありません。

出版社や編集者の方で、興味のある方がおられましたら、sut3t3@gmail.com まで、ぜひご連絡をお願いします。

なお、このヤノマミ族には、嬰児殺しの風習があり、 NHKの番組から劇場公開された「ヤノマミ~奥アマゾン-原初の森に生きる~-劇場版」でも、その様子が描かれています。
また、番組ディレクターの国分拓氏の書いた 「ヤノマミ」(2013 新潮文庫)も読み応えがあります。

というわけで、今回はフロリンダ・ドナー「シャボノ」の簡単な紹介でした。
ではまた。

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☆この作品の翻訳をこちらに置き始めました。

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第1回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第2回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第3回]
[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第5回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第6回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第7回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第8回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第10回]

[フロリンダ・ドナー「シャボノ」第11回]

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