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2016年8月28日日曜日

三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない


2013年、2016年と過去二度の参院選に立候補したミュージシャンの三宅洋平氏ですが、参院選直後、沖縄高江でのヘリパッド建設が強行される中で、安倍総理夫人昭恵氏との会食、そしてその後の昭恵氏の高江訪問へ同行したことが物議を醸しています。

先の参院選での三宅氏の支持者からも、こうした三宅氏の行動を、沖縄の気持ちを踏みにじり、安倍政権に擦り寄るものだという批判の声が上がっています。

また、最近「週刊SPA!8/30号(8/23発売)」に、安倍昭恵氏との対談が出たこともあり、三宅氏が権力に迎合しているとの主張がネット上で散見されます。

しかし、彼は「選挙フェス」においても、対立ではなく、対話を呼びかけていたわけですから、安倍昭恵氏と対話していることをもって、権力に迎合しているというのは、拙速な判断に思えます。

ぼくは残念ながら三宅氏とお会いしたこともなければ、生で彼の演説や歌を聴いたこともありません。

けれども、彼の「選挙フェス」の動画を見て感じるのは、彼が「反戦・反原発」という確固とした主張を持っている限り、保守側に寝返るわけがないし、保守側が彼を取り込みようもないということです。

とはいえ、三宅氏の言説には、支持者の混乱を招きかねない表現が散見されます。

たとえば、昭恵氏と会食した際に、安倍総理に電話で言ったという「国を思い世界を憂う国士として同じ気持ち」という発言です。

この発言だけを単独で考えたならば、安倍政権の「暴政」を許していると思われても仕方がないでしょう。

さらに、三宅氏は、昭恵氏との会食についての発言に対して「幻滅する」と言われると、それに対して「いくらでも幻滅すればいい」と答えています。

ミュージシャンとファンとのやりとりなら、これでもいいかもしれませんが、仮にも選挙に立候補したものとしては、「与党にすり寄るのも俺の勝手だ」と思われかねない発言をすることは、失言と言わざるを得ないでしょう。

三宅氏は政治家の卵として、こうした発言には十分注意をしていくことが必要でしょう。

同じ流れのツィートで三宅氏は、「私は間違っても自民党改憲草案にほだされるような事はありません」と明言していますから、全体としては、彼の主張は辻褄が合っているのですが、彼の人物をよく知らない人から見れば、当選すると自民党に寝返ってしまう、多くの無所属候補と同じにしか見えない点が問題と言えます。

なお、三宅氏を「改憲派」として嫌う「護憲派」の方々がいるようですが、彼の主張は、「今の憲法9条では、専守防衛の意味が曖昧で解釈によってねじ曲げられる可能性があるので、 憲法にはっきりと専守防衛をうたうべき」というもので、自民党の「改憲」と一線を画すものであることは明らかでしょう。

昭恵氏との対話という彼の行動は、あくまでも沖縄高江のヘリパッド建設に関して、反対派市民と政府の緊張状態の解決の緒を探ろうとして行われたものであり、決して権力への迎合を意味するものとは考えられません。

そして、沖縄高江の事態の解決について、三宅氏が、昭恵氏の行動に何かを期待することの是非はともかく、昭恵氏の高江への訪問を「週刊SPA」が取り上げることなどにより、政府が高江のヘリパッド建設を強行しているという事実を世間に知らしめたという点においては、三宅氏が高江に昭恵氏と同行したことは、一定の評価をするに値するものと考えます。
(一時的とは言え、混乱をもたらした高江の現場に対して、きちんと謝罪がなされていることが前提ではありますが)

以上のように見てきたとき、三宅氏の「国士」発言や「幻滅すればいい」という発言や、また沖縄で現に被害を被っている人々の気持ちを十分に受け止めていないとしか言いようのない、ほかのさまざまな発言も考えると、三宅氏に対して「この人だいじょうぶだろうか」と感じる人がいることは無理のないことだと思います。

けれども、ここでみなさんに考えてほしいのは、「反戦・反原発」という立場を、もしも共有しているのならば、三宅洋平という人物をもう少し見極めた上で、彼のカリスマに賭けていただいても、それは決して無駄ではないだろうということです。

ひょっとしたら、「民主主義」というもの自体が、巧妙に仕組まれた「やらせ」にすぎないのかもしれませんし、かといって暴力的な革命を起こしたからといって、「支配者」が変わるだけで平等な社会など決して実現しないのでしょう。

そうした現実の中で、「あれもダメ、これもダメ、三宅もダメ」と言いたい人は言えばいいのですが、ぼくは三宅氏が持っている可能性にやっぱり賭けてみたいなと思います。

今のままでは、政治家としてやっていけるのか、不安にも思ってしまうところのある三宅氏の言動ですが、周りで応援する者が、よくない点はよくないと、きちんと指摘することで、彼の将来の輝き方が違ってくるのではないかと思うからです。

こちらは、2013年7月4日、前回の参院選のときの吉祥寺における三宅洋平氏の「選挙フェス」の動画です。
よろしければご覧ください。

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2016年8月24日水曜日

安倍マリオをぶっ飛ばせ、あるいはぼくらの未来への責任


[2017/03/17追記: 森友学園問題がメディアでは取り沙汰されていますが、それも所詮「共謀罪」法案通過のための隠れ蓑にすぎないのかと思われる昨今です]

巷では、安倍総理演ずるところの安倍マリオなるキャラクターが話題を呼んでいるようです。
[2016/12/21追記: 安倍マリオもすっかり「昔」の話になってしまいました]

どこかチャップリンの「独裁者」を思わせないこともない、この「悪ふざけ」のためにブラジルのリオまでジャンボジェットを飛ばす安倍総理には、ついつい怒りも沸こうというものです。

けれど、安倍総理に対して怒ってみても、そいつはエネルギーの無駄というものでしょう。

もちろん、ぼくは安倍総理が「素晴らしい」とか思ってるわけじゃありません。

第二次安倍政権は、福島第一事故後の、環境汚染、経済的後退、政治的混迷の中から生まれてきた、「危険」な「全体主義」政権だと思っています。

とはいえ、その政権の旗印になっている安倍晋三氏という個人に対して、いくら怒りをぶつけたところで、エネルギーの無駄遣いにしかならないだろうから、「せっかくのそのエネルギーを有効利用したらいいじゃないか」と思うのです。

沖縄高江でのヘリパッド建設の強行を見ても、経産省前の反原発テント撤去を見ても、安倍政権のやっていることは、弱者や少数者の権利をないがしろにする「全体主義」的政策にほかなりません。

しかし、安倍総理と言えども、個人として好き勝手にやっているわけではないでしょう。

安倍総理にしてみれば、合州国の意向に沿う範囲内で、彼なりに国益を考えてやっているのでしょうし、けれども、えげつないやり方をきちんと見れれば、その政策を批判することは当然です。

けれども、「怒りの罵声」を浴びせるようなやり方をいくらしたところで、あちらとしては痛くも痒くもないでしょうし、総理大臣自らが国会で野次を飛ばすという、相手の情けないレベルにまでこちらの立場を引き下げることにしかなりませんから、決してほめられるやり方とは言えないでしょう。

結局のところ、怒りのエネルギーを直接相手に向けても葛藤は深まるばかりなのです。

かといって、怒りの感情を押し殺すことにも益はありません。

ですから、怒りという自然な気持ちを押し殺すことなく、その怒りのエネルギーを、現在の混沌とした状況に変化をもたらすような、創造的表現に変換して放出することこそが重要なのです。

たとえば、過去二度の参院選に立候補して、音楽を使った「選挙フェス」という手法で注目を浴びたミュージシャンの三宅洋平氏のようなやり方は参考になるでしょう。

また、社会運動家の田中優氏は「危機感を煽ってする運動は長続きしない、運動は楽しめるもの、希望の持てるものであるべきだ」と言っています。

一言で、反基地、反原発と言っても、実際の行動にはいろいろなものがあります。

現場に行って、非暴力の直接行動を取ることも大切ですし、直接参加ができないなら、活動を支援するために募金を集めることもできます。

また、真正面からそのことを主張するだけでは変えがたい社会の現実に対して、別の選択肢を試し、提示するという方法もあります。

原発推進の姿勢を変えない電力会社の電気は使わず、電気は自給してしまおうというオフグリッドという試みがあります。今の段階ではコスト的に難しい部分がありますが、太陽光で発電し、蓄電をすることで、電力会社の電力網と接続しないでも普通に電気製品が使える時代が、もうそこまで着ているのです。

こうしたオフグリッドのやり方が一旦普及し始めれば、原子力のような巨大技術は一気に時代遅れのものとなってしまうかもしれません。

☆田中優氏のオフグリッドの実践についてはこちらをどうぞ。
[優さんメルマガ 第580号所収『政府の政策に左右されない暮らし』]

今、大切なのは、思い込みによって自分で自分を縛っている、ぼくたち一人ひとりが、その意識を変えていくことではないでしょうか。

なんとなく流されて生きてきて、いつの間にか狭い日本に原発が立ち並んでしまっている。あるいは生まれたときから、原発だらけの日本で、気づいたときには福島で事故が起きていた。

そうした現実から逃げることなく、冷静に向かい合い、昨日までの自分とは違う意識で、問題解決の糸口を探っていくことが必要なのではないでしょうか。

今から85年前の1931年の9月18日の満州事変をきっかけとし、1945年の8月15日の敗戦を迎えるまで、日本は「集団狂気」的国策を取り続けることになりました。

そして、その渦中にあるとき、ごく少数の冷静な人たちを除けば、その「狂気的」性質から逃れることはできなかったのです。

現在の日本の「全体主義」的状況は、かつての「集団狂気」と似通った段階にあると思われます。

しかし、その渦中にあるぼくたちは、過去の人たちと同様、その「異常さ」を冷静に捉えることは難しい状況にあります。

一方、ぼくたちには、ネットワークの発達による草の根レベルでの情報伝達という、新しい力があります。

しかし、その力を有効に使うための方法論がまだまだ足りないのではないでしょうか。

1945年に、合州国の意向もあって民主憲法を取り入れた日本は、その民主憲法が十分根付くことはないまま、71年の歳月をかけて徐々に変容を遂げ、今まさに「全体主義」国家に逆戻りしつつあります。

今急激に方向を変える流れの中で、また、溢れかえる情報の中で、何が正しく、何がおかしいのか、確かな基準を持って判断することは困難を極めます。

この混沌とした状況の中、「全体主義」に取り込まれることなく、自らの良心を保ち続けることも、また困難なことではありますが、未来への責任というものを考えるとき、ぼくたちがぜひとも心がけなければならないことだと考えます。

今すぐには事態は変えられないかもしれません。

けれども、71年前に蒔かれた種をここで絶やしてしまうことなく、大切に支え、育てていくために、今までの常識の枠組みを取り払って、新しい方法論を模索しながら、日々を生きていくことこそが、今を生きるぼくたちには求められているのではないでしょうか。

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2016年8月22日月曜日

沖縄高江ヘリパッド反対運動と「子どもの盾」


沖縄・高江のヘリパッド建設反対運動の現場に、子どもを連れてきていた人がいることが、ネット上で取り沙汰されています。

「子どもを反対運動の道具に使うとはなにごとだ」と言い、これを「子どもの盾」とまで言う人がいます。

確かに、安全を確保できるとは限らない反対運動の現場に、子どもを連れて行ったことは、褒められるべきことではないでしょう。

しかし、子どもを連れて行った人が、子どもを反対運動の道具として連れて行ったと主張するのは、乱暴な意見というべきではないでしょうか。

子どもを連れていかざるを得なかった人の事情を想像することもせずに、「反対運動の現場に子どもがいた」ということだけを取り上げ、そのこととネット上の断片的な情報とを組み合わせて、反対運動は「子どもを道具に使う」ような非人間的なものであると主張し、さらにはそれをテロリズムと同一視するような言動は、自由な言論を保障するという民主主義の根本を危うくするものだと考えます。

しかしながら、こうした問題は、ネット上で「反対運動=テロリズム」といった「過激」な主張をする方々を責めたからといって解決する問題ではありません。

ネット上で「過激」な発言をし、「鬱憤」を晴らしている方々も、実のところ、現在の日本に蔓延する様々な「抑圧」の犠牲者であると考えられるからです。

「過激」な発言をし「鬱憤」を晴らす様子は、「いじめの構図」そのものです。

抑圧的状況の中で、自分がいじめに遭わないために弱者をいじめることに加担して、自分の身を守っているのが実情なわけですから、いじめをする人たちを責めるのではなく、この「いじめの構図」をひっくり返す必要があります。

抑圧されるもの同士がいがみ合う「いじめの構図」をひっくり返し、抑圧的状況を変えていくためには、多くの人々が立場の違いを乗り越えて、手を取り合うことが必要です。

もちろん「いじめの構図」をひっくり返すと一言で言っても、それは簡単なことではなく、一朝一夕にできることではありません。時間をかけて少しずつ前進していくしかないことでしょう。

その第一歩としては、「いじめに加担している人たちも被害者なのだ」ということに気づくことが重要です。

急速に戦争国家化が進む日本において、この強力な流れを一気に変えるような劇薬は存在しないように思えます。

とすれば、われわれ一人ひとりが、互いを敵視するのではなく、対等な人間として尊重し合い、それぞれの立場を認めながら、一歩いっぽ理想の社会を目指していくほかに道はないのではないでしょうか。

現在の状況の深刻さを受け止めつつも、あわてて事をし存じないように、冷静に着実な行動を取ることが求められる時代に、ぼくらは生きているように思うのです。

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2016年8月21日日曜日

ホメオパシーに関連して日本のジャーナリズムの問題とカルト的思考、そして三宅洋平


日本語版Wikipedia に「山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故」と題する記事があります。

以前書いた記事「三宅洋平、ホメオパシー、カルト、民主主義」でも触れましたが、ホメオパシーを実践する助産師が、出生直後1ヶ月以内に計3回ビタミンKを経口投与するよう厚生労働省が指導しているにも関わらず、それを怠ったために新生児が死亡したとされる事故です。

前回の記事では、Wikipedia の記述に沿って、助産師に問題があったように書いてしまいましたが、死亡事故の原因は分かっていないし、助産師の責任についても明らかではない、とするのが適当であると考えるに至りました。

というのも、この事故については、朝日新聞が「生後2カ月の長女が死亡したのは、ホメオパシーという民間療法をする助産師が適切な助産業務を怠ったためだとして、山口市の女性(33)が助産師を相手取り、約5600万円の損害賠償を求めた訴訟で、助産師側が女性に和解金を支払うことで合意したことが21日、分かった」と報道していますが、和解で解決したため、裁判所は死亡原因についても、助産師の責任についても判断を下していないからです。

また、日本におけるホメオパシーの普及を推進している日本ホメオパシー医学協会は、朝日新聞によるこの事件の報道について、死亡原因がホメオパシーにあるかのような記事を掲載する、その姿勢を批判しています。

この批判を読む限り、日本ホメオパシー医学協会の主張はもっともなものと考えられます。

日本のジャーナリズムには、「問題」を「創作」する「悪い癖」がないでしょうか。

一方、Mochimasa 氏という方が、この日本ホメオパシー医学協会の主張について、ご自分のブログで批判していらっしゃいます。
[山口ホメオパシー訴訟は和解で終結。しかし、ホメオパシー団体は"言いたい放題"]

こちらの記事は「批判のための批判」といった趣きがあり、もっぱら日本ホメオパシー医学協会に対する「攻撃的」な言辞に終始している感があります。

しかしながら、こちらで引用されている日本ホメオパシー医学協会会長の由井寅子氏や、日本助産師会理事の神谷整子氏の主張を見ると、新生児に対するビタミンKの投与について否定的な見方をしており、これがただちに上記の事故の死亡原因となるわけではありませんが、日本においてホメオパシーの実践をしていらっしゃるこうした方々の、ビタミンKの投与などに代表される「医学的な認識」が十分なのかどうか、疑問を感じざるをえません。

ただし、これはホメオパシーの実践者だけの問題ではなく、現代医学の実践者にも逆の意味で同様のことが言えることです。

今問題となっている子宮頸がんワクチンの問題もそうですし、ステロイド剤の多用や、向精神薬の安易な処方など、現代医学の実践者の側の「医学的認識」が不十分なために、副作用に苦しむ人たちがたくさんいることは忘れてはならないと思います。

さらに言えば、「科学」や「医学」の名のもとに、福島第一原子力発電所の事故による健康被害を過小に見積もり、存在しないかのように見せかける「科学者」、「医学者」、「ジャーナリスト」、「政治家」、「官僚」といった方々が多数いらっしゃるように思われますが、そうした方々の「カルト的言説」が支配的な状況こそが、日本社会の大きな問題のように思うのです。

このような多数派の「支配的カルト」に納得できない方々が、ホメオパシーなどの代替医療に救いを求めるのは、自然なことではないでしょうか。

こうした状況の中で、ホメオパシーを実践する方々が、現代医学を拒否するような形でカルト化することなく、現代医学では救えない患者の方々の症状改善に役立つ、健全なホメオパシー的健康観を普及してくださるように願ってやみません。

最後に、三宅洋平氏について一言。

三宅氏は、「反戦・反原発」の立場で、過去二度に渡り参院選に立候補し善戦しました。

その彼がホメオパシーのような既成の医学とは異なる代替医療を勧めることはある意味当然とも言えます。

既存の価値観だけでは解決できない状況があるからこそ、ほとんど無名に等しいミュージシャンの三宅氏が、2013年には比例区で18万票、今年2016年には東京選挙区で25万票を獲得したのだと思うからです。

科学技術おたくの多いネット上ではとやかく言われやすいホメオパシーやEM菌などを勧める三宅氏ですが、現実の投票行動においてはそうした点が特別問題になっていないことは、過去二回の参院選での獲得投票数の実績が示していると考えます。

三宅氏が、一部の人たちが心配するような「カルト化」の道を辿ることなく、「反戦・反原発」の主張を中心に、国会議員として活躍してくれる日が早くやってくるように、これからも批判的に応援を続けていこうと思います。

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2016年8月19日金曜日

夫婦茶碗、男女平等、文化相対主義


Twitterでシュナムル氏が、次のように述べています。
フランス人の友達の結婚祝いに夫婦茶碗を送ったら新婦の不興を買ってしまったという失敗話を同僚から聞いた。もちろん「なぜ妻の方が小さいのか、夫より少なく食べろという意味か」と眉をしかめるフランス人の感覚が全く正しいわけだが、それを認識できる日本人はどれくらいいるんだろう。
それに対して、ことだま けむりん氏はこう述べています。 ‏
それは男尊女卑ではなくて、男女の体(手と口)の大きさによるものだから。
けむりん氏の主張は、日本の人には、あまり違和感がないものだろうと思います。

一方で、フランスの方も含め、「欧米」の方からすれば、「なぜ妻のほうが小さいのか」というのも、まったく当然の感じ方だろうと思います。

ここで、しっかりと抑えるべきなのは、この二つの考え方の、
「どちらかが正しいわけではない」
ということです。

シュナムル氏は、フランスの考えに馴染んでいるため、夫婦茶碗は差別的だと言い、
けむりん氏は日本の考えに馴染んでいるため、それは差別とは関係ない、
というわけですが、どちらの主張も、立場が異なっているだけで、間違ってはいないのです。

このような議論があるときに、日本人として気をつけなければならないのは、夫婦茶碗のような、日本人にとっては一見ふつうのものが、他の文化の人から見たとき、まったく差別的なものに見える場合があるということです。

「欧米」の人であっても、「東洋」には別の文化体系があることを知っている人ならば、夫婦茶碗くらいで驚いたりはしないでしょうが、「東洋」の文化をまったく知らない「欧米人」からすれば、夫婦茶碗をはじめ、様々な「東洋」の文化が、「遅れた」、「野蛮」な文化に見えてしまうということがあるわけです。

そこで、こうした見解の相違が生じたときには、自分の文化の一方的な見方を主張するのではなく、相手の文化の見方を受け入れ、尊重した上で、自分たちはこのように考えるのだ、ということを、伝えていくことが大切になります。

「欧米」の文化には学ぶべきところが多々あります。
同時に、日本も含め、東洋の文化にも優れた点はたくさんあります。

どちらかの文化が優れている、というような見方にとらわれることなく、それぞれの文化にはそれぞれの価値があるという、文化相対主義的な視点から、様々な文化のいい部分を取り入れて、よりよい世界を創っていきたいものではありませんか。

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2016年8月17日水曜日

三宅洋平は「許可」を得て安倍昭恵を高江に案内したのか


三宅洋平氏が安倍昭恵氏を、沖縄高江のヘリパッド建設反対運動のテントに案内したことについて、現場の実質的な代表者である沖縄平和運動センター議長の山城博治の「許可」があったのかどうかが、ネット上の一部で取り沙汰されています。

この件については、山城氏のインタビューの動画があり、これを見れば山城氏が「昭恵氏の現場訪問を拒んでいない」ことは明らかでしょう。
[山城博治 昨日8/6の安倍昭恵の訪問ほか 中継iwj okinawa1]

山城氏はインタビューで確かに、「(昭恵氏を)案内することは許可していない」という意味のことをおっしゃっています。

けれども同時に、「(昭恵氏に)公然と来てもらうわけにはいかないが、目立たないように来てくれるのはかまわない、その場合は自分が話を聞くと言った」と説明しています。

山城氏は昭恵氏がテントを訪れたとき現場にいなかったわけですが、体調不良のため一旦引き上げた際、対応を求めたスタッフに十分意志が伝わらなかったために現場で混乱があったのだとも、説明しています。

また、昭恵氏の訪問については、否定的な見解を述べていますが、昭恵氏の訪問が反対運動にマイナスの影響を与えることはないという主旨の発言をしています。

こうして見ると、「三宅の言う山城氏の『許可』はなかった」とネット上で広め、「三宅の行動は運動の分断を謀っている」といった発言をしている人たちは、現場で反対運動をしている沖縄の方々とは関係のないところで、勝手に「三宅氏排除」を主張しているにすぎないことが分かります。

三宅氏が現場の方々の気持ちを考えることができずに昭恵氏を案内したことは、もちろん問題ですが、「三宅氏排除」を主張する方々も、現場の方々の気持ちを考えていない点については、五十歩百歩ということです。

また、山城氏がインタビューで三宅氏について特に触れていないところを見ると、山城氏自身は三宅氏の行動を運動に上手に役立てているように思えます。

山城氏は、いくらかの混乱はあっても、高江の問題が少しでも知られることが大切だと考えて、昭恵氏の訪問を受け入れたのではないかということです。

なお、今回のように「都合よく切り取られた事実」の拡散によって、歪んだ現実が伝えられることは、場合によっては大きな問題となる場合がありますが、この件については、もともと三宅氏を「嫌っている」人同士が「情報」を共有している以上の意味はあまりないように思います。

  *  *  *

ネット上では、事実の断片が拡散し、場合によっては尾ひれもつき、何が本当のことなのか、なかなか見分けがつかないことが、ままあります。

人間はつい、自分が見たいものだけを見て、見たくないものからは無意識に目をそらすようなこともしがちです。

情報の確かさの確認をおこたり、自分の見方に近い発言をうっかり拡散して、事実とはことなる情報を世間に広めることがないよう、十分気をつけたいものです。

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2016年8月16日火曜日

三宅洋平、ホメオパシー、カルト、民主主義


[追記: 2016.08.21] こちらの記事では Wikipedia の記述に沿って、助産師に問題があったように書いてしまいましたが、死亡事故の原因は分かっていないし、助産師の責任についても明らかではない、とするのが適当であると考えるに至り、もう一つ記事を書きました。[ホメオパシーに関連して日本のジャーナリズムの問題とカルト的思考、そして三宅洋平]

「自然志向」の三宅洋平氏は、医療に頼りすぎないほうがよいとの考えを持ち、ホメオパシーなどを勧める発言をしているために「非科学的」で「カルト的」であるとの批判をされています。

けれど、ホメオパシーを勧めることは「非科学的」で「カルト的」なことなのでしょうか。また、それは反社会的で悪いことなのでしょうか。

政策としてホメオパシーを推進するとなれば、これはまた別の話ですが、彼はツイッター上の個人的な発言でホメオパシーを勧めているにすぎません。

こうしたことが一々政治家の欠格条件になるとしたら、日本には政治家などいなくなってしまうのではないでしょうか?

  *  *  *

ホメオパシーについて、要点を説明します。

・ホメオパシーは医学的にはプラシーボ以上の効果はないとされています。
・レメディという砂糖玉を処方するだけなので、有害な副作用はありません。
・ヨーロッパやインドなどでも民間療法として普通に実践されています。

プラシーボ効果というのは、実際には薬効のない物質を患者に投与した場合、一定の割合で症状が改善する現象のことで、暗示によって自然治癒力が引き出される効果のことです。

普通の薬のような薬効こそありませんが、患者が治療者を信頼してレメディを服用することで、自然治癒力が発揮され症状が改善されるのですから、ここには何ら問題はないと言えます。

むしろ、こうした暗示と自然治癒力の効果を否定し、薬効はあっても同時に副作用も強い現代医学のみを肯定する態度のほうが、よほど「非科学的」なものにも見えます。

それではなぜ、日本ではホメオパシーが嫌われるのでしょうか。

その理由は、ホメオパシーの誤用によって発生した事故によって、ホメオパシー自体が危険であると勘違いされているということです。

2009年に山口県山口市で、新生児がビタミンKの欠乏により硬膜下血腫を起こして死亡するという事故がありました。こうした事故を防ぐため、新生児にはビタミンKを投与するよう厚生労働省が指導していますが、ホメオパシーを実践する助産師がビタミンKの投与をせず、その効果を代替するとされるホメオパシーのレメディを投与した上、母子手帳 には「ビタミンK投与」と偽って記載していたと伝えられています。

このようにホメオパシーの誤用によって死亡事故を起こしたと考えられる助産師の方の責任は十分問われる必要がありますが、一個人の誤りを、ホメオパシー全体の問題とするのは論理的に無理があります。
(この件は、一個人の問題ではなく、日本助産師会自体に問題があったとする指摘があります。それが事実であるなら、日本助産師会の責任を不問とするためにホメオパシーが「攻撃」された可能性も否定できません)

人間という不完全な存在が医療を行なう以上、医療ミスによる死亡事故も避けることはできません。

しかし、それを理由に医学自体を否定することは、普通ありえないでしょう。

では、どうして医学は否定されず、ホメオパシーは否定されるのでしょうか。

医学はわれわれの身近にあり馴染みのあるものです。人間は、馴染みのあるものには安心感を覚え、少数の否定的な事故があっても、全体の信頼感をなくすことはありません。

逆にホメオパシーは多くの人にとって、身近な存在ではなく、よく分からない得体のしれないものです。よく知らないものに対しては、少しでも否定的な事故があると、全体を否定してしまうのが人間の心理なのです。

同じことはほかのいろいろなことについても言えます。

警察官の犯罪はあとを絶ちませんが、警察の存在自体を否定する人は少ないでしょう。

けれど、外国人の犯罪、精神「障がい」者の犯罪はどうでしょうか。よく知らないゆえに、外国人や精神「障がい」者の全体が危険だと勘違いしてはいないでしょうか。そうした誤解から、根拠のない差別的な発言をする人があなたの周りにはいないでしょうか。

  *  *  *

ホメオパシーが嫌いな人は、ホメオパシーを使う必要はありません。

ホメオパシーを誤用する人がいれば、その問題点は指摘するべきです。

しかし、本人が好んでホメオパシーを使い、それで症状が改善しているときに、そんな非科学的な療法はやめなさい、というのは、余計なお世話にすぎないでしょう。

ネット上には、「独善」「欺瞞」「厚顔無恥」などなどの、「余計なお世話」が満ち溢れています。

ホメオパシーが「カルト」であると言うのなら、そうした「余計なお世話」は「多数派のカルト」と呼ぶべきではないでしょうか。

立場の異なる方から見れば、この記事も「余計なお世話」ということになるだろうことは承知の上で、そうした「余計なお世話」の雑音に惑わされることなく、また、雑音の中にも一面の真実が潜むことも忘れずに、一人ひとりが、自分なりの立場で、事実に基づき、冷静に発言していくことが、ネット上の民主主義を育てていくことになるはずだ、ということを結論として、この記事を締めくくることにします。

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2016年8月15日月曜日

三宅洋平の「カリスマ」は「カルト」じゃない


[この記事のまとめ]
・三宅洋平氏の「カリスマ」には可能性があります。
・彼の政策で最重要な点は、「反戦・反原発」です。
・その「カリスマ」に「カルト的」なものを見る人もいますが、その二つは区別できます。
・三宅氏を応援するものとしては、彼が「カルト」になってしまわないように、きちんと批判しつつ応援していくことが必要と考えます。

  *  *  *

三宅洋平氏が参院選後に安倍昭恵氏と会食し、その後、沖縄高江のヘリパッド建設反対運動の現場に同行したことで、ネット上では、三宅氏を非難する声が多く見受けられます。

反対運動の現場の方々に十分な説明もないまま昭恵氏に同行し、現場を混乱させたことは問題ですが、そのことを理由に三宅氏を「運動」から「排除」しようとするかの発言には、まったく不可解なものを感じます。

どうして三宅氏の「カリスマ」を「運動」に生かすことができないのでしょうか。

「運動系」の人たちの中には、三宅氏の「非科学的・非論理的」な部分を批判する声があります。
そうした、はじめから三宅氏に批判的な人たちが、今回の件を使って三宅氏を「排除」しようとしているようにも見えます。

あからさまに「非科学的・非論理的」であることは問題を引き起こすこともありますが、昭恵氏と高江に同行したことは、その意味では問題とは思えません。

彼は、安倍政権を批判はしていますが、同時に対話の重要性も強調しています。

高江でヘリパッドの建設が強行される中、安倍昭恵氏と会食し、昭恵氏を高江に案内したことは、時期的にも、説明責任的にも問題のある行動ですが、彼の主張する対話の姿勢からすれば一貫性のあるものです。

「選挙フェス」の「盛り上がり」を冷静に見れば、そこに多くの人が集まっている状況が、他の立候補者のような支持基盤による動員とは違うことははっきりと分かるはずです。

それにはいろいろな要因があるでしょうが、三宅氏の打ち出している反戦・反原発の明確な姿勢が大きく影響しているものと思われます。

政策においては、彼は、自衛権のみを許すという形で、憲法の九条を強化改憲するという提案をしています。

この案については、実現性にも実効性にも疑問を感じますが、これがいわゆる「改憲派」の戦前回帰を目的とする「全体主義憲法」と異なることは誰の目にも明らかで、このことを理由に彼を「改憲派」としてひと括りにするのは、おかしな議論でしょう。

反戦・反原発という主張において意見を同じくする人は、彼を積極的に応援してよいはずですし、少なくとも足を引っ張るような発言をすることは慎むのが筋ではないでしょうか。

ただし、今回の沖縄高江の件のように、現場の人が怒りの声を上げることは別です。
現場で虐げられている人の痛みが分からなければ、「反戦・反原発」もただのお題目になってしまいます。

高江のテントで、ある男性が、
「話を聞いてわかったのは、あたなは何十年間も虐げられている沖縄の人の気持をあまり理解していない」
というのに対し、三宅氏は、
「完璧にはわかっていないが、ないちゃーの中ではわかっていて、そのために動いていて、ヤマトの人たちにも声をかけ続けていると思う」
と言っています。
(やりとりの言葉はIWJのツイッターより)

三宅氏の言葉の意味は理解できますが、このとき必要だったのは自己弁護の言葉ではなく、自分が何を「理解していない」と言われたのかを、きちんと考え、相手の気持ちを受け止めた上で謝罪することだったと思います。

しかしながら、完全な人間などいるわけがないのですから、彼がこの経験を生かして、「虐げられている」人たちの気持ちをきちんと理解できる人間へと変わっていってくれることを切に期待します。

  *  *  *

三宅氏の「非科学性・非論理性」の問題から、彼が社会に与える影響自体が「カルト的」で危険なものだ、という主張もあります。

しかし、人間というものは必ずしも「科学的・論理的」に生きるものではありません。

また、「科学的・論理的」な思想が、「原爆」や「原発」を産んでしまったことも忘れるべきではありません。

三宅氏は「陰謀論者的・カルト的」な傾向を確かに持っています。

けれど、それは、若く未熟な彼が、日本という社会の「非論理性」の影響を受けた結果に違いありませんから、その点においては彼は被害者であると言えるでしょう。

とすれば、「科学的」で「論理的」な方々は、三宅氏の「蒙昧」を「啓蒙」することで、彼が「カルト」になってしまわないように手助けをする義務がある、と言っても言い過ぎではないのではないでしょうか。

「反戦・反原発」を言う三宅氏の「カリスマ」をぼくは信じます。

同時に彼が「陰謀論」を卒業して「カルト」の烙印を押されなくなることを期待します。

そして何より、彼が社会的弱者の気持ちときちんと向き合える人間になってくれることを、願います。

「反戦・反原発」の主張をともにする皆さんには、三宅氏を批判的に応援してくださるよう、ぜひお願いいたします。

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2016年8月13日土曜日

三宅洋平は安倍総理の「コバンザメ」じゃない


[この記事のまとめ]
・三宅氏は安倍総理のコバンザメではありません。
・しかし、沖縄高江ヘリパッド反対運動の現場の方々にきちんと謝罪するべきです。
・三宅氏は社会の「構造」を問題にしている点で評価できます。
・一方、陰謀論などに傾きがちな点には大きな危険もあります。
・彼が社会的責任を自覚した上でのびのびと活動をすることを期待します。

  *  *  *

参院選に二度の立候補をしたミュージシャンの三宅洋平氏が、安倍総理の夫人である安倍昭恵氏を、沖縄高江のヘリパッド建設反対運動のテントに案内をしたことが、ネット上で波紋を広げています。

今回は、昭恵氏が帰ったあとで、反対運動の現場の方々との対話の中で三宅氏が言ったとされる言葉、
「すべて安倍の意図とは限らない」(onoyasumaro氏のまとめによる言葉)
について考えてみます。

参院選の翌日からヘリパッドの建設再開を強行し、今までにない強圧的な姿勢を日本政府が取っているときに、総理大臣である安倍晋三氏について、「すべて安倍の意図とは限らない」と反対運動の現場の方々に対して言うというのは、普通に考えて、ありえない発言でしょう。

ただし、同じ現場での対話のIWJによるまとめでは、これに相当する言葉は「安倍総理が全部決めてスイッチを押しているのではない」ということで、若干ニュアンスが違ってきます。

いずれにせよ、安倍総理の名のもとに行われている工事の強行などにより、直接・間接に被害を受けている方々に向かって言っていい言葉とは思われず、昭恵氏を同行して現場を混乱させたことに加え、こうした発言をしたことについても、三宅氏はきちんと謝罪すべきだと思います。

しかしながら、安倍総理を擁護しているかのように見えるこの発言をしたことをもって、三宅氏が安倍総理の政策に賛同していると考えるのは、まったく軽率なことではないでしょうか。

三宅氏は、自民党政権ならびに日本の官僚機構が行なっている政策の実行について、必ずしもすべてを総理大臣が把握しているとは限らない、という一般論を述べているにすぎません。

「主流派」である安倍政権を批判する「反主流派」の人々は、ともすれば「安倍総理や自民党が悪」であって「安倍総理と自民党を倒せ」ばよいかのような考えを振りまいています。

しかし、そのようにして「外部の敵」をやっつけることが仮にできたとしても、それだけでは決して本当に自由で民主的な社会の実現につながらないことは、すでに歴史が証明しているように思えます。

その点、三宅氏は、社会自体が持つ「構造」の問題を意識しており、彼のそうした感性には将来性を感じます。

一方で、現時点での三宅氏は、「田布施システム」や「金融ユダヤ人」といった陰謀論的、人種差別的発言をしていることについての自覚が足らず、今後も様々な問題行動を起こす危険性もあります。

三宅氏の自由な発想、自由な行動を束縛することなく、社会的な責任について彼が自覚する手助けになれるよう、今後も批判的に応援するべく発言を続けていこうと思います。

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2016年8月12日金曜日

伊方原発再稼働の日に「原爆・原発の不必要な危険」について考える


ガメ・オベール氏は、日本語堪能なイギリスの方で、欧米と日本の両方の社会をよくご存知です。

そのガメ氏が「ヒロシマ」と題する記事を書いています。

彼はその中で福島第一原発の事故に触れ、日本の社会は『それが通常の事故として処理が可能であるかのような「ふり」をすることにした』と厳しい言葉で述べています。

そして、原爆の開発を指揮した物理学者オッペンハイマーに言及してその記事をしめくくっています。

日本が福島第一事故で平然を装っていることの重大な副作用のひとつに、日本人たちの平静な無表情を見て、「なんだ、核なんてあの程度か」という、それまでは絶対の破壊の神としてすべての言語世界で君臨し恐れられていた核エネルギーの日常への組み込みとでもいうべき人類の思想上の変化がある。核戦争と核発電事故は、ふたつの「絶対に起きてはならないこと」であったのが、すぐに大量死が起きたりしないので、なんだ、たいしたことないじゃないか、と述べるオチョーシモノが、科学者のあいだにさえ現れ始めている。その思想的な変容の恐ろしさは、破壊が、いわば時間を圧縮した形で起きたヒロシマをつぶさにみていけば判ります。オッペンハイマーが涙をぬぐいながら述べた言葉の意味を、彼の恐怖を、世界の人間ひとりひとりが理解しはじめるのは、むしろ、これからのことなのでしょう。

この結論には、まったく異論はありません。

けれど、広島に落とされた原爆の意味に関して、ガメ氏の主張は、戦勝国側の視点に傾き過ぎではないかと思われますので、その点について少し書きます。

  *  *  *

ガメ氏は、日本の敗戦について次のように書いています。
日本語世界では、奇妙な事に「現実に戦争を終わらせたのは原爆ではなくソ連の参戦だ」ということになっている。英語人たちの一般的な理解は「理解不能な狂気によって最後のひとりまで自殺攻撃をする決意を固めていた日本の戦意を打ち砕いて降伏に持ち込んだのは広島と長崎に落とした二発の核爆弾だ」でしょう。

ここに述べられている言葉は、間違いとは言えませんが、やや一方的な見方に思えます。

「現実に戦争を終わらせたのは原爆ではなくソ連の参戦だ」という見方を「奇妙」であると表現し、「日本の戦意を打ち砕いて降伏に持ち込んだのは広島と長崎に落とした二発の核爆弾だ」が英語圏では一般的な見方だというわけですから、これは敗戦を受け入れた直接の原因は、多数派の意見である「原爆」だというのが「事実」であって、「ソ連の参戦」だという主張は間違っている、ということになります。

一方、原爆投下を決断した第33代大統領ハリー・トルーマンの孫、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏は「ニューズウィーク」のインタビューで次のように語っています。
伝統的な歴史学者は原爆は戦争を終結させ、日米双方の多くの命を救ったと主張する。一方、歴史修正主義者は日本は既に負けたも同然で、原爆投下はソ連を威嚇するためだったと言う。
「原爆投下はソ連を威嚇するためだった」ということは、戦争を終わらせるためには原爆の投下は必要がなかったことを意味します。

アメリカにおいても、原爆の使用が戦争終結を早めたかどうかについて、両論があるわけです。

ソ連の仲介による戦争終結を期待していた日本にとって、日ソ中立条約が有効であったにも関わらず、8月9日の午前零時に、南樺太 ・ 千島列島 および 満州国 ・ 朝鮮半島北部等へソ連軍が侵攻したことは、ポツダム宣言の受諾に関し、少なくとも原爆と同等の効果があったのだといっても言い過ぎではないでしょう。

先ほども言葉を引いたトルーマン大統領の孫であるダニエル氏は、「広島と長崎への初訪問の前後で、原爆への見方は変わったか」と問われて答えます。
変わっていない。そこに行ったとき、私は原爆が戦争を終結させたか否か、正当な行為だったか否かについて語ることをやめた。訪問の目的はただ1つ、被爆者の話を聞くことだった。亡くなった方々に敬意を表し、生存者の話を聞く。目的は癒やしと和解であり、原爆使用の是非を議論することではない。

  *  *  *

「原爆によって戦争が終わった」というのは一つの意見です。
そのように考え、それによって自分の命が救われたと考えているアメリカの退役軍人の人たちがいるのは、事実です。
その人たちに対して、「原爆の投下は必要なかったのだ」といっても、益はないでしょう。

「戦争を終わらせるために原爆の投下は必要なかった」というのも一つの意見です。
しかし、この意見を述べるときに注意しなければいけないのは、「原爆を落とす」ということに象徴されるような「罪」を犯す可能性は、われわれの誰もが持っているという事実です。

「原爆を落とした」ことは非難するべきではなく、そうした「罪」を犯す可能性をわれわれ自身の問題としてとらえる必要があるのです。

「必要のない原爆」を落とした「われわれ」が、「必要のない原発」を作って地球環境を汚染し、その事実と向き合うことをせずに原発を再稼働して、「必要のない危険」を作り続けているのです。

福島第一事故による健康への被害は、これからいよいよ本格化すると考えられます。

ガメ氏が述べる通り、
オッペンハイマーが涙をぬぐいながら述べた言葉の意味を、彼の恐怖を、世界の人間ひとりひとりが理解しはじめるのは、むしろ、これからのこと
に違いありません。

この厳しい現実に目を背けることなく、また、多数の人々が目を背けたとしても、そうした人々を非難することなく、原子力・核エネルギーに反対する声を冷静に挙げ続けていくということが、われわれに課された未来の世代への責任なのだと思います。

[2016.08.12 伊方原発再稼働の日に]

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[「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問]

2016年8月11日木曜日

「天然系・総理の密使」安倍昭恵氏が沖縄高江のヘリパッド建設反対運動テントを訪問


[この記事のまとめ]
・安倍昭恵氏の高江行きは、自分が現場を見たいという、ただそれだけの理由で行われた。
・三宅洋平氏は、軽率にもそれに協力した。
・現場では一時的に多少の混乱があった。
・三宅氏は昭恵氏との関係を断ったほうがよい。
・弱者の気持ちが分からない、昭恵氏の人物について少々。

  *  *  *

2016年8月6日、安倍総理大臣夫人の安倍昭恵氏が、三宅洋平氏の案内で、沖縄・高江のヘリパッド建設反対運動のテントを訪れました。

琉球新報8月7日の記事より、昭恵氏の高江訪問について、前の記事とは別の部分を引用します。
ミュージシャンで参院選へ2回立候補した三宅洋平さんによると、今回の訪問は、昭恵さんが高江のヘリパッド問題などを描いた映画「標的の村」を鑑賞したことをきっかけに「現場を見たい」と三宅さんへ相談したことがきっかけ。三宅さんは沖縄平和運動センターの山城博治議長へは相談したが、大半の市民らには昭恵さんの訪問を知らせていなかったことから戸惑いや疑問の声も上がった。

昭恵氏は「何が起きているのか、自分の目で確かめたい」から高江に行ったのだと、8月7日Facebookに書いています。

しかし、昭恵氏は先日の参院選では自民党の島尻あい子氏の応援で沖縄入りしており、一私人として高江の問題に関心を持って訪れたという説明は、現場で反対している人々には受け入れがたいものでしょう。

昭恵氏の高江行きを仲介した三宅氏も当然のように非難されており、この昭恵氏の行動は反対運動に一時的に多少の混乱をもたらしました。

このことは安倍政権から見れば、まったく小さいお話で、毒にも薬にもならないほどのエピソードでしょう。

ですから無用に騒ぎを大きくすることは、ヘリパッド建設反対の運動に水をさす結果にしかならないので、慎んだほうがよいと思います。

また、三宅氏にぜひお伝えしたいのは、昭恵氏の「お気持ち」に付き合うのはもうこのくらいにしたほうがいいだろうということです。

昭恵氏が高江の問題を本当になんとかしようというのなら、きちんと自分の持てる力を使ってやるべきです。

仮にそのことで援助を求められても、関わりにならないほうがよいでしょう。

  *  *  *

「天然系・総理の密使」である安倍昭恵氏について、もう少し見てみます。

1962年生まれの昭恵氏は、森永製菓第5代社長の松崎昭雄氏が父親であり、聖心女子専門学校を卒業後、電通に入社、上司の紹介で安倍晋三氏と会って結婚されたのだそうです。

良家のお嬢さんが、将来有望な若き政治家と結婚して、やがて首相夫人となった、という成功物語のヒロインというわけです。

昭恵氏は、2011年度に立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科の修士課程を修了し、修士号(比較組織ネットワーク学)取得しています。修士論文のタイトルは、「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活 —NGOの寺子屋教育支援—」です。

大学院での経験を昭恵氏はこう述べています。(2014年の雑誌インタビューより)
考え方が違う人たちと出会ったことは大きかったですね。主人とは真逆の考えの人たちもけっこういました。たぶん大学院に行かなかったら、そういう人たちの意見を聞く機会はなかったかもしれないけど、なるほどと思うこともたくさんありました。議論することでお互いに歩み寄れる、立場や意見が違っても相容れる部分はかならずあると気づきました。

半世紀の人生の中で昭恵氏がはじめて、社会的立場による意識や意見の違いに気がついたことが見て取れます。

また、このようにも言っています。
2011年の東日本大震災。多くのかたがそういうかもしれませんが、私もこの震災を経験したことで、意識が変わりました。 私が原発再稼働反対、輸出反対などと発言していることで、つい先日も、主人を応援しているかたから、総理の足を引っ張ってはいけないというお叱りを受けました。震災前の私だったら、『はい、わかりました』とおとなしく引き下がったでしょう。でも私は、地球の環境や持続可能な社会を目指すことに重きを置きたいのです。
(以上、オクトアクティブエイジング 2014年 7/1号より)

この発言も、福島第一の事故を受けての率直な感想に思われます。

一方で、2013年の別の雑誌のインタビューでは、
――安倍総理は再登板後、ますます理念先行で好戦的でもある印象が強まっている気がするんですけれども。 
【安倍】どうなんでしょう。でもわたしを妻としているので、たぶん大丈夫だと思うんですけども(笑)。わたしが話を聞いて欲しい時はちゃんと聞いてくれるし、こういう人に会ってほしい、といえば会ってもくれます。やわらかいところはやわらかいですよ。例えば反原発の飯田哲也さんにしても、わたしは3・11後に彼の意見が素晴らしいと思ったので、議員会館に連れて行って主人に話を聞いてもらったことがありました。そうすると、なるほどね、みたいな感じで話を聞いてくれるんですよ。わたしは家庭内野党と言われてますが、別に主人と戦おうというつもりは全然なくて、主人の不利になることもするつもりはないんですよ。ただ政治家の妻はこうあるべきとか、総理の妻はこうあるべきとかいう枠の中にはめ込まれるはイヤなんです。前回はその枠内で頑張っていたんですが。でも時代が変わってきて、わたしが変ることで勇気をもらえたという女性たちもいるんですね。そこで少しずつ女性が変わっていけるのなら、自分が勇気を持って一歩踏み出す。
と言っています。
(『新潮45』の2013年9月号の『妻から見た「素顔の安倍晋三」』という安倍昭恵氏へのインタビュー記事を、[北京老学生]さんのページより孫引き)

「総理の妻はこうあるべき」という枠には入りたくないが、「総理の不利になること」をするつもりもない、というわけですから、「原発再稼働反対」とは言っても、あくまで表現の自由を「楽しまれてらっしゃる」だけで、本当に再稼働を止めようとしているわけではないようにも思えます。

今回の高江訪問についても同様で、「私が行ったからどうなるものでもない」と言いつつ、「対立、分離した世の中を愛と調和の世界にしていくための私なりの第一歩・・・」(8月7日Facebook)と書くのですから、現に生活道路を封鎖されている高江の住民の方々や、米軍基地の被害にさらされている沖縄の方々からすれば、到底容認できる発言ではないでしょう。

その発言をするご本人には「悪意」の欠片もないだろうことが却って、昭恵氏やその夫が属している「支配階級」の人々の行動によって、日々不利益を被っている沖縄の人々には不愉快に感じられるのだと思います。

そして、そうやって傷つけられた高江のテントの方々に対する謝罪の言葉は、昭恵氏の発言の中には見当たらないのです。

ご本人には反対運動を混乱させようという気持ちなど、これっぽっちもないであろう「天然」ぶりで、夫である安倍総理に対して「内助の功」を尽くすその姿は、「天然系・総理の密使」という呼び名がふさわしく思われます。

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[三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日]

2016年8月9日火曜日

昭恵氏の高江訪問について三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日


8月6日に安倍昭恵氏が、沖縄高江のヘリパッド建設に反対するテントを訪問したことについての、三宅洋平氏による経緯の説明を読みました。

三宅氏が、昭恵氏の「現場を見たい」という気持ちを尊重し、それが高江の問題を多くの人に伝える役に立つのではないかと考えたことには、一理はあると考えます。

しかしながら、自分の行動が、高江で反対運動をする人々の気持ちを傷つけてしまったことについて、謝罪の言葉は見当たらず、現場で湧き上がった「困惑」と「怒り」の感情を、三宅氏は今のところ十分に受け止めることができていないようです。

反対運動の実質的な責任者ともいえる沖縄平和運動センター議長の山城博治氏に昭恵氏の高江訪問について相談し、そのやりとりの中で行き違いのあった事情も考慮した上で、やはり三宅氏の今回の行動には、「お騒がせした部分はすみません。自分の判断ややり方が全部あっていたとは、毛頭思っていません」とご自身でも認めている通り、少なからぬ「非」があったわけですから、そのことについての謝罪の言葉がともなわない事情の説明は、「火に油を注ぐ」ようなものでしょう。

三宅氏には、なるべく早く、この件について、反対現場の人々に謝罪をしていただきたいと思います。

また、三宅氏に近い方々にも、この件について冷静に考えていただき、三宅氏に助言していただきたいと思います。

そして、三宅氏を応援する皆さんには、この件の「非」を三宅氏が認めてくださるように、批判的な応援の声を上げていただけたらと思います。

以上、簡単ですが、三宅洋平氏の今後の活動に期待するものとして一言述べさせていただきました。

[追記]
今回の三宅氏の行いと言葉に対する厳しい指摘がこちらのSAKATE氏の記事にあります。
三宅氏の支持者には耳が痛いと思いますが、こうした指摘はきちんと受け止める必要があると思います。
高江に対する暴力に与してきた総理夫人が「私」「個人」の立場で「実態を知りたいから来た」は、あり得ない

2016年8月7日日曜日

「大物」か「あほう」か、三宅洋平、安倍昭恵と高江に同行


2016年8月6日、参院選に二度の立候補をしたミュージシャンの三宅洋平氏が、安倍総理大臣夫人の安倍昭恵氏に同行し、沖縄・高江のヘリパッド建設反対運動のテントを訪れました。

琉球新報は8月7日、この昭恵氏の高江訪問について次のように伝えています。
7月の参院選沖縄選挙区ではヘリパッド建設や米軍普天間飛行場の辺野古移設を容認する島尻安伊子氏の応援演説で来県していたことを踏まえ「何をしに来たのか」と批判する声や「首相へ現場のことを伝えてほしい」などの声もあり波紋が広がった。
しかし、本土のマスメディアは何か伝えているでしょうか。
昭恵氏の高江訪問が、本土に高江の問題を伝えるためにプラスとなるとは考えられません。

ネット上での声はどうでしょうか。

洋平氏や昭恵氏を「大物」だと言ってほめそやす人たちは、沖縄の人々の痛みが分からないのでしょう。

洋平氏と昭恵氏をただ非難するだけの人たちは、建設的な提案をすることなく、対岸の火事を眺めているだけのように思えます。

沖縄の人の怒りの声は別です。

沖縄の人々の痛みがわからないからこそ、洋平氏は今回のような「愚にもつかぬ」行動で、反対運動に混乱をもたらしているのですから、沖縄で現に被害を受けている方々が怒りの声を上げるのは当然です。

けれど今、本土のぼくらに必要なのは、評論家のような顔をして、誰かのことを持ち上げたり、また誰かの失敗を指摘することではないでしょうし、沖縄の人と一緒になって洋平氏に怒りをぶつけることも違うように思えます。

今まさに、日本という国が「戦争賛美」の「全体主義」国家へと変わり果てていく流れにあるとき、その流れに少しでも棹さすことにこそ意味があるのではないでしょうか。

そのためには、洋平氏を批判的に応援する必要があります。

昭恵氏のことはさておき、今の洋平氏には沖縄の痛みが分かっていません。

今回のことで少しは彼がそのことに気づいてくれればよいのですが、残念ながら彼は弱者の痛みを想像する能力が弱いように思えます。

ですから、洋平氏の行動に疑問を感じながらも、彼の将来性にかすかにでも期待する皆さんにはお願いをしたいのです。

洋平氏に、彼の弱点を伝えてあげてください。
彼が弱点を克服できるように手助けをしてあげてください。
そして彼が強みを生かせるように状況を整えてあげてください。

それが批判的に応援するということの意味です。

洋平氏はどうやら正真正銘の「ドあほう」のようです。
「ドあほう」な彼が道を誤らないようにするには、多くの人々の批判的な応援が必要です。

そして「ドあほう」でなければできない事業というものもあるのです。
周りの反対の声にも関わらず突き進むことが必要なときもあるのです。

今回の高江訪問は「大失点」であり、まさに「オウンゴール」でしょう。
しかし、彼には何かを成し遂げる力があるように思えます。

彼がどんな事業を成し遂げてくれるかは未知数ですが、安倍政権の憲法改定が秒読み状態に入った今、三宅洋平氏の可能性にぼくは賭けたいと思います。

洋平氏が沖縄の人々の怒りの声にしっかりと耳を傾け、今回の混乱が「雨降って地固まる」の結果を産むことを願ってやみません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

  *  *  *

なお、昭恵氏の高江訪問についての、岩上安身氏のIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)によるツイートのまとめはこちらです。
[IWJ版(強調なし): 三宅洋平氏、沖縄高江テントに安倍昭恵氏を案内]

また、onoyasumaro氏による別のまとめもあります。
[安倍昭恵を帯同して高江に行った三宅洋平と地元の人の会話]

[追記]三宅氏のこの件についての説明を読んで記事を書きました。
[三宅洋平氏に今伝えたいこと 2016年8月9日]

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[洋平氏と昭恵氏の会食・再考、その意味を最高のものにするために]

[三宅洋平は「ナチズムの先兵」の差別主義者なのか]

きみは「シン・ゴジラ」に日本の未来を見たか[ネタばれ御免]


[この記事のまとめ]
・東浩紀氏、杉田俊介氏、はてな匿名ダイアリーの[大絶賛の謎]氏の三つの感想を紹介。
・「シン・ゴジラ」は夢物語などではなく、戯画的かつリアルに「日本の現在」を描いた問題作である。
・我々日本人は「現在進行形」の福島第一の問題と「決死の思い」で取り組まざるをえない。
・同時に、弱者に自己犠牲を強いる全体主義的な状況には十分注意する必要がある。
・西洋的な「個」を超えた、「集合意識の力」こそが我々に与えられた武器である。

  *  *  *

みなさん、「シン・ゴジラ」もう見ましたか。

脚本・総監督が「エヴァンゲリオン」の庵野秀明氏、
監督は「平成ガメラ」の特技監督・樋口真嗣氏ということで、
元SFファンのぼくとしても、たいへん気になる作品です。

予算が15億円とかなり少なめなところにも、期待感が盛り上がります。

学生時代にアマチュアとして「帰ってきたウルトラマン」や「愛国戦隊大日本」を実写で撮った庵野氏が総監督、「進撃の巨人」の樋口氏が特撮ですもんねー。

  *  *  *

第一作めの「ゴジラ」では、ゴジラは水爆実験が生んだ怪獣とされ、核兵器や戦争の象徴でした。

今回の「シン・ゴジラ」は、東日本大震災によりメルトダウンを起こし、今日も放射性物質を吐き出し続ける福島第一発電所の象徴として、ゴジラを現代に甦らせました。

評論家の東浩紀氏は、「ゴジラが覚醒するクライマックスの1分ほどがおそろしく美しい映像だから」観た直後には絶賛したくなったけど、一日経つとそれほどでもないか、単純な物語だし、と書いています

批評家の杉田俊介氏は、「シン・ゴジラ」に政権批判の意図を見、「なぜエリートや霞ヶ関や自衛隊ばかりに夢を託すのか。民衆や東北や犠牲者の目線がなぜ薄いか」といささか勘違い気味の感想を書いています。

はてな匿名ダイアリーの『「シン・ゴジラ」大絶賛の謎(ネタバレ)』という記事を書かれた方(以下、[大絶賛の謎]氏)は、
『国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「 有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観』や「半ば特攻精神的」な表現に違和感を表明しています。

また、プロットから見ても物語に十分なカタルシスがないことを、娯楽性の欠如という点から批判的に指摘しています。

もちろん、オタクの方々は様々な形で大絶賛されています。

そうした様々な意見の中には、『これは「フィクション」なのだから「現実のイデオロギー」とごっちゃにするのはおかしい』と主張する方もおられます。

しかし、作品というものは、一旦産み落とされた以上は、作者の手も離れて、全ては読み手に任されるというのが実情です。

というわけで、以上お三方の紹介と感想を読んだところで、「2016年、たった今の日本を描いた作品」として、「シン・ゴジラ」を読むことにしましょう。

(もちろん、これはわたくし一個人の勝手な読みであって、製作者諸氏の意図するところとは関係のない話ですので、念のため)

  *  *  *

東浩紀氏は次のように述べています。
シン・ゴジラは、ひとことで言えば、細野豪志(に相当する人物)が職人集団を率いて外国に頼らず原子炉を無事冷温停止させる話で、「おれら本当は311でもこうできたはず」という願いが詰まった作品でした。だから受けるひとには受けるのではないかと思います。
脚本はけっこうバランスがとれていたと思います。平成ガメラのような自衛隊絶賛映画ではなく、官邸の愚かさも描かれている。最後も冷温停止したゴジラとの苦渋の共存を強調していて、ちゃんと現実に対応している。冷温停止法の滑稽さは逆に廃炉作業の滑稽さをえぐり出しているとも言える。 
しかし、やはりそのぶん(普通に観れば)カタルシスがないし、物語も薄い。そもそもみな指摘するように人間ドラマはゼロ。だから一日経つと、「どんな話だったっけ?」ってなっちゃうんですよね。とはいえそこまで一作品にあらゆる要素を期待するものでもないので、そのかぎりでいいのではないかと。

たった三ツィートできれいに紹介しています。バランスが取れてますね。

そしてこのあと、いくつかのやりとりのあとで彼は、シン・ゴジラは『「しょせんは」特撮でありアニメであり、人間ドラマもないし政治的メッセージもない』と書きます。

しかし、それは読み方によります。

というのも、シン・ゴジラは『「おれら本当は311でもこうできたはず」という願いが詰まった作品』などではなく、現在の日本人が直面している問題と、それに対してどう向き合っていくことが可能なのかを描く作品だからです。

現実の福島第一発電所は、日々環境中に放射性物質を放出しているわけであり、映画では描かれない「冷温停止後のゴジラとの共存」という状況にどう向き合っていくか、ということこそがシン・ゴジラの真のテーマだと考えられます。

現在の日本の政治的逼塞状況や、個人的ヒーローによるものではない集団による問題解決を描くためには、人間ドラマを描く時間がないという以上に、人間ドラマはそもそも必要もなければ対象にもならないと言えます。

「政治的メッセージ」かつ「哲学的なメッセージ」もここにはあります。

「冷温停止後のゴジラ」がそこに存在するにもかかわらず、なぜ我々は東京を首都とし続け、なぜ東京から疎開することもせずに、そこで生き続けるのかという問題提起です。

表面的には単純な物語かもしれませんし、カタルシスも十分ではないかもしれません。

けれども、それは戯画的に歪めに歪めたリアルさにこだわったための結果なのであって、製作者からすれば想定内の批評にすぎないものと思われます。

  *  *  *

杉田俊介氏の「なぜエリートや霞ヶ関や自衛隊ばかりに夢を託すのか。民衆や東北や犠牲者の目線がなぜ薄いか」という言葉も見当違いのものに思えます。

「エリートや霞ヶ関や自衛隊」に「夢を託して」などいないのです。
ただ現実を描いているだけなのです。

「民衆や東北や犠牲者の目線」は薄いかもしれません。
しかし、それはこの作品のテーマではないのです。

ただし、杉田氏の
「『シン・ゴジラ』は、ニュータイプの国策映画の時代のはじまりを告げる記念碑的な作品じゃないか」
という言葉には、一つの真理を見ます。

シン・ゴジラ自体は「国策」映画ではありえませんが(無論これを「国策」映画とする解釈を否定するものではありません)、これを真似た「国策」映画が出てくる恐れは十分あるからです。

  *  *  *

[大絶賛の謎]氏が書かれている
『国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「 有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観』や「半ば特攻精神的」な表現への違和感
は、「国策」映画という言葉とも重なる重要な問題点です。

しかし、こうした描写も「現実の日本」を「あるがまま」に書いているだけに思えます。

「戦争賛美」も「自己犠牲の強制」もリアリズムの描写なのであって、シン・ゴジラという作品がその価値観を摺りこむのではなく、最初からそうした価値観を持った人がそれを喜び、最初からそれに反対の人は違和感を感じる、そういうことなのだと思います。

同時に、この「自己犠牲」というテーマは、3.11後を生きる我々が、放射性物質の影響を避けては通れぬことも暗示しているのではないでしょうか。

つまり、我々は日本にとどまる以上、自分の健康を犠牲にし、「決死の思い」で、これからの日々を生きていかなければならないのです。

しかもそのとき、社会に流される一方的で、ややもすれば全体主義的な情報を鵜呑みにしていれば、「自己犠牲の強制」をする側、される側の間で分断させられ、対立することになり、どうにも苦しい人生を送ることにならざるをえません。

また、その苦しさのはけ口が「戦争賛美」に向かうときには、さらなる災厄が日本を襲うことにもなるでしょう。

....と、だいぶ大風呂敷を広げてしまいましたが、シン・ゴジラという作品は、そのくらい魅力的で想像力を働かせてくれる、という話です(笑)。

 

  *  *  *

さて、杉田氏はこのようにも言っています。
『シン・ゴジラ』が夢物語を排したリアル路線、というのは意味わからん。もし若くて優秀なリーダー(総理候補)さえいれば、優秀な人材の宝庫日本は本来の性能を発揮して原発も冷温停止できる、という「ありえたかもしれない震災後の日本人」「平行世界としてのまともな日本」を描いているのに、なぜ?

東氏の「おれら本当は311でもこうできたはず」という言葉に対しても書きましたが、シン・ゴジラは、「もし、こうだったら」という「仮定の世界」の物語ではなく、「ゴジラの冷温停止」によって「事態が解決していない福島第一事故の現状」を象徴的に提示することにより「現実の日本」を描く作品です。

描かれているのは「ありえたかもしれない平行世界」ではありません。
「冷温停止したゴジラ」と共存していかなければならない我々の現状が、リアルに描かれているのです。

そして、日本の「優秀」な人材を持ってしても解決できなかった「福島第一の事故」を、これから我々が解決していくにはどうしたらよいかをフィクションの形で提示しているのです。

シン・ゴジラではオタクの集団が「冷温停止」を成し遂げるわけですが、そのあり方こそが、「冷温停止後のゴジラ」との共存のために、我々が取りうる解決法の一つとして象徴的に示されているわけです。

ここで再び、[大絶賛の謎]氏の言葉を引きます。
情報や知識の独占の否定。 矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策 である、という姿勢だ。
<超越的> 存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」

このような主張は空想的にすぎる、と「現実的」な方々はおっしゃるかもしれませんが、ウィキリークスやパナマ文書が世界を騒がせ、iPhone のハックに130万ドルが支払われる時代に我々は生きています。

それは同時に、GNUから始まり、LINUXによって社会的な価値として揺るがぬものとなった、オタクによる共同作業の時代でもあります。

こうした現実を背景にして、ネットワーク時代のサイエンス・フィクションとしてのシン・ゴジラが、西洋的な「個」を超えた「集合意識」の可能性を描くとき、それをただ荒唐無稽なものとして済ませることは、もはやできないものと考えます。

エヴァンゲリオンで実存主義をテーマとし、R.D.レインの著書から英文サブタイトルの "Do you love me?" を取った庵野氏が、ここで、西洋と東洋の統合的価値観の一つと考えられるトランスパーソナル的な思想を提示したのだ考えても、それほど的はずれなことではないでしょう。

我々が向き合う現実の日本が、そして我々人類が、「集合知」による解決に向かうのか、それとも「集合愚」による破滅へとひた走るのか、それは予断を許しません。

しかし、暗雲垂れ込める未来へ向けて、「集合意識」の可能性を仄めかす、シン・ゴジラのメッセージが、そのディテールの描写と共に、オタクな人々によって熱狂的に受け入れられるのは至って当然のことに思えます。

  *  *  *

シン・ゴジラという作品の全体像を論じるためには、エヴァンゲリオンについても述べる必要がありますし、庵野氏と岡本喜八監督との関係についても論じなければなりません。

それはこの記事の範囲を越えますので、また別の機会に譲りたいと思います。

シン・ゴジラという問題作を制作してくれた、庵野氏、樋口氏を始めとするスタッフの方々、そしてキャストの皆さんの集合知を讃えて、今はタブレットを置くことにします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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2016年8月5日金曜日

内海聡医師は「差別主義者」でも「親学」でもないが「困った」人物である


[この記事のまとめ]
・内海聡医師のネット上での発言には、いささか「常軌を逸した」ものがあります。
・化学物質やワクチンの問題点を指摘していることは評価できます。
・内海医師は「差別主義者」でも「親学」の推進者でもありません。

  *  *  *

内海聡医師という、少し「おかしな」お医者さんがいます。

「『障がい』児の親には反省が必要」という「問題」発言をなさっている方です。

ミュージシャンであり、2013年と2016年の参議院選に立候補し、政治活動を行なっている三宅洋平氏が、この内海医師の発言を擁護して問題となったことは、以前の記事で論じました。
[三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます]

今回は、内海医師がどういう人物で、なぜこのような発言をしているのかを、少し詳しく見てみます。

まず、「『障がい』児の親には反省が必要」という内海医師の発言ですが、これは『障がい』児者およびその家族の気持ちを傷つけるものであり、このような発言をネット上という公的な場で行ない、謝罪する必要を認めないその態度は、極めて「非社会的」なものです。

この内海医師の発言を擁護した三宅洋平氏や、 内海医師の著書で対談をしている山本太郎氏は、内海医師の「非社会性」に関してきちんと批判的な発言をするべきではないかと思われます。

しかしながら、内海医師の主張自体は必ずしも否定できるものではありません。

内海医師は、食品などに含まれる化学物質やワクチンの毒性が障がいを引き起こしていると主張しています。

化学物質やワクチンの毒性が過小評価されている可能性を考えると、彼の主張には十分な意味があります。

したがって、無防備に毒性のある物質にさらされている人々に注意を呼びかける意味では、内海氏の発言には妥当性があると言えましょう。
(もちろん人を傷つけるような表現には大いに問題がありますが)

ところで、内海医師の発言を、ナチスの優生思想や自民党政権の「親学」の思想と結びつけて論じる方々がいます。

優生思想は「遺伝」を問題にするものですから、内海医師の主張がこれに当てはまるとは考えられません。

「親学」は、「発達障害が親の育て方によって起こる」という擬似科学的な主張ですが、内海医師は発達障害は化学物質などによって起こるという考えですから、これも当てはまりません。

五野井郁夫氏井上静氏内海信彦氏らが、なぜこうした根拠に乏しい主張をして、内海聡医師や三宅洋平氏を批判なさるのか、浅学にして理解できませんが、読者諸氏におかれましては、わたくしの今回の記事も含め、それぞれの主張を検討した上で、ご判断いただければ幸いです。

☆こちらもどうぞ
[三宅洋平は「ナチズムの先兵」の差別主義者なのか]

[神奈川・相模原「障害者」殺傷事件が三宅洋平氏に波及(内海聡医師の発言擁護で)]

2016年8月3日水曜日

なぜ今井絵理子は当選したのに三宅洋平は落ちたのか


[この記事の見出し]
・はじめに
・選挙制度自体の問題
・障害者問題
・沖縄問題
・「不正選挙」問題
・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。
・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。

  *  *  *

・はじめに
Twitter などでいろいろな方々の投稿を見ていると、今回2016年の参院選で、今井絵理子氏が当選して、三宅洋平氏が落ちたのはおかしいじゃないか、といった内容のものが散見されます。

そう言いたくなる気持ちは分かるのですが、単純におかしいと言ってすむ問題かというとそうは思えません。

今井氏が当選し、三宅氏が落選したことには、相応の理由があります。

三宅洋平氏を応援する立場から、この問題を少し細かく見ていきたいと思います。

・選挙制度自体の問題
今井絵理子氏は、自民党の候補として参院選の比例区から立候補し、31万票を獲得して当選しました。

それに対し三宅洋平氏は、東京選挙区から立候補し、生活の党と山本太郎となかまたちちから勝手連としての支援を得て、25万票を獲得したものの当選ラインの50万票には遠く及ばず落選しました。

今井氏は知名度の高さに加え、自民党という強力なバックのもとに当選したわけで、これはある意味、当然と言えましょう。

それに対し、三宅氏が、知名度は低い上、特別な支持基盤を持たないにもかかわらず、25万票を獲得したことは、「選挙フェス」手法の成功、新しい投票者の掘り起こしといった意味で大きく評価できることであり、残念ながら当選ラインまではまだ相当の距離があるものの、将来への期待は十分できるものと思われます。

・障害者問題
今井絵里子氏はご自身、「障害」のあるお子さんを抱え、「障害」者問題に積極的に取り組んでいるわけですから、そうした関心を持つ方からの支持があったものと思われます。

それに対し、三宅氏はその政策に「保育・介護の社会化の徹底」という言葉があり、「障害」者問題にも理解があるのではないかと期待されるところです。

ところが、2015年に「『障害』児を持つ親もそのことを反省しつつ」という発言したことで、「障害」者に対する差別意識があるのではないかと思われた状態のまま、今回の参院選立候補に至ったという経緯があります。

三宅氏はこの問題について、参院選直後の7月日に、「障害」者問題をよく理解していなかったために「反省」という言葉を使い、「障害」児者およびその家族の気持ちを傷つけてしまったことについて謝罪しましたが、こうした問題を抱えたまま選挙活動に入らざるを得なかったことは、一つの「失点」と考えられるでしょう。

○三宅氏の「反省しつつ」の発言に関しては、こちらの記事をご覧ください。
[三宅洋平氏の「内海聡発言」擁護問題を考えてみます]

・沖縄問題
今井氏は沖縄出身でありながら、12歳以降は東京で活動してきました。

そのため、沖縄の基地問題をよく理解しておらず、そのことについての質問に対し、「これから向き合っていく」という発言をしています

これは、今現在、基地問題で苦しむ沖縄の人々からすれば、納得のいかない発言と思われます。

いっぽう三宅氏は、沖縄在住であり、沖縄の基地問題についても積極的に発言をしてきました。

ところが、参院選終了後、間もない7月17日、沖縄の高江地区でオスプレイのヘリパッド建設の再開が強行される情勢の中、安倍総理の妻である安倍昭恵氏と会食し、さらにその場で安倍総理自身とも電話で話したにも関わらず、高江の問題を一言も伝えられないという、失態を演じてしまいました。

これでは、沖縄の人が失望するのは当然ですし、少なからぬ支持者が三宅氏は今後支持できないと考えたのではないかと考えられ、これは「大失点」としか言いようがありません。

三宅氏の昭恵氏との会食の問題についてはこちらをご覧ください。
[大丈夫か、三宅洋平!? 安倍昭恵氏と会食なんかしちゃって。]

・「不正選挙」問題
以上に述べた今井氏と三宅氏を取り巻く状況の問題とは別に、現行の日本の選挙において、開票時に不正が行なわれ、そのために三宅氏のような一部の反主流派の候補者は当選できないのだという議論がネット上には根強くあります。

これが事実なら非常に重要な問題ですし、三宅氏の支持者が「選挙フェス」の盛り上がりや開票速表の様子などから、そうした疑念を抱くことは理解できます。

しかし、状況証拠だけでそうした臆測をネット上で流布することには、あまり意味があるとは思えません。

もし、そうした不正が事実であるのなら、確実な物的証拠を提示して告発する必要があります。

仮に不正が事実であったとしても、内部告発などがない限り、この問題が公に取り上げられることは難しいかもしれません。

「不正」が行われていないと言い切ることもできないわけですから、冷静な判断と慎重な取り組みが必要な問題だと考えます。

・政治は、息の長い地道な積み重ねと、瞬間の爆発的な力。
開票後の記者会見で三宅洋平氏は、
「今回の選挙に関して、政治活動は4週間足らずだった。何十年という政党活動を続けられている方の壁の厚さを感じる」
と述べています。

有効な政治活動を、生きの長い地道な積み重ねなしに実現することは難しいでしょう。

今回の参院選での25万票という結果は十分評価に値するものですが、前回の参院選からの三年間の歳月を三宅氏が有効に活動してきたかという点になると心もとないものがあります。
[参照: やぎうら彰氏のプログ「三宅洋平について思うこと」]

三宅氏は今回の参院選後に、自身が主催する、NAUというアーティストを中心とする政治団体に、一般の方々の参加を呼びかける新しい行動を開始しています。これは歓迎すべき動きと言えましょう。

三宅氏自身が今後どのような形で選挙に関わるのかは今はまだ分かりませんが、彼自身がまた立候補することもありうるでしょう。

そうした可能性を見据えて、三宅氏を応援する側も息長く活動を続けていく必要があります。

それには例えば、日頃から政治について勉強し、話をし、伝えていく、といった地道な行動が不可欠でしょう。

そして、それと同時に「選挙フェス」というものが形を与えてくれた、瞬間瞬間の爆発的な盛り上がりの力というものも重要な役割を果たすに違いありません。

新しい政治の流れを力強いものにしていくためには、日頃の地道な積み重ねと、瞬間的な爆発力が、両輪として必要なのだと思います。

・民主主義は死なない。今は「脳死状態」だけれども。
今回の参院選によって、改憲を進める主流派の勢力は、衆院、参院ともに三分の二を越えました。

これにより憲法改定への動きはいよいよ本格化するものと思われ、「日本の民主主義は死んだ」という声すら聞かれます。

確かにこのままでは、非常事態条項を盛り込んだ憲法の改定が実現する恐れがあり、そうなってしまえば、戒厳令下で民主的な主権が一切停止する事態も当然予想されます。

日本の民主主義は「脳死状態」にあると言っても言いすぎではないでしょう。

けれど「脳死」は、完全な「死」とは違います。

この「脳死状態」から日本の民主主義が息を吹き返すことができるかどうかは、ぼくたち一人ひとりの行動にかかっているのです。

ただ投票に行くことだけが、ぼくたちの持っている権利なのではありません。

選挙に行って投票できるのは一票に過ぎませんが、周りの人たちと話をすることによって、あなたの意見に賛同してくれる人を増やすことができれば、はじめはあなたの一票に過ぎなかったものが、10票にも100票にもなりうるわけです。

そうした行動をネット上だけでなく、現実の社会において取ることができるかどうか。

日本の民主主義の復権は、この点にかかっているものと思います。

瀕死の状態にある日本の民主主義の復活を願い、三宅洋平氏の今後の活躍を祈って、今回の記事を終わることにします。